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Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

『ニューポート・ジャズ祭のエリントン(56年)』 (野口久光)

野口久光氏による、エリントン・ディスク紹介文。今回は『At Newport '56』。

 

コンプリート・アット・ニューポート1956+10

コンプリート・アット・ニューポート1956+10

 

 

 

ニューポート・ジャズ祭のエリントン

     デューク・エリントン楽団(Columbia)
 すでにLP3枚にわたって出された昨年の二ユーポート・ジャズ・フェスティヴァルの会場録音の最後の一枚で、エリントン楽団の健在を示す好個の近作である。A面は「ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル組曲」と題し3つの章から成る大作で、エリントン、ストレイホーンの合作曲で、この楽団の実力を誇示している。第一楽章のジャンプ・ブルース形式の「フェスティヴァル・ジャンクション(Festival Junction)」にはジミー・ハミルトン(cl)のラプソディックな長い序奏があり、これに続いてデューク(p)、ウィリー・クック(tp)、ポール・ゴンザルヴェス(ts)、ブリット・ウッドマン(tb)、ハリー・力ーネイ(bs)、クェンティン・ジャクソン(tb)、ラッセル・プロコープ(as)、キャット・アンダーソン(tp)の各ソロが2コーラスずつ華やかに展開するが、アンダーソンのトリッキーかつユーモラスなコーダをもって章を結んでいる。第二楽章「ブルース・トゥービー・ゼア(Blues To Be There)」は典型的なブルース形式に添った小曲で、デュークの提示するテーマに対して、プロコープがハートフルなクラリネット・ソロを以て応え、次いでレイ・ナンスのミュート・トランペットのソロが、始めデリケートにそして次第に熱を帯びて、再びソフトなムードにかえり、デュークのピアノと溶け合い、これをアンサンブルが受けて優美なクライマックスをつくる。第三楽章「ニューポート・アップ」は快速ジャンプ・リズム、ハミルトン(cl)、クラーク・テリー(tp)、ゴンザルヴェス(ts)の三者がソロイストとしてダイナミックに主題を盛り上げ、ラストにはテナー・サックスと合奏がややモダンなフィギュアのエンディングに飛び込んでいく。作品としての内容よりスター奏者を生かしたフェスティヴァル向きの大作、充分ききごたえはある。
 B面はエリントンとホッジスの合作曲、久し振りにエリントン傘下にかえったジョニー・ホッジス(as)がオーケストラをバックに生彩あるソロを堪能させてくれる。最後の曲「ディミヌエンド・アンド・クレシェンド・イン・ブルー(Diminuendo and Crescendo in Blue)」は、エリントンの旧作二曲を一曲に合わせたもので、デューク(p)のソロによる主題が次第にオーケストラに盛り上げられた後、ゴンザルヴェスのテナー・サックス・ソロに入る。このソロが実に27コーラスにわたる長いもので、シミー・ウッズ(b)、サム・ウッドヤード(ds)の鉄壁のリズムは単調とはいえ、次第に熱して、七千五百名の聴衆は酔わされ場内は騒然となっていく。ラストにデュークとカーネイ(bs)のソロを加えいよいよ会場は昂奮と陶酔のるつぼと化すうちに曲は最高潮に達して、アンダーソンのトランペット・ハイ・ノートとともに幕を閉じる。歓声またしばし止まず……といった演奏会場録音の長所を最大限に発揮している。なお、はじめのボストン大学のファーザー・ノーマン・J・オコンネルの司会の言葉に次いで、デューク自身の曲目紹介の言葉がそのまま録音されている。エリントンのLPは数も多く、傑作も少なくないが、これは1956年のエリントンとして後世に残るLPのひとつとなろう。録音もわるくない。
                (『レコード藝術』57年6月号)

 

出典はいつものこれ。

 

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野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)

 

 

この伝説のライブ盤、当時は3曲しか収録されていなかった。

この3曲だけでも十分おいしいところはおさえてるけど、「Tea for Two」と、「Diminuendo ~」後の「I Got It Bad」も続けて聴きたい。

誰もが模倣できない個の世界 ー武満徹 talks about エリントン。

エリントンの偉大さを讃える際に、その証人として必ずと言っていいいほど引き合いにされる人物が3人いる。

 

1人めはマイルス・デイヴィス

マイルスは、そのあまりにも有名な言葉、「すべての音楽家は、すくなくとも1年のうち1日は楽器を横にエリントンにひざまずき、感謝の念を示すべきだ」を残し、エリントンが死んだときには「He Loved Him Madly」を録音して追悼した。「長く、遠くまで届く」芸術作品の多くは死後時間が経てば経つほど評価が高まるものだが、エレクトリック時代のマイルスもその例にもれない。そして、この曲が収録されている『Get Up With It』はその典型である1枚。

 

2人めはボリス・ヴィアン

自身もジャズ・トランペッターであり、ダンス音楽としてのジャズを愛するヴィアンは、フランスの初期のエリントンを紹介し、ひいてはヨーロッパでのエリントン受容に大きな貢献を果たした。その著作、『日々の泡』の序文、「ただ、2つのものだけがあればいい。1つは恋愛。とにかくかわいい娘との恋愛。もう1つは音楽。それもニュー・オリンズデューク・エリントンの音楽だ。他のものはなくなってしまえばいい、醜いんだから。」という言葉は、上述のマイルスの言葉と並んで引用されまくっている。

 

もはやこの言葉はひとり歩きをはじめており、とうとうミシェル・ゴンドリが『日々の泡』を映画化してしまったのは記憶に新しいところ。ゴンドリも Ellington Lover なのだ。

 

そして3人め。

この3人めが今回紹介したい人物で、日本の作曲家、武満徹

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アメリカ留学の話を打診されたとき、師事する相手としてエリントンを指名した、というエピソードは、クラシック界からのエリントン評価、という文脈で語られることが多い。もっとも、これは日本ならではの紹介のしかたで、ヨーロッパなら武満徹アンドレ・プレヴィンに、イギリスならサイモン・ラトルに関する話になるところだろう。

 

武満徹はもちろん世界的に評価されている現代音楽の作曲家だが、独学で音楽を学んだり、クラシック以外のジャズ/ポピュラー音楽を取り入れたりと、クラシック音楽にこだわらない柔軟さがあった。また、「少年時代最初に感動した音楽がシャンソンのジョセフィン・ベイカーだった」という音楽体験は、エリントン作曲の「Chocolate Kiddies」とベイカーのヨーロッパ公演が同じ1925年に行われていることを考えると、「クラシック~アーリー・ジャズ」とのつながりにおいて不思議な縁があるようにも思えるし、作曲のメソッドとしてジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトを研究したことからはハーモニーへの独特なこだわりが感じられる。このように並べてみると、武満のエリントンへの理解/信仰もうなずけるところがあるのだ。

 

以下に、短い文章だが武満自身がエリントンについて言及しているものを引いておく。 

 

 

武満徹エッセイ選―言葉の海へ (ちくま学芸文庫)

武満徹エッセイ選―言葉の海へ (ちくま学芸文庫)

 

 

誰もが模倣できない個の世界 ーデューク・エリントン

 

 個人的なことだが、私が生まれた一九三〇年に、デューク・エリントンの《Mood Indigo》が生まれている。

 エリントンは、今世紀の最も偉大な音楽家のひとりに数えられていい存在だが、ジャズという音楽への偏見が現在もかなりそれを妨げている。だが、彼の音楽家としての天才を証すのは容易であり、注意深い耳の所有者であれば、その音楽が他の誰からも際立ってオリジナルなものであることが理解できる。その旋律線(メロディーライン)とそれを彫琢して行く和声進行(コード・サクセッション)。そして、その全体が彼の独自(ユニーク)な楽器法(オーケストレーション)によって彩色される。そこには他の誰もが模倣(まね)できないような輝かしい個の世界が創造されている。ともすると近代管弦楽法が、単に物理的な量によって規定され、自由さを喪いがちであるとき、エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間であり、私たちがそこから学ばなければならないものは大きい。

 

(セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ・ジャズ・フェスティバル '89年7月29、30日 読売ランド オープン・シアター EAST)

 

※ 引用者注。( )内は、原文ではルビが振られている。

 

 これは「選集」であり、底本は『遠い呼び声の彼方へ』。

 

武満徹著作集〈3〉遠い呼び声の彼方へ・時間の園丁・夢の引用

武満徹著作集〈3〉遠い呼び声の彼方へ・時間の園丁・夢の引用

 

 

いちいち熟語に振られているルビがうるさいが、全体的なサウンドが「彩色」と表現されているのが興味深い。また、エリントンサウンドが、単なる和声の問題でなく、個々の楽器・プレイヤーの音の積み重ねによる「和音」であることにも軽く言及している。

ただ、字数の制限はあったのだろうが、「近代管弦楽法を規定する物理的な量」という表現や、「エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間」である表現についてもっと説明がほしかった。

これ、レトリックの問題で「量」と「質」を対比させているのだろうけど、これだけだと抽象的でよくわからんなあ。

武満徹のエッセイをパラパラ読んでたら、久しぶりに聴きたくなってきたので、小澤征爾のアレを聴いて、コレもパラパラ斜め読みしよう。

 

武満徹:ノヴェンバー・ステップス ほか

武満徹:ノヴェンバー・ステップス ほか

 

 

音楽  新潮文庫

音楽 新潮文庫

 

 

 

『エリントン・コンサート・アレンジ(Masterpieces by Ellington)』(野口 久光 氏)

 言わずと知れたコロンビア(Columbia)の名盤。

「コンサート・アレンジ」は邦盤タイトルで、原盤は『Masterpieces by Ellington』。

当初発売時のジャケットはこれ。

Masterpieces By Ellington [12 inch Analog]

Masterpieces By Ellington [12 inch Analog]

 

 

エリントン・コンサート・アレンジ

 これは前回の『Ellington Uptown』に先立って吹き込まれた(1950年)エリントン楽団の名作集で、12吋LPに「いれずみ花嫁」〈The Tatooed Bride〉、「Solitude」、「Mood Indigo」、「Sophisticated Lady」の四曲が、コンサート用の編曲のまま演奏される。アルバムの原題は『エリントンの傑作集(Masterpieces by Ellington)』とあるが、まことに堂々たるジャズの傑作ぞろいである。吹込みも1950年といえば必ずしも新しくないが、レコーディングのよさは今日なおあらゆるジャズ・レコードを含めても一、二を争うすばらしいものである。そればかりでなく、エリントンの最大スターともいうべきジョニー・ホッジス(as)が彼のメンバーとして最後に吹込みを行なったレコードでもあり、往年のエリントン・カラーの出た、最良のレコーディングということにもなる。1931年の作「Mood Indigo」(原文ママ)はジミー・ハミルトン(cl)、ホッジス(as)、エリントン(またはストレイホーン)(p)、ポール・コンザルヴェス(ts)、イヴォンヌ(vo)やレイ・ナンス(tp)、クェンティン・ジャクソン(tb)などがフィーチャーされた14分余にわたる演奏で、従来のSP盤などには味わえぬのびのびとした演奏をたのしませてくれる。1933年の作(原文ママ)「ソフィスティケイテッド・レディ」はエリントンの芙しいピアノ・ソロ、イヴォンヌの文字通りソフィスティケイトなヴォーカル、ローレンス・ブラウンのスウィートなトロンボーンなどを中心としたムーディな傑作。第三曲目の「いれずみ花嫁」はエリントンの書きおろしたコンサート作品で、ジャズのリズムを失わず、エリントンが傾倒しているといわれるドビュッシーレスピーギストラヴィンスキー及びガーシュウィンなどの影響を受けた野心的な作品である。クラシックの作曲家がこれまで試みたジャズ風ないわゆるシンフォニックージャズ作品とは違ってジャズのイディオムを以て書かれたシンフォニック作品として傾聴に価いするものであろう(11分半)。最後の「ソリテュード」は1934年に彼が書いた名曲で、往年のエリントン・カラーが、優れた録音によってかつてないほど豊かに発揮されている。ハリー・カーネイのバリトン・サックス、ホッジスのアルトほか、ハミルトンのクラリネット、アンダーソンのトランペット、ブラウンのトロンボーンなどのソロも見事なものである。

 これはジャズLP中の傑作であり、エリントンの「傑作」として絶対に推鷹できる一枚である。

(『レコード藝術』55年7月)

 

エリントン・コンサート・アレンジ 」は当時の邦盤のタイトル。

批評というよりも「紹介文」なレビュー。

 

「Mood Indigo」「Sophisticated Lady」が書かれたのは、それぞれ1年前の30年、32年だが、それはまあ、よしとしよう。小さいことだ。

 

出典は野口久光氏の著作集から。

 

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野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)

 

 

それにしても、「エリントンの最大スターともいうべきジョニー・ホッジス(as)が彼のメンバーとして最後に吹込みを行なったレコード」という表現は当時ならではのコメントだ。ミーハーな感想だが、当時はエリントンオケの動向をリアルタイムで体験できた、というのは羨ましい。

 

その後、この作品は再発されたけど、ジャケットはこっちの方がクールだよね。

Masterpieces By Ellington

Masterpieces By Ellington

 

ホッジスの乱から生まれた名盤、『Ellington Uptown』『Hi-Fi Ellington Uptown』

『Masterpieces by Ellington』と並んで、50年代初期の名盤として紹介されることの多いこのアルバム、初発・再発の経緯がややこしい。

まずは野口久光氏の発表当時の解説から見ていこう。

 

Ellington Uptown

Ellington Uptown

 

 

 楽壇生活三十年近いエリントンの数多い吹込みの中には傑作も少なくないが、LPとして吹き込んだ最近のものの中で最も力作であり、録音もまたLPジャズの最高のもののひとつである。吹込みは1951年、大分オリジナル・メンバーが抜けているが、ハリー・カーネイ(bs)、レイ・ナンス(tp)、ファン・ティゾール(tb)の旧メンバーもおり、ジミー・ハミルトン(cl)、ポール・ゴンザルヴェス(ts)、ラッセル・プロコープ(as)、ヒルトン・ジェフアーソン(as)、キャット・アンダーソン、クラーク・テリー、ウィリー・クック(tp)、クェンティン・ジャクソン、ブリット・ウッドマン(tb)、ウェンデル・マーシャル(b)、それにドラムのルイ・ベルソンを加えたベテランと新鋭の陣容で、質的には一流のビッグ・バンドであり、このLPは実にききごたえがある。

 五曲のうち新曲でコンサート用の組曲「ア・トーン・パラレル・トゥ・ハーレム」はエリントンの仕事の上の故郷ニューヨークのハーレムを主題にした大作で、まさしく鑑賞者を対象にしたジャズであるが、気軽にきくにしては編曲も重厚かつ技巧的で肩がこるかもしれない。しかしこういう曲を書き演奏しているのはエリントンひとりで、その野心と境地は他に求められない。「スキン・ディープ」はベルソンの自作でドラムを主体とした最も派手なジャンプ・ナンバーである。「ザ・ムーチ」に「パーディド」「A列車で行こう」はもともとエリントン楽団のレパートリー曲で、ここではコンサート或いはLP向きのゆとりのあるアレンジによる力演で、後者二曲にはベティ・ローシュのモダンなスキャット入りのヴォーカルがフィーチャーされている。全体にゴンザルヴェス、カーネイ、ハミルトン、プロコープ、アンダーソン、ナンス、ティゾール、ジャクソンなども充分ソロを堪能させてくれる。ある意味ではここ十年間のジャズの一つの傾向をクローズ・アップした現代のジャズの縮刷版として一聴をおすすめしたい。

 (『レコード藝術』54年11月号)

 

出典はこれ。

 

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野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)

 

  

 

まずはじめに、ややこしい 文献学的な整理をしておこう。

『Ellington Uptown』のほかに、タイトルが似ている『Hi-Fi Ellington Uptpwn』というアルバムがあるが、これは単に前者の音質を改善しただけのものではない。まずこの点に注意。51年と52年に録音され('51, 12/7, 12/11, '52, 2/29, 6/30, 7/1(「リベリア組曲」は'47, 12/24))、52年に発表されたオリジナル盤の収録曲は全5曲。

 

Uptown (1951-1952)

Uptown (1951-1952)

 

A1  Skin Deep
A2  The Mooche
A3  Take The "A" Train

B1  A Tone Parallel To Harlem (The Harlem Suite)
B2  Perdido

その後、56年にB1の「ハーレム組曲」が「コントラバーシャル組曲」に差し替えられ、『Hi-Fi Ellington Uptpwn』として発表された。

 

ハイ・ファイ・エリントン・アップタウン+1

ハイ・ファイ・エリントン・アップタウン+1

 

A1  Skin Deep
A2  The Mooche
A3  Take The "A" Train

B1  Perdido
B2  Controversial Suite
  -1. Before My Time
  -2. Later

 

そして2004年、差し替えられた「ハーレム組曲」を復活させ、さらに47年録音の「リベリア組曲」が追加された、いわゆる「完全盤」が発表された。

 

Ellington Uptown

Ellington Uptown

 

1  Skin Deep
2  The Mooche
3  Take the "A" Train"
4  A Tone Parallel to Harlem (Harlem Suite)
5  Perdido
6  Controversial Suite Part 1: Before My Time
7  Controversial Suite Part 2: Later
8  The Liberian Suite: I Like the Sunrise
9  The Liberian Suite: Dance No. 1
10  The Liberian Suite: Dance No. 2
11  The Liberian Suite: Dance No. 3
12  The Liberian Suite: Dance No. 4
13  The Liberian Suite: Dance No. 5

一般的には、1枚で聴ける曲が増えたことを喜ぶべきなのかもしれない。しかし、この「完全盤」の#8-13は居心地が悪い。というのも、まさにこの作品の録音時期の1951年といえば、「ホッジスの乱」によってオケのメンバーの大きな交代が起こった時期だからだ。この交代を跨いだ録音が並列的に収録されているのは違和感があるなあ。この「完全盤」、管理人にとっては「完全(?)盤」なのだ。

 

「ホッジスの乱」について簡単に説明しておこう。

 

 

 1951年、ホッジスは自分のバンドを率いるためにソニー・グリーアとローレンス・ブラウンとともにオケを離れた(「ホッジスの乱」)。リード・アルト、ドラム、そして頼りになるトロンボーンソリストを失ったエリントンは非常手段に出た。

バンドからのヘッド・ハンティングである。

 

 

この危機を救ったのがほぼ同じ年の友人、ファン・ティゾール。エリントンオケを退団後、ティゾールはハリー・ジェイムスバンドに在籍していたが、このエリントンのピンチを救うため、ウィリー・スミスとルイ・ベルソンとともにエリントンオケに帰還した(「ジェームス大強奪(The Great James Robbery)」)。ウィリー・スミスといえば、スウィング時代の3大アルトの1人。

オケを去った3人の損失は大きかったが、その埋め合わせもそれに見合ったものといえるだろう。特にドラムの交代は大きかった。

 

このときの人事異動をまとめておこう。

(OUT)Johnny Hodges, Sonny Greer, Larence Brown

(IN) Juan Tizol, Willie Smith, Louie Bellson 

 

エリントンオケにグルーヴ・メイカーとしてのドラムが導入されるのはこの作品が初めて。管理人はそう考えている。ベルソンの加入により、エリントンはオーケストラのサウンド、特にドラムの役割を考え直したに違いない。それほどまでにベルソンのドラムは圧倒的だ。今聴くと華やかすぎるというか、「Skin Deep」のような長いドラムソロは「こういうの聴きたいわけじゃないんだよなあ」と思ってしまうが、グルーヴへの貢献という面においてこれまでのエリントンサウンドでここまでドラムが主張をしたことはない。エリントンの喜びは選曲にも現れている。 あえて「The Mooche」「A列車」なんていうオケの定番曲を再録しているのは、新しいサウンドの提示にほかならない。「A列車」の歌バックのブラシだけ聴いてもグルーヴ感がケタ違いだ。ダイナミクスの緩急、テンポ・チェンジなんでもOK。エリントンのドヤ顔が目に浮かぶようだ(ちなみに「Perdido」も収録されているのは、この人事の功労者、ティゾールを称えてのことではないだろうか。この「Perdido」では、ポール・ゴンザルヴェスとジミー・ハミルトンのユニゾン・ソリも聴ける。ここではテナーとクラリネット)。

 

だからこそ、「リベリア組曲」が浮いて聞こえるのである。エリントンが生きていたらこんな編集は絶対しなかったと思う。ただ、ではこの「リベリア組曲」がまったくの蛇足かというと……リスナーの立場からは、潔く即断することは難しい。というのも、この「リベリア組曲」、CDで簡単に入手できるのはこの『Ellington Uptown』完全(?)盤のみ。イタリアや海賊盤などではCDで単独で発売されており、今でこそMP3音源などで手軽にアクセスできるようになったが、完全(?)盤の発売までは気軽に聴けない音源だった。その意味では、この抱き合わせは確かに嬉しい編集なのである。

 

リベリア組曲自体は、組曲ものとして聴き応えのある作品。レイ・ナンスのバイオリン(「Dance No.3」)や珍しくビブラフォンがフィーチャーされていたり(「Dance No.2」。ただし演奏はソニー・グリーアじゃなくてtbのTyree Glenn)、ケレン味たっぷりのソニー・グリーアのティンパニなど、色彩豊かであることは間違いない。

Liberian Suite

Liberian Suite

 

 

 

 ベルソンのドライブ感は停滞・下降気味だったオーケストラのカンフル剤として実に効果的だった。ベルソンのドラムは、まさにオケを次の次元にドライブさせることになる。『New Port '56』の劇的なカムバックは、ベルソンのカンフル剤があったからこそだろう。単にポールの調子がよかったから、だけではないのである。

 

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寺島靖国氏、安原顕氏の浅薄さ、いい加減さにガッカリ。

はあ……マスター、久しぶり。 

あんまりここでは否定的なことは言いたくないんだけど、最近読んだ本があまりにもひどくてさ、ガクッときちゃったからちょっと愚痴らせてよ。 

読んだ本ってのはこれなんだけどさ。 

 

JAZZジャイアンツ名盤はこれだ! (講談社プラスアルファ新書)

JAZZジャイアンツ名盤はこれだ! (講談社プラスアルファ新書)

 

 

たった2回の対談をまとめただけの本なんだ。いや、それはいいんだよ、内容が面白ければ。ぼくは面白くないから腹が立ってるんだよ。例えばこんなところ。エリントンが好きだからさ、エリントニアンの名前とかが目に入るとドキッとしちゃうわけよ、こっちとしては。

 

安原 トロンボーンを始めてからアービー・グリーンが好きになったって書いてたけど、J・J・ジョンソンとかカイ・ウィンディングとか、トロンボーン奏者のジャイアンツもたくさんいるけれど、いまは誰が好きなの?

寺島 たったいまはローレンス・ブラウンだね。

安原 誰、それ? 知らない。

寺島 エリントン楽団にいた黒人のトロンボーン奏者なの。今度「PCMジャズ喫茶」に持って行きますよ。アービー・グリーン系の音で、ベルベット・トーンなの。ビロードの上を銀の靴下で歩いていくような音、ゴリゴリつていうんじゃなくてね。実に微妙な音を出すんだよね。

(82-83頁)

 

 

この時点でやな予感はしたんだ。そりゃローレンス・ブラウンは有名…ではないかもしれないけど、ジャズの本を読んでればちょこちょこ耳にする名前だと思うけどなあ、ボントロ奏者自体、あまりたくさんいないし。ヤスケンさんよ、大丈夫かい?

で、この寺島氏のトロンボーンの先生のライブに行った話もあったりするんだ。がっかりしたのはこのくだりなんだ。

 

安原 そのバンドって、スタンダードばっかり?

寺島 スタンダードが中心だけど、なかなか面白いバンドなの。

安原 ジャズでバス・トロンボーンが入るのって珍しいよね。

寺島 そうね。この前、カウント・ベイシー・オーケストラを聴きに行ってわかったんだけど、例えばトロンボーンが四人、サックスが四人いたとする。アンサンブルの時って、サックスならサックスが同じ音とハーモニーを出していると思う?

安原 思う。

寺島 ところが実際には、一人一人全部違うことをしているのね。

安原 ええ! そうなの。

寺島 おれも知らなかったんだけど、合奏する時って、サックス、トロンボーン、トランペットとセクションが三層になってるよね。ところが各人のハーモニーは全然違うんだって。それに気づいたのは、トロンボーン四人のスライドの位置が違うからなの。あれっと思って、一人一人聴いてたら、違うことを演ってるの。いやあ、驚いた。そういうことも楽器をやってみて初めてわかったことだね。だからこの前は、ブッチ・マイルスのドラムじゃなくて、トロンボーン・セクションばっかり見てた。

(171-172頁)

 

 まず、この文章が何を言ってるのかよくわからないんだよ。「アンサンブルの時って、サックスならサックスが同じ音とハーモニーを出している」とか、「各人のハーモニーは全然違う」とか、「ハーモニー」の意味がわからない。

あれっと思って、一人一人聴いてたら、違うことを演ってるの」というところ、最初読んだときは対位法みたいに、セクション内で皆がバラバラの動きをしているのか、ベイシーなのにずいぶん難しいことしてたんだなあ、と思って読んだんだけど、全然違う。セクション内でリード、セカンドサードっていうパートをそれぞれ吹いてただけの話でしょ、これって。 どうもこの2人、ホーンセクションって全員ユニゾンで同じ音吹いてると思ってたみたい。…まさかなあ、そんなアホなこと言ってないだろうと思ってたけど、ここからはそうとしか読めないなあ。本当に最初は何言ってるのか全然わからなかったよ。音楽評論家としてどうなの、これ。小学生の芸術鑑賞会の感想文じゃないんだから。 あと、ジャズでバス・トロンボーンって、コンボ以上の少し大きい編成の場合は別に珍しくないでしょ。

 

え? 今日はいつになく「上から発言」じゃないかって? そうかもね。いや、これが普段音楽とかあまり聴かない人が言ってるんなら、ぼくもこんなこと言わないよ。でも、この2人は音楽評論でお金もらってる人なんだよ。それがコレじゃあなあ。評論家がバカにされるわけだよ。

 

正直、これよく発表したな、と思うよ。自分だったらこんな発言は廃業宣言と同義だよ。だってこれって、ハーモニー/和音というものがまったくわからない、と言ってるのと同じことでしょ? それも、メジャーやマイナーといったハーモニーの和音の区別に関することじゃなくって、単音(ユニゾン)か和音か、というレベルの話なんだから。AKBとかジャニーズのユニゾンのボーカルが聞こえても、この2人にはハーモニーに聞こえるんだろうね。いや違うよ、ユニゾンを馬鹿にしてるわけじゃないって。ユニゾンでありながら表れる「ゆらぎ」の気持ちよさってのがあるよね。アイドルものの楽しさってそれだし、エリントンやベイシーだって効果的にユニゾン使うことあるしね。これで今までよく音楽評論家を名乗れたな、と思う。ヤスケンさんって、クラシックも詳しいんじゃないの。ボロって、こういうなんでもないところで出ちゃうのかもね。 

 

あとさ、これって読者をバカにしてると思うんだ。寺島センセイがこんなこと言うのは、これが皆と共有できる新たな発見だと思ってたからでしょ? つまり、「オレの読者もこのことは知らないはずだ」って。いやいや、発見だと思ってるのはあなただけですよ、センセイ。寺島センセイの読者は、以後このことを意識した方がいいと思うなあ、この程度と思われてるんですよ、読者のみなさんは。まあ、ヤスケンさんには新たな発見だったみたいだけど。

 

これでこの人達が音楽について書いてきたことに関する信用度がガタッと落ちちゃったなあ。まあ、これまでもそんなに読んでなかったけど。長い愚痴になって悪いね。ヤスケンに関しては最近こんな本を読んでさ、これもひどかったんだよ。

ハラに染みるぜ!天才ジャズ本

ハラに染みるぜ!天才ジャズ本

 

 

何しろ、自分の気に入らないものはすぐに「クズ〇〇」と切捨てて終わり。ただただ、読んでて辛かった…。

褒める場合は短い言葉でもいいが、批判する場合は言葉を尽くすのが相手/対象に対する礼儀である,というようなことを確か四方田犬彦がどこかで書いてたけど、その意味でマナー違反だよ、ヤスケンは。今日、ぼくがこんなにだらだら喋ってるのもそれが理由でさ、何が嫌だったか、ということはきちんと言っておくべきだと思ったんだよね。

せめて悪口が芸になってればいいけど、読んでて苦痛になるのはいいとこなしだ。それって書き手のストレス解消なだけ。フラストレーションが溜まってるなら、プライベートに処理してよ。こっちまでイライラしちゃうよ。寺島センセイの「辛口」ってのもあてにならないなあ。まともなこと言ってて厳しいのなら辛口だけど、自分の好みとかを何も考えずに書いてるだけなんじゃないの。 

 

だけど、いい面もあるんだ。

以後、この2人の書いたものはまったく気にしなくていい、ということがわかったから。今はとにかく目に入ったエリントンに関するものを読み漁ってるところでさ、考える前の話として、そのチェックだけでも時間取られて大変。だから、この2人が書いたものを除外できるのはうれしいね。著作の数だけは膨大だから。

一応、気にはしてたんだよ? なにしろ、片や「スーパーエディター」……あれ? 「スーパー・エディター」かな? ああ、中黒は要らないんだ、一語のつもりなのかな、どうでもいいけど……、片や「人気ジャズ評論家」兼「ジャズ喫茶経営者」だもんね。

世間的にはすごく人気のある2人だけど、ぼくが好きな作家、もの書き、ミュージシャン達はたいていこの2人のこと批判してるから、気にはなってたんだ。本当のところ、どうなんだろって。…批判されるのには理由があるもんだね。むしろ、世間的に人気があるのが不思議だよ。まあ、世間の評価をあてにせず、自分の頭で評価しろ! ということのいい教訓にはなったね。

 

マスター、ごめん。耳を汚しちゃったね。

また来るよ。今度はもう少し楽しい話を持ってくるから。

アリス・バブスの訃報と、Jazz Collection 1000 のエリントン(柴田浩一氏)。

昨日に引き続き、JAZZ Japan vol.44 から。 

菊地成孔氏のペペ・トルメント・アスカラール、『戦前と戦後』の「A列車」の引用の他にもエリントン関係の記事があったので引いておく。

JAZZ JAPAN (ジャズジャパン) Vol.44

JAZZ JAPAN (ジャズジャパン) Vol.44

 

 

まずはアリス・バブスの訃報。 

 

シンガーのアリス・バブスが逝去


 デューク・エリントン楽団と共演したスウェーデンのヴォーカリスト、アリス・バブスが、2月11日にアルツハイマー病のため、ストックホルムで逝去した。 90歳だった。
 バブスは1924年1月26日、同国のカルマール生まれ。ピアニスト・作曲家の父親のもとで育ち、15歳でレコーディング・デビュー。40年の映画『スィング・イット、マギスターン』で飛躍し、ヨーデル調の歌唱やノベルティ・ソングで人気を得た。映画は20作品に出演。58年に母国の歌手として初めて参加した《ユーロビジョン》(ソング・コンテスト)で4位に入賞し、スベンド・アスムッセンを含むバンドを始動。評判を呼んだことで米国ツアーも実現し、「エド・サリバン・ショー」に出演した。
 63年デューク・エリントンに認められて、パリ録音の同楽団作『セレナーデ・トゥ・スウェーデン』に参加。68年にNYで行われた同楽団の『セカンド・セイクレッド・コンサート』でも共演している。72年にはオペラ歌手以外で初めてロイヤル・コート・シンガーの栄誉を受け、王室音楽アカデミーの会員になった。
 代表作はニルス・リンドバーグ楽団との『セレネイディング・デューク・エリントン』(74~75年, Prophone)。

 

『Serenade to Sweden』はこれ。

美しい作品だ。

今年2017年の2月に世界初CD化された。 

SERENADE TO SWEDEN

SERENADE TO SWEDEN

 

 

ただし、誤解のないように説明を加えておくが、タイトル曲の「Serenade to Sweden」は、すでに1939年、二回目のヨーロッパ旅行中に滞在先のスウェーデンで誕生日を迎えたことを記念して書かれた曲だ。このときに書かれた曲ではない。しかし、アリス・バブスと共演するのにピッタリの曲ではないか。アルバム・タイトルもこれ以外考えられない。

ほかにエリントンとの共演は、記事中のこれとか、 

Second Sacred Concert

Second Sacred Concert

 

 

晩年のこれとか。  

In Sweden 1973

In Sweden 1973

 

 

師や仲間が次々と世を去る中、バブスのことは昔からの音楽的知己として大事にしていたことだろう。年代的にバブスはマイルスと同じくらい。そう考えるとバブスはずいぶん長生きしたなあ。

 

『Serenading Duke Ellington』は、エリントンが亡くなった直後に録音された追悼盤。

Serenading Duke Ellington

Serenading Duke Ellington

 

 

バブスについては本館でも簡単にまとめてある。

 

次は『デューク・エリントン』の作者、柴田浩一氏が薦めるエリントン。

ソニーの「JAZZ Collection 1000」の発売を記念して、このシリーズに含まれるエリントン作品の紹介である。

 

私はコレを聴かせたい

人気ラジオDJがオススメする "Jazz Collection 1000"

~マイルス&エリントン

 

バラエティと個性に富み、いずれも手に入れたいアルバム。


柴田浩一さん(NHK横浜放送局「横浜サウンド☆クルーズ」DJ)
 皆さんに支えられて当番組もこの4月で6年目を迎える長寿番組となった。昨年の200回目には滞在中のシカゴから生中継も成功させた。生放送の公開無料ライヴも大好評で本当に嬉しい限り。出演ミュージシャンまで喜んでくれるのが最高だ。ジャズの街・横浜から放送しているが、県域外でも聴ける所があるので近くにお住まいの皆さんはぜひお楽しみいただきたい。当番組は何でもかけてしまうのが特長で、ラジオではめったに聴けない曲も流しています。
 さて「JAZZ COLLECTION 1000」のうち、エリントン関連は6枚。バラエティと個性に富み、いずれも手に入れたいアルバムだ。『コンプリート・アット・ニューポート1956 + 10』は伝説のライヴ。何といっでもポール・ゴンサルベスの27コーラスのソロ(長尺だったが番組でかけた)が売りだが、「ジープス・ブルース」の別テイクにジョニー・ホッジスの滅多にないミスが記録されているのも完全収録版ならでは。

 

コンプリート・アット・ニューポート1956+10

コンプリート・アット・ニューポート1956+10

 

 

『三大組曲』はクラシック曲を調理。曲は借用だが、エリントンの音楽になっていて教材としても価値ある気合いの入った編曲。 

三大組曲

三大組曲

 

 

ローズマリー・クルーニーが歌う『ブルー・ローズ+ 2』(56年)のタイトル曲は初演。ロージーはヴォーカリーズで加わる。その後63年にはコンボでも再録されたが、もっと演奏されてもよい曲だ。

ブルー・ローズ+2

ブルー・ローズ+2

 

 

『ザ・デュークス・メン』は「キャラヴァン」の最高の演奏が聴けるコンボもので、ジャズ・ファン必携のアルバム。他にも心温まる「ラヴズ・イン・マイ・ハート」等、本作には名演が目白押し。

ザ・デュークス・メン

ザ・デュークス・メン

 

 

 

『マスターピーシィズ・バイ・エリントン』はジャズLP第1号。退屈な1曲を除けば有名曲3曲は時間を延ばしたのにもかかわらず素晴らしい編曲がなされていて演奏も凄い。

マスターピーシィズ・バイ・エリントン

マスターピーシィズ・バイ・エリントン

 

 

『ホッジ・ポッジ』ホッジス名義だが中身はエリントン楽団だから、悪かろうはずがない。ホッジス初期の代表作にして有名曲も多い。

ホッジ・ポッジ

ホッジ・ポッジ

 

 

 エリントン楽団の再発希望は多々あるが,中でもピック・アップ・メンバーによる『ザ・コズミック・シーン』(9人編成),『アンノウン・セッション』(7人編成)は名人芸の宝庫。ディジー・ガレスピー、ジミー・ラッシング、ジミー・ジョーンズ、9人のパーカショニストをゲストに迎えた『ジャズ・パーティ・イン・ステレオ』も貴重だ。そして、我が愛聴盤『ピアノ・イン・ザ・バックグラウンド』(以上全てColumbia)も日本初CD化を望みたい。


■よこはま発ジャズ・クルージング
NHK横浜放送局(横浜81、9MHz/小田原83.5MH2)「横浜サウンド☆クルーズ」の毎週水躍日18時~19時オン・エア。毎月第4週には無料公開ライヴも実施(パーソナリティー 眞方富美子)。

 

「バラエティと個性に富み」とはまさにそのとおり。

コンボ(スモール・グループ)とホッジス作品が入っているのも嬉しい。音楽的な説明が少ないのが残念だが、限られた紙面では仕方がなかったのかもしれない。

 

それにしても、『三大組曲』のジャケットはなんとかならなかったのだろうか。

これじゃなんかゲイっぽいというか、サイモン&ガーファンクルのアレっぽいというか…。

ブックエンド

ブックエンド

 
三大組曲

三大組曲

 

 

実質的な編曲者であるストレイホーンを立ててのジャケットなんだろうけど、周りの飾りのイラストといい、中身とのギャップがはげしい。ストレイホーンが筆を振るっている後ろでエリントンがそれを微笑んで見守ってるとか、そういうジャケットにすればよかったのに。

ちなみに「三大組曲」とは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」と、グリーグの「ペール・ギュント」、スタインベックの『Sweet Thursday(楽しい木曜日)』にインスパイアされた「木曜組曲」のこと。

 

ローズマリー・クルーニーの歌ものも素晴らしい。コットン・クラブ時代から、歌伴はエリントンオケの十八番。「エリントンを聴く」という重圧を感じずに、気軽に毎日聴ける雰囲気の作品なので、管理人もよく人に薦めたりプレゼントしたりしている。

 

『Newport '56』と『Blue Rose』については本館を。

 

『Masterpieces by Ellington』の「退屈な1曲」、というのは「The Tattooed Bride」のことだろう。でも、特に「退屈」には感じないけどなあ。何より曲名がいいじゃないか、「刺青の花嫁」だよ。訳の問題だけど、ここは「入れ墨」じゃなくて「刺青」としたい。というのも「刺青の花嫁」はこのアルバムのB面1曲目に収録されているんだけど、A面1曲目は「Mood Indigo」。つまりA面とB面の冒頭がエリントンの愛するIndigo/Blueでつながるわけで、ここにLP第一作目にかけるエリントンの験担ぎをみることができる(そういえば、エリントンのカムバックの契機となったのも上記『Newport '56』の「Dimunuendo in Blue and Crescendo in Blue」なのだ。エリントンは験担ぎとして「青」を自分のラッキー・カラーとしていた)。

 

この曲、高野雲さんのブログでも言及されている。


高野さんは「オレンジ色のドレス(Orange Was the Color of Her Dress, then Blue Silk)」にそっくり、と感じたらしい。どちらかというと、管理人は『黒い聖者と罪ある女(The Black Saint and The Sinner Lady)』を連想したが、確かにミンガスの作曲のに通じる雰囲気はある。なるほど、ミンガスはエリントンのこういう音楽を理想としていたのだ。それにしてもミンガスは曲名がキマッているなあ。

ペペ・トルメント・アスカラール『戦前と戦後』における「A列車」。菊地成孔氏のインタビュー抜粋。

そういえば、ペペ・トルメント・アスカラールの『戦前と戦後』、最後に「A列車」の引用があったような。

そう思い、『Jazz JAPAN』(2014年4月、vol.44)を読み返す。 

JAZZ JAPAN (ジャズジャパン) Vol.44

JAZZ JAPAN (ジャズジャパン) Vol.44

 

 

特集が「菊地成孔の音楽錬金術」なのは、ペペ・トルメント・アスカラールの『戦前と戦後』、『夜の歴史』の発売を記念したため。今回読み返したのもそれが理由である。

戦前と戦後

戦前と戦後

 

 

『夜の歴史』 はこのオケのベスト盤。

 

雑誌冒頭に菊地成孔氏のインタビューがある。本作品に関係するところだけ引いておく。 

  

今の日本が戦前なのか戦後なのか? というシンプルな問いが最初にあった


 ブエノスアイレスの旅から戻り、『南米のエリザベス・テイラー』の録音をきっかけに生まれたぺぺ・トルメント・アスカラールの活動もいよいよ今年で9年目に突入する。『野生の思考』『記憶喪失学』『ニューヨーク・ヘルソニック・バレエ』と一作ごとに異なるアプローチをみせた菊地、今回の新アルバム『戦前と戦後』は、全11曲中の10曲が自身のヴォーカルという異色の「ソングプック」仕立てになっている。


菊地(以下、K):今までのベペ・トルメント・アスカラールは、僕がサックスを吹くインストルメンタル・ユニットでしたが、今回は戦前の歌謡スタイルからフル・アコースティックのヒップホップまで、全曲ヴォーカルもしくはラップです。来年でこのオルケスタも1O年目、アルバムもだいぶ出揃って来た。だいたい7~8年活動してアルバムが5~6枚出ているバンドつて、自己模倣というか同じ事の繰り返しになることが多い。今回はソニー・ミュージックの中で立ち上げた自分のレーベルTABOOの第1弾ということもあり、なるべくフレッシュなものにしたかった。ソングブックの形にしたのは僕自身も含めてペペ・トルメント・アスカラールのリフレッシュメントという感じです。

 今回菊地がカバーした楽曲は戦前の昭和歌謡ディック・ミネから80年代歌謡の薬師丸ひろ子、さらにはアメリカンクラーベ主幹のキップ・ハンラハンに及び、キップと彼の娘はテキスト・リーディングにも参加している。他にソプラノ歌手の林正子、12歳のフランス人少女(アマチュア)、日本のアンダーグランド・ヒップホップ界のトップチーム「SIMI LAB」からMCのOMSB、 DyyPRIDE、覆面フィメール・ラッパーICIなどがフィーチャーされている。まさに戦前歌謡のスタイルからフル・アコースティックのヒップホップまで、過去の諸作を超えた変幻自在な音響空間が出現する。特に際立つのはアルバムに通奏している戦前歌謡のスタイル、ブエノスアイレスの深夜のタングリアや映画館の暗がりと共に、ぺぺ・トルメント・アスカラールの原風景がそこに見えるようだ。

K:日本に輸入されたジャズの歴史を考えると、スイング・ジャズとか、多くのジャズ・ソングというのは、焼け跡が復興する歌みたいに捉えられがちですね。要するに進駐軍が入って来た後の現象として。しかし、戦前の日本は今回のアルバムで僕がカバーしたディック・ミネさんみたいなジャズ・シンガーが活躍していた。そもそも戦前の日本人はジャズが苦手で、黒人のようなリズム感がなかったなんていう説は、戦後のジャズ喫茶で育った団塊世代の人たちのねつ造なんですね。瀬川昌久先生が尽力されている戦前の日本のジャズ研究を見ても、ディック・ミネさんに限らず、日本のジャズは相当高い水準にあった。戦前の日本には立派なダンスホールがあったわけで、タンゴやマンボも素晴らしかったわけです。

 それにしても『戦前と戦後』という意表をついたアルバム・タイトル、歌~詩~言葉~メッセージ…、単なるリフレッシュメントという言葉では片付けられない奥の深さを感じさせる。

 K:多くのミュージシャンが戦争をまたいで生きている。ディック・ミネさんもそうですが、デューク・エリントンなんて世界大恐慌の前に“コットンクラプ"に入って、第二次大戦を経過してヴェトナム戦争まで見ている。戦争が無い時代、戦争に向かいつつある時代、戦争の真只中、戦争が終わり復興に向かう時代、それを全部見ている音楽家がいる。ジミ・ヘンドリックスもヴェトナム戦争を抜きに彼の存在は語れない、何らかの形で戦争イメージが音楽に張り付いているんですね。
 今の日本が戦前なのか戦後なのか? というとてもシンプルな問いが最初にあって、それをどうやって音楽で表現しようかなと思ったとき、戦前~戦中~戦後、いろんな時代の音楽スタイルを同じオルケスタで、同じ歌い手が歌うということで、それでどう聞こえるかという興味があった。そこで、タイトルを「戦前と戦後」ということにしました。

 戦後、しばらく経ってから私たちが耳にしたスローガン「もはや戦後ではない」を指して菊地は「今はもはや戦後でもない」と言いきった。戦後がいつの間にか戦前にとってかわる歴史の流れ。しかし、薬師丸ひろ子に代表される80年代歌謡が日本の街中に溢れた頃、誰にも戦争のリアリティは無かったと菊地は語る。

K:終戦後、しばらくは復興の時代が続き、やがて”もはや戦後ではない"といスローガンが掲げられ、バブル絶頂の80年代には日本で戦争など絶対に起こらないし、これからも永久に無いだろう…というふうに皆が信じていた。その裏ではフォークランド紛争があり、世界の何処かで戦争が起きたのですが、自国の戦争からは最も遠いところにいたわけですね。この時代の歌が今回カバーした薬師丸ひろ子さんの「WOMAN」です。ところが、あれから30年くらい経ってみると、状況は激しく変わっている。特に若い人たちの間で、戦争のリアリティが高まっているように感じます。

 タイトル曲の「戦前と戦後」の舞台は雨上がりの銀座、いかにも戦前の歌謡スタイルを踏襲した曲想に乗って「あの空がずっと見て来たこと、街はいつだって戦後、戦前、戦後…」というフレーズが登場する。詩を捨て熱帯に向けて出帆したアルチュール・ランボーとは逆に、溢れるほどの言葉を携えて、菊地は熱帯の航海からひとまず2014年の東京に帰還した。今こそ、彼のような音楽家が最も必要とされる時代に。

K:前作の:ニューヨーク・ヘルソニック・バレエムから僕の中では人類学的なテイストは取り払い、いわば“脱熱帯"になった。誰にでも亡命願望はあります。青山をパリだと思っている人、新宿をニューヨークだと思っている人、大久保を明洞だと思っている人もいる。都市の同―性が崩れ、此処にはいたくないと思っている人が沢山いる。僕は音楽を作るときに精神的な亡命が起こってしまうのだけど、今回はそれが起きてない。今回は紛れも無く東京、ここは熱帯ではない。この感覚もひとつのリフレッシュメントかもしれません。
(インタビュー・文 白柳龍一)

日本の戦前のジャズの歴史についてのコメントが興味深い。戦前のジャズ(に限らず芸能全般)は、最近になって研究が活発になっている分野であり、インタビュー中の「捏造」の検証も含め、今後の研究成果が楽しみな分野だ。このブログに関係することといえばつまりSP時代のエリントンであり、具体的には野口久光氏の世代の受容・紹介を調べていきたい。

 さて、頁をめくっていくと、本作品のバックグラウンドに及ぶ解説から、サロン・ミュージックのパイオニア、杉井幸一の紹介まで遡る毛利眞人の文章に遭遇。そうそう、これを読みたかったんだよ。

 

 ディック・ミネが昭和11年(1936)5月8日に吹き込んだ「たゞひとゝき」(Empire of Jazz テイチクエンタテインメント TECH37270 /1 に収録)が菊地の新たな歌詞(最後にディック・ミネ版の歌詞も登場する)とヴォーカルでカバーされているのも目を惹く。原曲はドイツ映画「マズルカ(1935)でポーラ・ネグリが歌った「Nur Eine Stunde」。オリジナルのヨーロピアンな暗鬱さが、まず杉原泰蔵の垢抜けたアレンジとディックのスタイリッシュなバタくささで拭い去られているのだが、これを菊池はさらに明朗で時代感の浮遊する不思議なナンバーに仕立てた。“この歌をどこかで聴いたことがありませんか? そう、この歌は過去や未来にほかの誰かが作った歌”と菊地が歌うとおり間奏からデューク・エリントン楽団のテーマ曲「A列車で行こう(Take the A-train)」(1939)が絡み、さらに時空を超えて原田真二の「てぃーんずぶるーす」(1977)につながる。この二つのワクワクするメロディがメイン・コーラスと奇妙な調和をみせながら敷行進行する。つまり、このナンバーでは時間軸と空間軸が交錯した三つの物語が時を同じくしているのだ。(85-86頁、斜体部分は引用者挿入)

菊地氏の「この歌は過去や未来にほかの誰かが作った歌」という言葉が興味深い。ただ、毛利眞人氏は「三つの物語」としているが、物語はもう少し重層的なのではないか。

菊地氏がディック・ミネに扮して当時に歌っているとすると、「たゞひとゝき」録音時が「現在」で、そこからの「過去」としてドイツの『マヅルカ』のポーラ・ネグリによる「Nur Eine Stunde」。そしてアメリカのエリントンの「A列車」と日本の原田真二の「てぃーんずぶるーす」が未来。この時点で過去と現在と未来が交錯しているわけだが、当然のことながら歌っている菊地氏は2014年の日本にいるわけで、以上を鳥瞰した、「…という状況を演じているオレ」という視点も存在する。さらに、この曲は『戦前と戦後』の最後の曲という「鳥瞰するポジション」に置かれており、さらにさらに、この『戦前と戦後』という作品自体が『夜の歴史』というペペ・トルメント・アスカラールの10年間を「鳥瞰する」作品と同時に発表された、ということも興味深い。

 

では、「A列車」が召喚されたことの意味は?

「A列車」は、エリントンと出会って間もないストレイホーンがよって39年に書かれた曲であることを考えると、「戦前」を強調する意味で菊地氏は引いてきたのだろう。「A列車」は戦前の大ヒット曲だ。ディック・ミネポジションからは「戦前」だけど「未来」の曲、2014年からみると「戦前」で「過去」の曲。「戦後」の曲である「てぃーんずぶるーす」との対比である。 

 また、「A列車」にこだわらず、インタビューにもあったように「戦争をまたいだ音楽家」として、エリントンの名前を出したかったのかもしれない。

 

それにしても菊地氏はエリントンをよく召喚するが、その中身はストレイホーンだ。今回も「A列車」が引かれてるのを聴いて思わず微笑んでしまった。

いっそのことストレイホーン集でもいいから、ダブ・セプテットでやってくれないだろうか。管理人は、菊地氏によるエリントン解釈を dCprG かダブ・セプテットの演奏で聴きたいのである。