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Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

再発盤あれこれ。そして山中千尋。

ディスク トリビュート

『Jazz JAPAN』つながりでエリントン関係の再発盤を。

参考にしたのはこの号。

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.72

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.72

 

 

オヤジをターゲットにした表紙につられてパラパラ覗いてみると、再発盤にいくつかエリントン関係のものが。

 

ジャズ・マスターズ・コレクション1200 ~ワーナーミュージック・ジャパン

 

『Three for Duke』, Teddy Charles (1957)

スリー・フォー・デューク<SHM-CD>

スリー・フォー・デューク

 

 

ヴィブラフォン、Teddy Charlesのエリントン・カバー集。

ベース(Oscar Pettiford)、ピアノ(Hall Overtone)とのドラム無し・変則トリオ。

エリントニアン、オスカー/ペティフォードの参加が嬉しい。

 

 

 

 『I Get A Boot of You』, Marty Paich (1959)

アイ・ゲット・ア・ブート・アウト・オブ・ユー<SHM-CD>

アイ・ゲット・ア・ブート・アウト・オブ・ユー

 

「お色気ジャケット」でも有名な一枚。

これについては後日、エントリを改めて書きます。

 

 

『Live!!!』, Billy Strayhorn (1959, Roulette)

ライヴ!!!<SHM-CD>

ライヴ!!!

 

 クレジットこそストレイホーンだけど、実質はエリントンオケによるシカゴのライブ盤。

「Mr. Gentle & Mr. Cool」をやっているのが嬉しい。

 

 

 それにしても、『Jazz JAPAN』は山中千尋が好きだなあ。

というか、この雑誌の読者が好きなのか。

 

表紙の初出はこれだろうか。

JAZZ JAPAN Vol.18

JAZZ JAPAN Vol.18

 

 

そして、その半年後がこれ。

JAZZ JAPAN Vol.24

JAZZ JAPAN Vol.24

 

 

以降はほぼ1年おきのペースで登場。

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.37

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.37

 

 

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.48

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.48

 

 

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.52

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.52

 

 

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.60

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.60

 

 

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.72

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.72

 

 24、37、48、60、72 なんてインターバルには「1年に1回」なんて作為性を感じてしまう。

ある意味、わかりやすい。 

そして、72号を手に取った管理人もまたわかりやすいオヤジなのである。

Norah Sings Ellington。

ノラ・ジョーンズの『Day Breaks』は聴き応えのある1枚だ。

 

DAY BREAKS

DAY BREAKS

 

 

特に管理人の注意を引いたのは、なんといってもエリントンの『Money Jungle』の「Fleurette Africaine (African Flower)をカバーしていることだ。

 

Money Jungle

Money Jungle

 

 

原曲にはもちろんボーカルはいないので、メロディはハミングに近いスキャットで歌われている。さらにショーターのソプラノが添えられ、アルバムのクロージング曲という位置づけである。ミステリアスな雰囲気で終わるのが素晴らしい。この曲がクロージングであるため、もう一度、アルバム1曲目から聴き直したくなる終わり方なのだ。

 

この『Day Breaks』について、ノラ・ジョーンズが自ら語ったインタビューを見つけた。「Fleurette Africaine」についても言及があるので引いておこう。

 

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.74

JAZZ JAPAN(ジャズジャパン) Vol.74

 

 

『デイ・ブレイクス』(夜明け)の言葉から、あなたは何を想像するだろうか。新しい時代の始まり、あるいは、闇からの脱却だろうか。ノラ・ジョーンズの4年ぶりのニュー・アルバムは、『デイ・ブレイクス』と名付けられている。彼女の周りを取り巻く、暖かな光を思い起こさせるこの作品は、現在37歳の大人の女性、母としての”ノラ・ジョーンズ”を色濃く感じさせるものだ。そこにあるのは、かつてのスウィートネスを脱ぎさったたブルージーで豊潤な大人の女性の声、そしてノラが“コミュニティ“と呼ぶ、気心の知れた仲間との仕合わせな時間だけである。

 アルバムのほとんどの曲は、自宅のキッチンにある小さなピアノで、今年生まれた第2子に授乳しながら作られたという。出産したばかりのせいか、4年ぶりの新録作にもかかわらず、ノラは当初、メディアへの露出をほとんど行っていなかった。
 誰しもがノラの姿を見たくて,やきもきしていた7月上旬、私たちのもとに、とある情報が入ってきた。ノラの新作のショーケース・ライヴがパリで開かれるというものだった。
 その情報を聞きつけた我々は、さっそくノラの生歌を聴くべく、パリに向かった。シャンゼリゼ通りを背にしたゴージャスなホテル・パーシングホールの会場には、各国のジャーナリストが50人ほど集まっていた。宮殿を思わせる何枚もの大きな鏡が、中庭の鮮やかな新緑と着飾ったメディア関係者たちを映し出している。その様子はまるで、「シャンパン付きのピアノ・リサイタルのよう」とは、彼らとは対照的に、カジュアルな格好で虞爽と現れたノラの言葉。少し丸みをおび、柔らかな表情をたたえたノラは、簡単に挨拶を済ませると,早々にグランドピアノと向かい合い、ピアノ1台だけでパフォーマンスを始めた。
 スタート曲は新作「デイ・ブレイクス」から〈キャリー・オン〉。穏やかに、夫を諭すように「昔のことは忘れて、前に進みましよう」と説く同曲は、今の彼女にしか歌えない“婦唱夫随”の歌である。女性は逞しいが、母になると一層、強くなる。そんな事実をあらためて浮き彫りにした,短いながらも濃厚な1曲だ。トークをはさまずに、次にノラが披露したのは、ホレス・シルバーの〈ピース〉。デビュー作の限定版(2003年2枚組)にも収録された名曲だが、今作では御大ウェイン・ショーターを迎え、再度、レコーディングに挑戦している。ひとつひとつの言葉をかみしめるように歌う、円熟味と迫力を増したノラの声に、我々はぐいぐいと引き込まれていく。それから最後にノラが選んだのは、誰もが知る彼女の代表曲〈ドント・ノウ・ホワイ〉。メロディを奏でると同時に沸き起こった歓声に、嬉しそうに笑顔で応えるノラ。そんなやり取りもあってか、ノラは少しの即興を交えながらも、あくまでオリジナルに忠実に、今のノラ・ジョーンズの声でこの曲を歌い切った。
 ライヴの興奮冷めやらぬ中、我々は厳戒なチェックの後、特別室に通された。そして、物々しい警備とは反対に、穏やかな表情で私たちを迎え入れてくれたノラに、直接、インタビューする機会を得た。


 今回の新作に関して日本初のインタビュー

 

ーー これまでにあなたはカントリー、フォーク、ロック、ソウル、ジャズと、様々なジャンルの音楽を融合してきました。新作『デイ・ブレイクス』はあなたのデビュー作にも通じる、ジャズ・ルーツを意識した作風になっています。何かきっかけとなる出来事があったのでしょうか。

 

ノラ 2014年に「Blue Note at 75」というレーベルの75周年を祝うコンサートに参加したの。その時にウェイン・ショーターブライアン・ブレイドとコラボして、もっとやりたい!って、強く感じてね。それから彼らとの共浪を頭に描いて曲を作つているうちに、自然と私の中に”ジャズ”が流れ出したの。全編にわたって、こんなにもピアノを弾いたのはデビュー作以来だったんだけれど、皆に“ジャズ・アルバム"といわれたファーストも、自分では色々な音楽とのミックスだと思っていて。ニュー・アルバムは、それ以上に”ジャズ”を歌い,“ジャズ“を意識したものになっているはずよ。


ーー 社会的・政治的なテーマを取り上げた曲もありますが、あなたの作品では珍しいように感じました。今回、あえてそのテーマを歌ったバックグラウンドについて教えてください。

 

ノラ 最近、特に強く感じているのはこの銃社会で生きる恐ろしさについて、私たち若い世代は、もっと声を大にして,プロテストしなければならないということ。暴力が日常化していて、誰かがストップをかけなければならない。そんな普段、皆が感じていること、私の思っていることが歌に表れているのかもしれないわ。

 

ーー ホレス・シルバーの〈ピース〉は、デビュー作の特別盤でカバーしてから、今回で2度目のカバーになります。改めて選曲された理由とは何だったのでしょうか。

 

ノラ ウェイン・ショーターとのセッションを考えた時、この曲がふと頭の中に浮かんだの。昔から大好きな曲だけれど、アルバム自体では取り上げたことがないことに気付いてね。歌詞も今の時世に合っていると思った。ウェインの演奏は,まるで絵画のようだったわ。だからなのか、彼と共演する上で無意識だけれど、以前とは違う歌い方をしているの。10年ぶりに昔のバージョンを聴いて、そのあまりの違いに驚いた。でも、結果的に素晴らしいものになって、大満足しているわ。

 

ーー ほかにもデューク・エリントンの『マネー・ジャングル』から、〈フルーレット・アフリケーヌ〉(アフリカの花)をカバーされていますが、過去にはディー・ディー・ブリッジウォーターも1996年のアルバム『プレリュード・トゥ・ア・キス』で歌っています。この曲のどんなところにインスパイアされたのでしょうか。

 

ノラ デューク・エリントンのバージョンの生々しい迫力と美しさに惚れ込んでいるの。録音は完全に即興だったと聞いているけれど、私もこのような、誰もやったことのないオリジナルな作品を生み出したいと強く感じた。この曲にはジャズの息づかい、自由な精神、そのすべてがつまっているの。だからニュー・アルバムのコンセプトを考えた時、この曲は外せなかった。

 

ー一 話は戻りますが、Blue Note at 75のコンサートでは、デビュー作から〈アイヴ・ガット・シー・ユー・アゲイン〉をサックスはウェイン・ショーター、ドラムスはブライアン・ブレイド,ベースはジョン・パティトゥッチ、ピアノはジェイソン・モランという豪華なメンバーで演奏されました。なぜ、この曲を選ばれたのでしょうか。
ノラ ジェイソン・モランがメンバーを集めていたんだけれど、誘ってくれた時は、もちろんよっ!って、大興奮だった。選曲も彼がしてくれたの。〈アイヴ・ガット・シー・ユー・アゲイン〉がどんなスタイルにも対応できる最適な曲なんじゃないかって。実際、完璧なチョイスだったわ。その結果、パフォーマンスはアルバムとも異なる、別次元のものになったから。


――新作での共演につながったBlue Note at 75で、半世紀以上も第一線で活躍するウェイン・ショーターやオルガンのドクター・口ニー・スミスなどの巨匠たちと共演してみて、どのような印象を受けましたか。

 

ノラ ウェインとはハービー・ハンコックのレコ-ドで昔共演したことがあるの。ブライアンともデビュー作から一緒にプレイしているんだけど、ドクター・ロニー・スミスとジョン・パティトゥッチとは初めてだった。でも、ステージでは初めてと思えないほど楽しくプレイができて、忘れることのできない、エキサイティングな体験になったわ。
ーー ブルーノートはまさにあなたの“ホーム”といえますが、2000年にあなたがブルーノートと契約した時の社長は,故ブルース・ランドバルでした。その後,社長はドン・ウォズに変わり、レーベルは大きく舵を切りました。その際はどのように感じられましたか。


 ノラ 昨年、ブルースが亡くなって、彼がいなくなったって実感するまで少し時間がかかった。彼はずっと私の相談相手で、大切な友人だったから。ブルーノートの面子もデビュー当時とはすっかり変わってしまったけれど、ドン・ウォズはブルースのスピリットを上手く引き継いでいると思う。彼は新しいアイディアを常にたくさん持っている人だし,ドンがトップである限り,レーベルは安泰よね。ドンのことは大好きよ。それでもブルースの代わりは誰もいないし、彼に会えないのは,やはり寂しいわ。

 

 そう話し終えたノラの横顔は,息をのむほど美しかったが、私たちが昔から知っている”ノラ・ジョーンズ"の顔ではなかった。デビューしたころの好奇心に満ち溢れた初々しいノラは、もうどこにもいない。代わりにそこにいたのは、人生の哀しみ、愛しさとエレガンスを知り尽くした,ひとりの大人の女性であった。そして、それは驚くべきことでも何でもないのである。なぜなら,私たちが人生の『デイ・ブレイクス』=「夜明け」で見つけたのは、いくつもの苦い経験を経て、ジャズの新境地に達した、母なる“ノラ・ジョーンズ“だったのだから。

(Isabelle Maiko Morin, 翻訳: 落合真理

 

・・・話を戻すなよっ! もう少しエリントンのことを訊いてくれよ! と思ったが、これだけでも満足すべきなのだろう。まったく触れられていない曲もあるのだから。考えてみると、「ブルーノート」「エリントン」と来れば『マネー・ジャングル』を想像するのは当然なわけで、あの作品の中から「アフリカの花」をカバーするのは自然な流れだったのかも。「ウォーム・ヴァレー(Warm Valley)」をカバーするわけにはいかないもんね。

 

インタビューアーが話していたアルバムはこれ。

Ellington;Prelude to a Kiss

Ellington;Prelude to a Kiss

 

 

この「アフリカの花」はパーカッションを強調した、かなりアフリカを意識したアレンジ。でも、ディー・ディー・ブリッジウォーターは歌ってないよ。Bobby Watsonのアルト・ソロをフィーチャーしたアレンジです。今回のノラの作品とはあまり関係ないんじゃないかなあ。

 

あと、この号のJazz JAPANには、復刻作品のコーナーがあって、そこではこんなTBMのエリントンものの紹介もあった。

 

ワン・フォー・デュークONE FOR DUKE

ワン・フォー・デュークONE FOR DUKE

 

 

「「5 DAYS IN JAZZ 1975」の4日目に行われた「デューク・エリントンに捧げる夕」を実況録音した今田勝のTBM第5弾。小気味よくハッピーな“ワン・フォー・デューク”、抒情的かつブルージーな“ブルー・レイン”のオリジナル2曲が絶品のピアノトリオ作品。」らしい。「スティーヴィー」なんて渋い曲もカバーしてる。これだけでも聴いてみたい。

 

ソリチュードSOLITUDE

ソリチュードSOLITUDE

 

 一方で、こっちはタイトルからエリントンものっぽいけど、そういうわけではない。

試聴できるので聴いてみると・・・え゛、古谷充氏、歌ってるじゃん! 「Solitude」「I Let A Song Go Out of My Heart」の両方とも歌ってる!

関西のイベントではおなじみの古谷氏だけど、ボーカルもやってるなんて知らなかった! 歌も悪くないです。サックス吹いて、歌も歌うって…菊地成孔氏と同じじゃないですか! びっくり。今回のエントリで一番ビックリしたのはこのことかも。

関西では常識なんですか、これ?

シドニー・ベシェ「と」デューク・エリントンの肖像。

エリントニアン エリントニアン-リード奏者 エリントン年代記

前回のエントリでは「ソプラノ侍」スティーヴ・レイシーのエリントンの影響について書いた。

だが、ソプラノ・サックスといえば、スティーヴ・レイシーよりも、ずっとエリントンに縁のある人間がいるじゃないか。

 

シドニー・ベシェ

 

このジャズ・ソプラノ・サックスの創始者である人物はエリントンと直接の交流もあり、エリントンも「ベシェの曲」を書いているほど関係は深い。3つのエピソードがあればその人物を説明することができる、と書いたのはニーチェだったか。今回は、ベシェに関する3つのエピソードを紹介しておこう。 

 

Sidney Bechet (1897, 5/14 - 1959, 0514)

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1.「ワシントニアンズ」に参加

 

ベシェは、エリントン・オケがまだ「ワシントニアンズ」だった頃にエリントンと共演した。つまり、ごく短い間ではあるがベシェはワシントニアンズの一員だったのだ! 

ベシェとの共演が短期間で終わり、正式にワシントニアンズの一員とならなかったのは、ベシェの奇行にエリントンが我慢できなかったから。

ベシェは自分の演奏中、自分の犬をステージに一緒に上げていた。犬の名前は「グーラ」、ジャーマンシェパード。そしてこの犬はふらふらと出歩いてよくいなくなる。演奏中、ベシェは横にグーラがいないことに気がつくと、「グーラを呼ばないと!」とばかりにグロウル奏法で犬を呼んでいたらしい。エリントンによると、ベシェのこの「コール&レスポンス」は実に自然に行われていたので観客にはわからなかったが、共演者にはバレバレだったらしい。

 

(エリントン本人の言葉では、初めてベシェを聴いたのは21年。このときに「a completely new sound」な強い印象を受け、共演を望んでいたが、実現したのは26年のニューイングランド。ただし、Baillet, Whitneyの『American Musicians』では1924年にケンタッキー・クラブで共演したともあり、証言に揺れがある。だが、いずれにしてもエリントンがベシェと共演したことがあるのは事実のようだ。)

 

American Musicians II: Seventy-Two Portraits in Jazz

American Musicians II: Seventy-Two Portraits in Jazz

 

 

 

2. エリントニアンとの交流

 

(1) オットー・ハードウィック(Otto Hardwick)

 

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どちらかというと、ベシェはエリントンよりもエリントニアンたちと仲が良かった。ベシェはソプラノのほかにクラリネットも吹いたが、同じくクラリネットも吹いたオットー・ハードウィックとも仲がよかった。オットー・ハードウィックは、クラリネットのほかにアルト、ソプラノ、バスサックスも吹くマルチリード奏者(おまけにバイオリンも弾いた。バイオリン演奏に関するレイ・ナンスとの比較は今後の課題)。この点でも二人は気が合ったのかもしれない。共演時、この2人はほぼ毎晩のように40マイル近いドライブに出かけていた。帰ってきて、エリントンがどこに行ってたのか尋ねると、「ただ散歩してただけだよ!(Just visiting!)」といつも答えたらしい。

あやしい・・・。

 

 

 

(2) バッバー・マイレー (Bubber Miley)

 

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バッバー・マイレーとは夜に激しいジャム・セッションを繰り広げたことがあるらしい。楽器こそピアノでなくリード楽器とトランペットだが、ふたりで延々とソロバトルを続けていた。何でも、どちらかがソロを取っている間、もうひとりは楽屋に引っ込んで眠らないように体をつねっていたとか。・・・何が彼らをそうさせたのか?

 

(3) ジョニー・ホッジス(Johney Hodges)

 

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ベシェは外交的な人物ではなかったが(グーラのエピソードからも、むしろ変人だったのでは?)、ホッジスは完全にベシェになついていた。方向性が同じだったのだろうか、ホッジスは10歳年上のベシェを音楽・楽器面で完全に信頼していた。よく外国のミュージシャンが、「ぼくの子どもの頃のギターのアイドルは◯◯だったよ」というやつである。ホッジスのこの心酔ぶりを知っていたエリントンは、晩年、この2人の再会を試みる。

 

 

3. エリントンはベシェの曲を書いた

 

 ベシェはエリントンの2歳だけ年上ということもあり、エリントン「が」影響を受けた人物としても数少ない人物でもある。結果としてエリントンはベシェをメンバーとはしなかったが、ブラックミュージックの源流として、そしてサウンドの新しさは認めていた。それはいくつものインタビューから明らか。

 

The Duke Ellington Reader

The Duke Ellington Reader

 

Sidney Bechet, the greatest of all the originators, Bechet, the symbol of jazz.(p. 337)

Of all the musicians, Bechet was to me the very epitome of jazz. He represented and executed everything that had to do with the beauty of it all, and everything he played in his whole life was original … I honestly think he was the most unique man ever to be in this music—but don't ever try and compare because when you talk about Bechet you just don't talk about anyone else." (p.369 - 370)

 

1970年、エリントンはひとまず完成した「ニューオリンズ組曲」に追加する形で、4つの肖像を書いた。ルイ・アームストロング、マヘリア・ジャクソン、ウェルマン・ブロウド、そしてシドニーベシェ。この「Portrait of Sidney Bechet」は、もちろんホッジスが吹くことを前提に書かれた。

 

New Orleans Suite

New Orleans Suite

 

 

しかし、運命とは皮肉なものである。まさにエリントンがこの曲のホッジスのソロ・パートを書いているとき、 ホッジスは心臓発作で急死してしまう。歯医者に向かう途中のこと。奇しくもベシェが亡くなったのと同じ5月のことだった。ベシェの死亡年齢は62歳、ホッジスは64歳になろうというところ。こんなところまで似てしまった。

シドニー・べシェの肖像」のホッジス・パートはノリス・ターネイが吹いている。この曲だけはホッジスに吹いてほしかった…。だが誰よりもそう思っていたのはエリントン、ホッジスだろう(いや、もしかしたらベシェかもしれない)。

 

以上からわかるように、エリントンによるベシェへの言及は意外と多い。

上記以外では何と言っても『Music Is My Mistress』。

今回のエントリも、この47-49ページを参考にしている。

 

Music Is My Mistress (Da Capo Paperback)

Music Is My Mistress (Da Capo Paperback)

 

 

ソプラノ侍 loves デューク。

トリビュート エリントン・ナンバー

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スティーヴ・レイシーといえばソプラノ・サックス。

スティーヴ・レイシーといえばモンクのカバー。

つまりスティーヴ・レイシーといえば、「ソプラノ・サックスでモンクをカバーする男」なわけだが、この三段論法的(あくまで「的」なところが「ミソ」)にソプラノとモンクをかけ合わせたところがレイシーの大いなる発明と言えるだろう。

 

今でこそ、ソプラノ・サックスとセロニアス・モンクの音楽的な相性は抜群であることは誰もが認めるところだが、当時そんなことを考えた人はだれもいなかった。

 

今回は、この「ソプラノ侍」スティーヴ・レイシーのデビュー作について。

 

『Soprano Sax』(1958, Prestige)

Soprano Sax

Soprano Sax

 

 

ブランフォード・マルサリス(ts, 1960-)

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 ぼくがソプラノ・サックスで影響を受けたのはシドニー・ベシェで、それを突き詰めていったらその先にジョン・コルトレーンがいた。ステイーヴもベシェに影響を受けているのがわかるから、直接は関係がなくても兄弟子みたいなものだ。そう思うと、不思議な気分だね。コルトレーンも兄弟子っていうことになるわけだし。むこうは「冗談じゃない」って思うだろうけれどね(笑)。

 これは相当古いレコーディングだ。この時代にこれだけ斬新なことをやっていたのは驚きだよ。ソプラノ・サックスはオールド・ファッションな楽器で、コルトレーンが使うまでは、ベシェのようにニューオリンズ・ジャズのひとがクラリネットと持ち替えで吹く楽器だった。そのコルトレーンが取りあげる前に、こんなにモダンなスタイルで吹いていたんだから凄い。

 それにしてもこのスティーヴは面白い。ニューオリズ・ジャズの痕跡を残しながら、先鋭的なプレイをしようとしている。後年の彼に比べると考えられないほどスインギーだ。それでいて不思議なハーモニーを用いたり、幾何学を思わせるフレージングを重ねだりと、さまざまなことを試みている。まだ、彼自身やりたいことが明確になっていなかったんだろうね。それゆえの面白さが楽しめる作品だ。(96年)

 

 

アーチー・シェップ(ts, 1937-)

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 スティーヴ・レイシーが初期に残した演奏からは、ソプラノ・サックスをどうすれば新しい時代の楽器に変身させられるか、その試行錯誤の跡を認めることができる。

こういう作品は貴重だ。だって、彼が四苦八苦してこの楽器を独自のものにしようとしている過程が記録されているんだから。

 完成された演奏を聴くより、こういう内容が面白い場合もある。つまらなければそれまでだが、このアルバムは違う。ソプラノ・サックスの可能性をあの手この手で試している姿がはっきりと示されているし、それらのことごとくが共鳴できる。わたしも最初は手探りの状態でこの楽器に手をつけた。ステイーヴも同じようなことをやっていたのかと思うと、おかしいし、嬉しい。でも、こういうのはミュージシャンじゃないと楽しめないかもしれないがね。(98年)

 

 小川隆夫氏のまとめ。

 ソプラノ・サックスを専門に吹くプレイヤーはジャズの世界で珍しい。その先駆者がスティーヴ・レイシーである。のちに大胆なフリー・ジャズで一世を風靡することになるが、この作品では軽妙なスイング感も楽しめる。ウイントン・ケリーのプレイとも違和感がない。そこにレイシーのルーツが顔を覗かせる。これなどもっと高く評価されていい一枚ではないだろうか。

 主要楽器はテナー・サックスだがソプラノ・サックスも多用するふたりにレイシーのことを聞いてみた。共通していた意見は、この作品ではスタイルが完成されていないことと、それゆえの面白さがあることだった。ブランフォード・マルサリスは自分もそうだったからだと思うが、レイシーのスタイルはニューオリンズ・ジャズに原点があると指摘する。やがてフリー・ジャズの最先端に躍り出る彼だが、このアルバムを録音する数年前まではニューオリンズ・ジャズのバンドで演奏していた。

そういえば、オーネット・コールマンニューオリンズの集団即興演奏にヒントを得て自身の音楽性を発展させたといっていた。ニューオリンズ・ジャズとフリー・ジャズの共通性。このアルバムはそれを示しているのかもしれない。

 

ジャズマンがコッソリ愛するJAZZ隠れ名盤100

ジャズマンがコッソリ愛するJAZZ隠れ名盤100

 

 

スティーヴ・レイシーといえばモンクのカバー、なのだが・・・

おーい、誰もモンクのことについて触れてないじゃないか!

これ、そんなの言うまでもないことだからあえて触れなかったのかなあ?

 

管理人は一時期ソプラノの魅力にとり憑かれたことがあって、コルトレーンはもちろん、デイヴ・リーヴマン、ショーター、シドニー・ベシェジョー・ファレル本多俊之まで聴きまくっていた時期があった(ケニー・ギャレットも聴いたが、ケニー・Gは聴かなかった)。そのときにレイシーもだいぶ聴いたのだが、レイシーのキャリアを考えると、このデビュー作の選曲は興味深いのだ。なんと、モンクは1曲しかやってないのである。

 

A-1. Day Dream (Strayhorn, Ellington)
A-2. Alone Together (Dietz, Schwartz)
A-3. Work (Monk)
B-1. Rockin' in Rhythm (Ellington, Mills, Carney)
B-2. Little Girl, Your Daddy Is Calling You (Unknown)
B-3. Easy to Love (Porter)

 

取り上げてるのも「Work」なんてマニアックな曲。

ちなみにこの曲、モンクの全キャリアでも1回しか演奏してない曲、らしい。

収録されてるのはこれ。

Thelonious Monk & Sonny Rollins: Rudy Van Gelder

Thelonious Monk & Sonny Rollins: Rudy Van Gelder

 

 

モンクの代わりに目立つのがエリントン。モンクの選曲とは異なり、比較的知名度の高い曲が選ばれている。ただ、クレジットからもわかるように、「デイ・ドリーム」はストレイホーンの曲みたいなもんだし、「ロッキン・イン・リズム」も初期からのおなじみの曲だけど作曲はハリー・カーネイとの共作で、濃厚なエリントン色、というわけではない。そしてスタンダードの「アローン・トゥギャザー」と「イージー・トゥ・ラヴ」を混ぜている辺り、だいぶ選曲に気を遣っているのが感じられる。

思うに、この1作目の段階ではモンクではなく「エリントンで行く」という選択肢もあったのではないか。いや、レイシーはシドニー・ベシェがエリントンの曲を演奏するのを耳にして、私はソプラノ・サックスへの恋に落ちた」なんて言ってるくらいだ。この段階ではむしろエリントンの方に惹かれていたのかもしれない。

 

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(”I heard Sidney Bechet play a Duke Ellington piece and I fell in love with the soprano saxophone.")

 

あるいは、ほかのスタンダード曲の可能性を探ったり、オリジナル曲を書く、という選択肢もあったことだろう。この段階では、レイシーの前に複数の道が伸びているのが見える。そして、そこにはそれらの道を前にして考えあぐねているレイシーの姿もある。つまるところ、このデビュー作は佳作ではあるものの未完成だ。そしてその未完成なところは「伸びしろ」でもあるわけで、ブランフォードやアーチー・シェップが魅力を感じるのもそこ。レイシーの「迷い」こそ、このデビュー作の魅力なのだ。

 

これがその翌年に録音の2作目となるとグッとわかりやすくなる。

 

『Reflections』(1958, Prestige)

Reflections: Plays Thelonious Monk

Reflections: Plays Thelonious Monk

 

 

A-1.  Four In One
A-2.  Reflections
A-3.  Hornin' In
A-4.  Bye-Ya
B-1.  Let's Call This
B-2.  Ask Me Now
B-3.  Skippy

 

全曲モンク。もはやここに迷いはない。

「モンクス・ミュージック」という金脈を発見した喜びに満ち、迷いを抜けた後の清々しい風が吹いている。レイシーはこの2枚目で明らかに音楽的に新たな次元に到達したのであり、「モンク吹き」という肩書を確立した。

 

その後、さらにレイシーは過激な方向に進み、ヨーロッパに渡って前衛派として、アヴァンギャルドなサウンドを展開する。

レイシーはショーター、リーヴマンと並んで管理人が敬愛するソプラノ吹きだが、正直、この時代のレイシーはあまり日常的に聴きたくなることは少ない。とんがった音楽を耳にするのには気合が必要だし、……この時代のレイシー、ビジュアルも怖いのである。

 

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 ”You talkin' to me?"

 

まるで『タクシー・ドライバー』 のトラヴィス

デ・ニーロも真っ青だ。

 

…さて、ソプラノに恋に落ちるきっかけとなったエリントンの音楽だが、レイシーは忘れていたわけではない。焼けぼっくいに火がついたみたいに、80年代後半からレイシーはちょくちょくエリントンと向き合い始める。

 

Sempre Amore

Sempre Amore

 

録音は87年2月17日。

マル・ウォルドロンとレイシーの交流は、『Reflections』まで遡る。

このデュオでなされているのは、前衛時代が嘘のような美しい会話。

選曲も実にシブい。

この選曲を見た瞬間、管理人は2人をエリントンマニアに認定した。

 

1. Johnny Come Lately" (Strayhorn)
2. Prelude To A Kiss (Ellington, Gordon, Mills)
3. Star-Crossed Lovers (Strayhorn, Ellington)
4. To The Bitter (Ellington)
5. Azure (Ellington, Mills)
6. Sempre Amore (Ellington)
7. A Flower Is A Lovesome Thing (Strayhorn)
8. Smada (Strayhorn, Ellington)

 

 

 だが、何といっても管理人が愛するのは「猫ジャケ」としても秀逸なこれだ。

Paris Blues

Paris Blues

 

(87年 11/30-12/1) 

モンク、ミンガスの曲が並ぶ中、「Paris Blues」の1曲だけ、エリントンが演奏される。この作品の音楽はどれも素晴らしいが、この曲の演奏は気品に満ちていて特に素晴らしい。作品の中のこの曲の位置は、レイシーにおけるエリントンの影響を表しているようで興味深い。

 ライナーノーツを読む限り、「Paris Blues」の選曲はレイシーによるものらしい。*1「パリのアメリカ人」であったレイシーへの目配せともとれる、面白い選曲だ。数時間の打ち合わせで完成したらしい。音の少なさをカバーする演奏でなく、音が少ないからこそできる表現が展開されている。美しい作品です。

 

この作品、というかギル・エヴァンスについては以前にこんなことを書いた。

 

 

そして晩年のレイシーのエリントン解釈がこれ。

 

『10 OF DUKES + 6 ORIGINALS』  (2000, 10/15, 埼玉県深谷市 ホール・エッグファーム)

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ソプラノ1本による完全ソロ演奏。

レイシーのエリントン解釈の到達点、というよりも、修行中の経過報告のように聞こえる作品。

少し長くなるが、晩年のレイシーがエリントンについて語ったコメントを引いておく。

 

I was invited by the San Francisco Jazz Festival, to play a solo concert in Grace Church Cathedral, during the '99 Ellington Anniversary Celebrations.

 

Duke Ellington was my first inspiration in jazz, and he will surely be my last one, as well. His music is so vast, and so interesting, that it is not easy to make a selection for a single concert. Also, some of his compositions are better suited to saxophone solo performance than others. However, I boiled them down to arrive at a certain distillation of the many parts of the scores. The vivid colours of the original Ellington band versions of these pieces led me to experiment with some techniques which I had not previously used to that extent: polytones, growls, smears, kisses, extreme glissandi, etc. After long consideration, trial, practice, reconsideration, performance, this sequence ーwhich I call 《10 of Dukes》 ーevolved into its present form, which I have played in San Francisco, and, over the next couple of years, in theatres, clubs and churches in France, Italy, Germany, Belgium and U.S.A.

 2001年6月のインタヴュー(ライナーノーツ収録)。

 

オリジナルのエリントンオケのサウンドに触発されて、サックス奏法上の実験を行っている旨が語られており、レイシーにとってエリントンが研究材料であったことがわかる。晩年でも研究を続ける姿は修行僧のよう。

 

芸術家は「処女作に向かって成熟しながら回帰する」。

シドニー・ベシェとはずいぶん違う姿になったが、レイシーも自分のエリントンにたどり着いたのだ。

 

Duke Ellington was my first inspiration in jazz, and he will surely be my last one, as well.

私が初めてジャズのインスピレーションを受けたのはデューク・エリントンからだ。同じように、最後のインスピレーションを受けるのも彼からだろう。

 

スティーブ・レイシーはモンクのモンク(修道僧)だっただけではなく、エリントン・ラヴァーでもあった。頭の片隅にでもとどめておいてほしい。

 

 

 

*1:  PARIS BLUES: Paris has been a "MOTHER" to me, but I still get the blues, and my favorites are by Ellington (and Mingus). Gil did not know this one before, but after brooding uponit for a few hours, we came up with halfway decent reading of it.

SPからLPへ。エリントン、LP第1作は「傑作」だった。

ディスク エリントン年代記

前回に引き続き、小川隆夫氏の著作から。

 

 

前回は、第1次大戦終了後の「ハーレム・ルネッサンス」におけるエリントンについてこの本が取り上げている個所を引いた。

 


今回はレコード・メディアとエリントンの関係についてみてみることにする。

 

現代の人間がエリントンを聴くとき、常に意識しておくべきことがある。それは、エリントンの音楽的なキャリアは50年に及び、その作品はすべてレコードで発表された、ということだ。ここまではすぐに想像がつく常識の範囲内の話だが、重要なのはさらにこのレコードの時代は大きく2つに分けられるということ。すなわち、LPとSP。

レコード・コレクターにとっては常識、しかし一般的な人には未知の世界。というかどうでもいい話かもしれない。今回はそんな話だ。

 

 

はじめに

 なお、あらかじめお断りをしておきたいことがある。LPが世に登場するのは五〇年代に入ってからだ。それまではSPと呼ばれる、片面に一曲しか収録できないシングル盤が一般的だった。本書(とくに第一章)ではLPが登場する以前の演奏や作品についても触れているが、それらはコンピレーションと呼ばれるオムニバス盤に収録されたものだ。

 

エリントンに限らず、50年以前の音源を聴く難しさはここにある。当時、1枚の音源は文字通り「アルバム」であって、ヒット作の寄せ集めでしかない。現代のような1つのコンセプトの下に複数の曲を創りあげ、ある世界を提示する、という考えはない。さらにいうなら、「音源を購入し、個人的な範囲の使用目的で鑑賞する」 という、現代に生きるわれわれが当然のこととして行っている音楽の楽しみ方のスタイルも、ごく最近に確立された一時的なものでしか無い(そのことは、音源のダウンロード販売が市民権を得てきていることからも明らかだ)。当時、音楽は街のジューク・ボックスで1曲いくらで聴いたり、やラジオから流れるものであって、レコードを収集して家でこっそり聞いて楽しむものではなかった。

 

古い時代の音楽を聴くときは、その次代の時代背景、メディアの環境も考慮すると、その音楽のことについてもっと多くのことがわかる。これ以上うるさいことを言うつもりはないが、これは事実だ。

 

だが、先を急ごう。今日はメディアの変遷の話だ。

 

LPが登場

 ジャズには《三分間芸術》という言葉がある。現在のCDが登場する前は、シングル盤やLP盤と呼ばれるレコードが音楽を記録する媒体として一番ポピュラーなものだった。ただし、最初からLPが存在していたわけではない。当初はSP盤と呼ばれるフォーマットが用いられていた。これは1分間に78回転するレコードのことで、直径10インチと12インチの盤があり、前者で3分、後者で5分前後の演奏が収録できた。ジャズでは10インチ盤が主流だったことから、≪三分間芸術》と呼ばれたのである。ちなみにSPはStandard Play、LPはLong Playを略したものだ。

 

 画期的な技術革新がLP誕生の背景にはある。ひとつはディスクの素材が粒子の粗い合成樹脂のシェラックからポリ塩化ヴィニールの化合物(PVC)に代わったこと。SP盤には割れやすい弱点があった。それがPVCの使用によって、落としても割れない丈夫なものに変身したのである。

 

 PVCの登場は、およそ50年におよぶ78回転ディスクのありかたを根底から覆すことにつながった。素材が壊れやすいので、シェラックの場合は一センチあたりで盤に溝が40ほどしか彫れない。それが頑丈なPVCを使用すると、溝が100あまりになった。そのうえ、回転数を落としても音質の劣化が認められない。

 

 物理特性を考えれば、SP盤より音質がいいほどだ。回転数は半分以下の33回転になり、溝の数は2.5倍になった。これで、同じ10インチでも約5倍に収録時間が延長される。

 

 録音方式の進歩もLPの開発に拍車をかけた。それまでのレコーディングは、ラッカー盤と呼ばれるディスクに直接溝を彫って音を記録するのが一般的だった。それが30年代後半になると、磁気テープを用いた録音方式の実用化に向けてさまざまな試行錯誤が繰り返されるようになってくる。当初は紙テープに磁気を塗って録音するタイプだったが(『ミントン・ハウスのチャーリー・クリスチャン』がこの方式で録音されている)、これだとテープがすぐに切れてしまう。そこで使用されるようになったのがヴィニール製のテープだ。

 

 1947年には、アンペックス社が初めてスタジオ用テープ・レコーダーを完成させている。それを受けて、翌年からコロムビアとビクターが磁気テープ録音を全面的に採用することにした。軽くてコンパクト、保存に便利で音質も安定していることから、テープ録音が急速に普及する。

 

 PVCとテープ録音の両方を採用した最初のレコード会社はコロムビアだ。同社はその方式を用いたLPを48年に発売したが、これは長時間の演奏が当たり前のクラシック用としてだった。

 

 そして、49年にはダイアルが『チャーリー・パーカー/ザ・バード・ブローズ・ザ・ブルース』を、翌年にはサヴォイがこれまたパーカ―の『ザ・チャーリー・パーカークインテットVol.1』をリリースし、メジャー・レーベルのコロムビアデューク・エリントン楽団の『マスターピーセズ』を出したことから、ジャズの世界に10インチLPの時代が到来する。  (49-51頁。なお、原文の漢数字は算用数字に改めた)

 

簡潔にして必要な情報は揃っている。小川隆夫氏はこういう説明をきちんとしてくれるからありがたい。でも、ごめんなさい・・・ エリントンファンからのつまらない指摘をひとつだけ。小川氏が写真付きで挙げてくれているエリントンの『Masterpieces by Ellington』のジャケット、これは56年の再発盤です! 

Masterpieces By Ellington

Masterpieces By Ellington

 

 

51年の初回盤は50年代の香り漂うこっちのジャケット。

Masterpieces By Ellington

Masterpieces By Ellington

 

 

まあ、再発のほうが段違いでシックなんですけどね。ここは 初回盤のジャケットを掲載してほしかった。。。この作品は丁寧に聴きこむに値する、タイトル通り「傑作」なのだが、詳細はまたエントリを改めて書く。簡単にエリントンの状況を述べると、年代区分でいうと46年の『Black, Brown and Beige』の上演以後、エリントンは大いなる実験の時代に突入する。この時代はゆったりとしたグルーヴの中、ブルージーでありながら優美なサウンドが特徴的な時代で、この作品でも、15分を超える「Mood Indigo」などはその実験精神がモロに表れた演奏だ。本作品の後、「ホッジスの乱」によって大きなメンバーチェンジを余儀なくされ、エリントンは引き続き自分の求めるサウンドを追求することとなるのであった。

 

さて、再発盤でグッと手に取りやすくなったものといえば、こんなのもある。

 

初回盤。

『The Duke Plays Ellington』(capitol, 53年)

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再発盤。

『Piano Reflections』(72年)

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現在入手しやすいCDは紫色。エレガントです。

Piano Reflections

Piano Reflections

 

 

 何かの話のタネになるかもしれないので、パーカーの方もジャケットだけ挙げておく。

 

『Bird Blows the Blues』(dial, 50年)

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泣く子も黙るダイアルのパーカー」です。 

チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

チャーリー・パーカー・ストーリー・オン・ダイアル Vol.1

 

 

いま気づいたことだけど、メシオのこのCD、もしかして「ダイアルのパーカー」を意識していたのだろうか。どちらも「パーカー」なだけに。

 

ダイアル・メイシオ

ダイアル・メイシオ

 

 

そういえば、LPが登場した当時、一般的にはジャズをLPで発売することは受け入れられなかったらしい。ただ、これは何か具体的な否定の根拠があったというよりは、そもそも「ジャズを長い時間聴く」という発想がなかったからだと思われる。

そんなジャズとレコードの関係について、以前にざっと読んだ本がこれ。エリントンを聴くにあたり、もう一度(と言わず何度でも)読み直すことの必要性を強く感じている。

 

ジャズ・レコード全歴史

ジャズ・レコード全歴史

 

 

以前にこの本を読んだとき、ものすごく勉強になったことを覚えている。俺はこんなことも知らずにエリントン、エリントンと言っていったのか・・・とショックを受けたような。「音楽を楽しむのに多すぎる知識はいらない。1番大事なのは音楽を感じる感性だ」 というナイーブな意見も真実ではあるけれど、その反面、60年以上も昔の文化をいきなり聴いて感じ取れるのか、という考えもあると思う。管理人は、いろいろな知識があればその分だけ音楽を深く楽しむことが考えている。その面から言うと、この本は実に面白かった。

ただ、この本いい本だと思うけど、あまり読まれてないのかなあ。翻訳のタイトルが少しおっかなく感じてしまうのかもしれない。なにしろ「全歴史」とあるから、少し身構えてしまう。原題は "Jazz On Record : A History" だから、もう少し軽いニュアンスなのでは。

 

さて、今回はどうもうんちくというかマニアックな知識の話で、「勉強」なんて言葉まで出てしまった。ジャズ(とエリントン)はもっと自由に聴かれてほしい、とは思うけど、深く楽しもうと思うと、どうしてもある程度は知識は必要になってくる。そのあたりを、せめてエリントンに関するところだけでもコンパクトにまとめられたら、とも思っている。 

 

参考までに、ジャズ・レーベルに関する本はこんなものがある。

 

ジャズ・レーベル完全入門 増補版

ジャズ・レーベル完全入門 増補版

 

ただし、この「増補版」はあまり評判がよくない。

「増補版」というよりも「第2版」とか「改訂」くらいでよかったのでは、とのこと。 

 

マニアックなところではこんな本も。

この本こそ、そろそろ「第2版」がほしいところです。

ヨーロッパのJAZZレーベル―今を知る個性派ベスト56

ヨーロッパのJAZZレーベル―今を知る個性派ベスト56

 

 

エリントンのハーレム・ルネッサンスについて。(小川隆夫氏の著作より)

エリントン年代記

ジャズ・ミュージシャンのブラインドフォールド・テスト・シリーズが面白かったので、その他の小川隆夫氏の著作を読む。

 

 

ジャズを知りたい、と思った人のためのような本。「トリビア多めの通史の教科書」といった感じで読みやすい。エリントンに関する箇所を引いておく。 

 

エリントンの登場とハーレム・ルネッサンス

 二〇年代に入ると、ニューヨークではダンス音楽的なジャズや、それを一歩進めた鑑賞用の音楽としてジャズを聴かせる店が増えてくる。それというのも多くのピアノ・プレイヤーが各地からニューヨークに出て、オーケストラを結成するに至ったからだ。中でも一九二三年にワシントンDCからやってきたデューク・エリントン(ピアノ)の活動には目を見張らされる。

 ニューイングランド地方でツアーを続けていたエリントンの楽団が、新装なった「コットン・クラブ」に進出したのは二七年一二月のことだ。以後オーケストラは三二年まで同クラブで活躍し、この間に主要レパートリーの多くを完成させて決定的な名声を確立する。

 二〇年代のニューヨークは、一四年に勃発した第一次世界大戦の終了(一八年)に伴い空前の好景気に沸いていた。ハーレムもその好景気と無縁でなく、多くの高級ナイト・クラブが誕生したのである。〇一年に最初の黒人が住み始めてから二〇年。この間にハーレムは白人のための高級歓楽地になる一方、少しずつ黒人の居住区としての顔も持つようになってきた。したがって裕福な白人たちは、黒人文化や習慣に触れたいという好奇心も手伝い、ハーレム詣でをするようになったのである。その中心的な場所が「コットン・クラブ」だった。

 この時点で、ハーレムには約四〇ヵ所のナイト・スポットがあった。すべてがジャズを聴かせるクラブではなかったものの、「コットン・クラブ」以外にジャズが楽しめる店には、「サヴォイ・ボールルーム」をはじめ、「バロンズ」、「シュガー・ケーン」、「バンブー・イン」などの名前を見つけることができる。

 エリントンは「コットン・クラブ」を中心に活動し、黒人によるエンタテインメントの基本形ともいえるスタイルを築いた。それはジャングル・ムードと形容される独特の喧騒感の中、音楽的に優れたオーケストラル・ジャズを骨子に、歌あり、ダンスあり、コントありのヴァラエティ・ショーに似たものだった。

 ハーレムは、ハーレム・ルネッサンスなる再開発キャンペーンもあっておおいなる賑わいを呈していた。それは黒人による芸能活動にも一層の拍車をかけることにつながった。多くの黒人音楽家たちが演奏の場を求めて各地から集まってきていたことも無視できない。二〇年代前半から始まったハーレム・ルネッサンスは、エリントンの「コットン・クラブ」出演でピークを迎え、それはキャブ・キャロウェイ(ヴォーカル)、チック・ウェッブ(ドラムス)、ドン・レッドマン(サックス)、ファッツ・ウォーラー(ピアノ)などのスターを生み出していく。 (18-20頁)

 

コンパクトながら 要点をおさえ、時代背景も説明されている。小川隆夫氏はこのような基礎情報をまとめ、提示するのが非常にうまい。あと、トリビアへの嗅覚も。最近のこの著作なんかはその最たるもの。ゴシップとしても知りたいし、研究対象としても知りたい情報だ。

 

ジャズメン死亡診断書

ジャズメン死亡診断書

 

 

小川隆夫氏の一連の著作は、いわゆるジャズの「読み物」ではなく、「研究書」としての価値があるのではないか、と最近考えている。

この死亡診断書も含めて、一見、小川氏は面白い「読み物」のようにみえるが、実はこれらの著作が行っているのは事実(ファクト)の記録として読むべきなのではないか。

これは音楽に限らずなんでもそうだが、研究書・解説本に求められるのはまず正確性だ。著者の解釈の独創性などは2の次であり、思い入れや面白い表現はさらにその次の要素。

小川隆夫氏の著作は、研究書・一次資料と考えると実に有用なのだ。ただ、それなら参考文献や聴取時のデータなどをもっと充実してほしいところではある。。。

 

さて、この本にはもう一つの特徴があって、それは「レコード・コレクター向けの本」であるということ。なにしろ、「コレクター心得一〇箇条」や「マニア御用達の廃盤専門店」、「レコード店での注意(その1~4)」なんて章がある。さらには「愛すべきコレクターたち」にマイケル・カスクーナとボブ・ベルデンが紹介されてたりして、ちょっと笑ってしまった。

現在、この本は絶版のようだ。類似内容としては次の本があるが、少し内容が異なる。特にレコードコレクター関係が削られているようだ。

 

知ってるようで知らない ジャズおもしろ雑学事典 ?ジャズ100年のこぼれ話?

知ってるようで知らない ジャズおもしろ雑学事典 ?ジャズ100年のこぼれ話?

 

 

今回のエントリでこの本を取り上げたのは、上記の「ハーレム・ルネッサンス」の他に、やはりレコード関係でエリントンに関することがあったから。それについては次回。

 

 

 

 

必聴だけど混乱必至。「ドルフィーの」エリントン・カバー。

エリントン・ナンバー-カバー エリントン・ナンバー-カバー-A列車 エリントン・ナンバー-カバー-In a Sentimental Mood トリビュート エリントン・ナンバー

やあ、君もここに来てたのか。

少し時間ができたから、ここでコーヒーを飲みながら音楽聴こうと思って。

で、何聴いてるの。ん、 当ててみろって? いまどき、そういうブラインド・フォールド・テストなんて流行らないよ。ま、たまにはいいか。―――うん、エリントン・カバー集かな。ギターもメンバーに入ってるね、誰だろ。……え、弦楽器もいる! バイオリン? いや、チェロか。ああ、わかったわかった。この前君にオススメした、チコ・ハミルトンのエリントン曲集でしょ。

 

Ellington Suite

Ellington Suite

 

 

ほら、正解、正解。あれ? なんでそんなに機嫌悪いの。 このギター、ジム・ホールだし、サックスもバディ・コレット。悪くないよね、これ。わたしもたまに聴きたくなるんだ。「ドルフィーがいないじゃないか!」って、そりゃそうだよ。これにはドルフィーは演奏してない。言ったじゃないか。チコ・ハミルトンには2枚のエリントン・カバー作品があるって。ドルフィーが入ってるのは「The Original」の1枚目。ジャケットも似てるから注意しろ、まで言ったはずだぞ。ドルフィーのエリントン集と聞いて興奮しちゃって、ちゃんと聞いてなかったんだろ。

 

The Original Ellington Suite (feat. Eric Dolphy)

The Original Ellington Suite (feat. Eric Dolphy)

 

 

このジャケット、ホント似てるよなあ。 「The Original」が入ってるくらいしか違いがないぞ。

 

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経緯を整理しておくと、チコ・ハミルトンは58年の8月22日、ドルフィーとエリントンカバー集を録音した。しかし、この録音をそのまま発表することをよしとしなかったハミルトンは、翌59年にもう一度エリントン曲集を録音する(1月19日、22日)。当時発表されたのは59年の方。

なぜドルフィーが入ったテイクを使わなかったのかはわからない。わたしも少し気になってきたから比較してみようか。

 

【メンバー】

『The Original』

Chico Hamilton - ds   Eric Dolphy - as, fl, cl
Nathan Gershman - cello John Pisano - guitar   Hal Gaylor - bass

 

『Ellington Suite』

Chico Hamilton - ds   Paul Horn - as, fl   Buddy Collette - ts, as
Fred Katz - cello    Jim Hall - guitar   Carson Smith - bass

 

同じなのはドラムだけだね、ってそりゃ当たり前か、リーダーがドラムなんだから。59年の方は、リード楽器を1人増やしてバディ・コレットが参加した、と。収録曲もみてみよう。曲順が変えてあるからわかりにくいけど、ほぼ同じだ。後から59年に「A列車」を加えただけ。

 

【収録曲】

『The Original

1 In A Mellotone
2 In A Sentimental Mood
3 I'm Just a Lucky So-and-So
4 Just A-Sittin' and A-Rockin'
5 Everything But You
6 Day Dream
7 I'm Beginning to See the Light
8 Azure
9 It Don't Mean a Thing

 

『Ellington Suite』

A1 Take The "A" Train & Perdido
A2 Everything But You
A3 I'm Just a Lucky So-and-So
A4 Azure
A5 I'm Beginning To See The Light
B1 In a Mellow Tone
B2 Just A-Sittin' and A-Rockin'
B3 In A Sentimental Mood
B4 Day Dream
B5 It Don't Mean A Thing

 

とりあえず、データからうかがえるのは、ハミルトンは『The Original』の録音では何かが足りない、と感じたことだね。

メンバーも代えて同じ曲を録音した理由は色々言われているみたいだけど、わたしはドルフィーの個性が強すぎたからだと思う。それがハミルトンの求めるところと違った、と。ちょっと『The Original』の方を聴いてみよう。

 

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・・・う~ん、素晴らしすぎる! いきなりのダブルタイムで始まる「In A Mellow Tone」のフルートソロにやられちゃう。あらためて、なんでこれを発表しなかったんだろ? ってなるなあ。

思うに、「迫力、勢いがありすぎてこれじゃ売れない」と考えたんじゃないかな、ハミルトンは。だから録音しなおした、と。そう考えると、「A列車~パーディド」なんて超有名&キャッチー曲を新たに録音して、それをA面1曲目にもってきたのも頷ける。「ドルフィーが目立ちすぎてリーダーのオレが食われそうだ」なんてつまらない考えじゃない、だろう。

 

それにしても、この録音が2000年までお蔵入りしてたなんて信じられないね。発掘されて本当によかった。ハミルトンは色々と考えた末にメンバーを総入れ替えして新規録音を行い、そちらの音源を発表したわけだけど、50年以上経ったいま、どっちの『Ellington Suite』が人気を集めているか、といったら絶対ドルフィーが参加してる『The Original』の方だろう。これが「歴史が評価する」というやつだ。ドルフィーの方が作品を遠く投げる力があった、ということなのだろう。

 

ただ、この『The Original』、紛らわしいから注意しなよ。君は一度失敗しないからもう大丈夫だと思うけど、いま話した経緯を含めて、とにかく紛らわしいからね、この2枚。なにしろ、録音したのは1枚目の方が先だけど、発表されたのは2枚目の方が先。ドルフィーが入ってるのは58年の1枚目で、バディ・コレットが入ってるのは2枚目だけど、2枚目なのはドルフィー

 

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…こんな風に、「1枚目/2枚目」なんて言い方すると絶対混乱するよ。

 

売る方もこの混乱を避けるために苦労してる。この『The Original』はジャケ違いがいくつもある。ジャケ/発売元は違ってても、内容は同じだから焦って手を出さないように。

 

その意味で、これはひどいよなあ、やっぱり。間違えるなという方が無理だよ。

 

 

Original Ellington Suite

Original Ellington Suite

 

 

 これと比べれば、まだこちらは親切。いま話した経緯を踏まえた上での、発掘しましたよ、既発のものとはちがいますよ、というメッセージが聞こえてくる。

 

オリジナル・エリントン組曲

オリジナル・エリントン組曲

 

 

いっそのこと、新しい1枚です よ、と言ってくれた方が楽かもしれない。そんなコンセプトで作られた(であろう)のがこれ。

 

The Original Ellington Suite

The Original Ellington Suite

 

 

 いやいや、みんな聴きたいのはドルフィーなんでしょ? じゃあ、もっとわかりやすくしようよ。

 

The Ellington Songbook

The Ellington Songbook

 

 

その通りだけど、こりゃやりすぎだろ! リーダーが誰かもわからないよ、これじゃ。繰り返しになるけど、この4枚は全部同じ内容だから、焦って手を出さないように。忙しい日常の中で時間を作ってでも聴く価値のある一枚だけど、手に取るのは1枚で十分。4枚も同じ音源を手に入れる必要はない。

 

ちなみにドルフィーのエリントンカバーといえば、こんな作品もある。

IRON MAN

IRON MAN

 

この中で「Come Sunday」をバスクラで演奏してるんだけど、ベースにテーマを弾かせて、自分はパーカッション的なアクセントやベース、メロディなど、実に自由な振る舞いをしている(この曲はデュオ演奏)。63年の録音、さすが全盛期といったところなのだ(ちなみにこの作品、ウディ・ショウの吹き込みデビュー作らしい。こんな情報は本当にトリビアだなあ)。

 

さて、この『Ellington Suite』の件がどれだけ影響を及ぼしたのかはわからないけど、ドルフィーはチコ・ハミルトンの元を離れることになる。次のリーダーはミンガス。ここでもエリントンとの付き合いは続く。なにしろ、ミンガスバンドに入って、すぐに参加したのが『Pre-Bird』で、「A列車」と「Do Nothing Till You Hear From Me」を録音したのだから。ドルフィーはミンガスからコルトレーン、さらに独立してヨーロッパへ旅立つわけだけど、一番相性がよかったのはミンガスだと思う。ハミルトンからミンガスへ。いい移籍だったよ。

  

プリ・バード(Pre Bird) (MEG-CD)

プリ・バード(Pre Bird) (MEG-CD)

 

 

 

ミンガスとエリントンについては、前に話したことがあったっけ。

 

 

長いこと話し込んじゃったな。というか、わたしが一人で話し続けたのか。

本当はここでずっと君と話し続けていたいとこなんだけど、そうもいかないんだ。

また来るよ。じゃあね。