Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

村上春樹 talks about エリントン。(1) または「so far, so good」。

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もっと早く書くべき内容でした。

村上春樹さん、結構エリントンについて言及してるし、エリントン研究における重要文献に関係したりしてるんです。

そういえば、『ポートレイト・イン・ジャズ』の単行本(ハードカバー)はエリントンが表紙だし、『意味がなければスイングはない』なんて本も書いてますもんね、エリントンへの目配せもあからさま。

エリントン愛好者からすると、ハルキさんは結構大事な仕事をされてるんですよ、実は。

 

 

意味がなければスイングはない (文春文庫)

意味がなければスイングはない (文春文庫)

 

 

 

とりあえず、村上春樹さんと和田誠さんの共著、『ポートレイト・イン・ジャズ』におけるエリントン評をみてみましょうか。 

 

ポートレイト・イン・ジャズ

ポートレイト・イン・ジャズ

 

 

 天才というのは往々にして短気でせっかちで短命なものだが、デューク・エリントンはその才気溢れた人生を、まことに優雅に、まことにたっぷりと、まことにマイペースで生きた。見事に生ききった(原文傍点)というべきか……。そしてその奇跡的なまでに豊かな音楽的水脈は、広い平野の隅から隅までを、余すところなく潤した。言うまでもなく、ジャズの歴史にとっては慶賀すべきことである。

 しかし正直に言えば、こんなに巨大な人にこれだけ長い歳月にわたって活躍されてしまうと、いささかやっかいなことも出てこないではない。素晴らしい曲がいっぱいあるし、素晴らしい演奏がいっぱい残されている。というか、あまりにいっぱいありすぎる(原文傍点)のだ。デューク・エリントンの残した膨大な録音の中からどれか一枚のレコードを選ぼうとするとき、僕らはまるで万里の長城を目の前にした蛮族みたいに、圧倒的な無力感に襲われてしまうことになる。

 というわけで、思い切って個人的にやろう。

 あえて大胆に限定するなら、(1) 僕の好きなエリントンは1939年後半から40年代前半にかけての、それほど「難解」でもなく、それほどワイルドでもない、楽しく洗練されたエリントンである。とくにジミー・ブラントンが入っていた前後の時代のものがいい。(2) その中でもっと限定するなら、いちばん好きなLPはRCAの"In A Mellowtone" 。(3)それをもっと個人的に限定すればB面が文句なく好きだ。とにかくこのレコードは、何を聴いても不思議なくらい聞き飽きがしない。もちろんバンドのメンバーも文句のつけようがなく素晴らしい。ホッジス、ウェブスター、クーティ、ビガード、カーネイ……まさにエリントン楽団の黄金時代である。それ以上にあなたは何を求めるのか?

 

LP "In a Mellowtone" には高名な表題曲のほかに、「オール・トゥー・スーン」とか「ベッドの中の石」といった、僕の愛好する渋いめの曲が入っている。「ソリチュード」とか「サテン・ドール」とか、エリントンの作った有名曲はそりゃ文句なく素晴らしい。しかしそれほど有名じゃないものの中にも、聴くものの心を静かに確実に打つ名品がいくつもある。そういう個人的に密やかな名曲を自分の耳でひとつひとつ発見していくのも、エリントンの音楽の森――とてつもなく巨大な森――に分け入っていくことの、大きな喜びの一つである。

 

「ベッドの中の石」のアイヴィー・アンダーソンの歌は、何度聴いても胸に沁みる。不思議なくらい直截的で、しかも根深くブルージーな彼女の声が、バーニー・ビガードの美しい工芸品のごときクラリネット・ソロにからむ当たりにくると、その造花の妙はひとつの頂点に達する。そこには「おもねり」というものが微塵もない。僕らが目にするものは、真に優れた音楽がふと身を寄せ合ったときに、どこからともなく静かに湧き出してくる、深い共感豊かな慈しみだけだ。

 

春樹さんとエリントンについて書くのは、今回が初めてではありません。

多くの方が興味を持って本ブログを訪れてくださる、モンクとエリントンのこととか。

 

 

あと、何といっても叩き上げのベーシスト、ビル・クロウの証言に関して。

ここで挙げてますが、ビル・クロウには『ジャズ・アネクドーツ』と『さよならバードランド』という春樹さんの翻訳があります。

 

 

それぞれ、ビル・クロウの半ば自伝的な内容で、エリントンに関するモノグラフィーというよりは、ぽつぽつと思い出したことを書き留めた、という内容です。

が、エリントン、そしてエリントニアンに関して、興味深い言及がある本です。

読み物としても、実におもしろいんです。

 

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

 

 

 

で、『ポートレイト・イン・ジャズ』の村上春樹さんとエリントンについて。

 

 

 

うーん………反論はしませんけれど、ハルキさんのイチオシのエリントンは、やっぱりブラントン・ウェブスターなんですか。

 

そりゃ、この時代のエリントンは最高ですよ。伝統的なジャズ史、伝統的なエリントン解釈でもそうなってます。

なので、ブラントン・ウェブスター・バンドを挙げるのは納得です。異議なしです。

 

 

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

 

 

この本のスピンオフ? として、村上春樹さんが編んだジャズ・コンピレーションに収められているエリントン・ナンバーがこれ。

「ベッドの中の小石」。

ブラントン・ウェブスター・バンド時代のエリントン音源で、ヴォーカルはアイヴィー・アンダーソン。

 

 

 

これも、「なるほど納得」な選曲。

…………でも、当たり前すぎておもしろくないなあ。

でも、これはわたしがひねくれたエリントン lover だからなのかもしれません。

そんなにエリントンやジャズに興味がない人からしてみれば、充分「コースを突いた」選択なのでしょう。そう考えると、悪くないチョイスのようにも思えてきます。

 

特筆すべきなのは、この曲はボーカル曲であり、その歌い手がアイヴィー・アンダーソンであること。

ここには、アイヴィー・アンダーソンの再評価というか、もう少し知ってもらってもいいのではないか、というハルキさんの狙いがあるのではないでしょうか? または、当時人気だった某ジャズ評論家のように重箱の隅をつつくような「ド」マイナーなボーカリストを持ち上げる前に、埋もれつつある古典を忘れるべきではないよ、という意思表示というか。

 

アイヴィー・アンダーソンは、日本ではその実力に評価が伴わない歌手の一人です。

この時代のエリントン・オーケストラは、「ブラントン・ウェブスター」バンドではなく、個人的には「ブラントン・ウェブスター・アンダーソン」バンドといってもいいくらい、彼女の存在は重要だったと考えています。

 

ジャズに限らず、ボーカリストとして考えても、アイヴィー・アンダーソンは、その技量(特にそのグルーヴ!)と「キュート系」の端緒として、もっと評価されて然るべき歌い手なんです。

短命だったのが災いして、エリントンオケの専属でありながら知名度が低いのが本当に残念です。

 

アイヴィーの夭折にショックを受け、その後、エリントンオケは女性の専属歌手を雇うことはありませんでした。*1

 

 

アイヴィー・アンダーソンをフィーチャーして編まれたのがこの1枚。

 

 

 

producing Ivy Anderson として素晴らしいコンピレーション。

これがよかったら、上記のブラントン・ウェブスター・バンドに収められている「So Far, So Good」を。これ、わたしのオススメです。

タイトルの意味は「うん、まあ今のところオッケーやねん、今のオトコ」といったところでしょうか。

 

 

アイヴィー・アンダーソン以後、エリントンは、納得できるような女性ヴォーカリストがいなかったので、以後、オーケストラには歌姫として専属契約したヴォーカルがいなかった、とも言われています。

 

こうして書き始めてみて気づきましたが、

エリントンと村上春樹さんについては、まだまだ書きたいことがたくさんあるんです。

 

冒頭でも書きましたが、そもそも、ハルキさんの『ポートレイト・イン・ジャズ』のハードカバー初版は、表紙がエリントンでした。

なんで文庫でビックス・バイダーベックになったんでしょう。残念。

 

 

 

  

というわけで、次回に続きます。

 

*1:諸説あり。商業的な理由だった、という説もあるようです。