Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

エリントンは、「余白のある音楽家」?(『雑文集』から。 村上春樹 talks about エリントン。(2))

前回に続き、村上春樹さんとエリントンについて。

 

 

今回は『雑文集』から2つほど。このエッセイ集、いいですよ。

「壁と卵」が収録されてますし、「音楽について」というパートもあって、ハルキさんのエッセイのうち、わたしは『うずまき猫』と同じくらい好きな本ですね。

 

村上春樹 雑文集(新潮文庫)

村上春樹 雑文集(新潮文庫)

 

 

ひとつめは、「余白のある音楽は聴き飽きない」の中の一節、最後の部分です。

 

何て言うのかな、ビーチボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンのつくった音楽世界には空白みたいなものがあるんです。空白や余白のある音楽って、聴けば聴くほど面白くなる。ベートーヴェンで言えば、みっちり書き込まれた中期の音楽より、後期の音楽のほうがより多く余白があって、そういうところが歳を取るとよりクリアに見えてきて、聴いていてのめり込んでしまう。余白が生きて、自由なイマジネーションを喚起していくんです。晩年の弦楽四重奏曲とか、「ハンマークラヴィア・ソナタ」とかね。デューク・エリントンも余白の多い音楽家ですね。最近になってエリントンの凄さがだんだん心に沁みるようになってきたような気がします。とくに一九三〇年代後半から四〇年代前半にかけて残した演奏が好きです。若いときからエリントンは聴いていましたよ、でもいまの聴き方とは確実に何かが違うような気がする。そういうのもレコードという記録媒体が手元にあればこそ、可能になることですよね。

歳を取っていいことってそんなにないと思うんだけど、若いときには見えなかったものが見えてくるとか、わからなかったことがわかってくるとか、そういうのって嬉しいですよね。一歩後ろに引けるようになって、前よりも全体像が明確に把握できるようになる。あるいは一歩前に出られるようになって、これまで気がつかなかった細部にはっと気づくことになる。それこそが年齢を重ねる喜びかもしれないですね。そういうのって、人生でひとつ得をしたようなホクホクした気持ちになれます。もちろん逆に、若いときにしかわからない音楽や文学というのもあるわけだけれど。

僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさとは何か? それは、いいものと悪いものの差がはっきりわかる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きててよかったなあと思います。

 

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

 

 

 

わかる。 

よくわかります、歳を取ってわかる新しい知覚、とでもいうこの感覚。

 

よく、世間では「歳をとったら頭の働きが鈍くなった」なんていいますが、わたしは実は逆で、新しい知力が芽生え始めているのを感じています。要約力とか、文脈を読む力、本質を掴む力とか。

なので、ここで書かれていることはそうだよなあ、と納得できるのですが……ごめんなさい、エリントンが「余白の多い音楽家」というのはもう少し言葉がほしいなあ。

「余白の多い」というと、水墨画のような「枯れた味」を連想してしまうのですが、わたしはむしろ、どちらかというと晩年まで生命力に満ちた、饒舌な音楽家だったと思うんです。もちろん、年齢からくる体力の衰えはあると思いますが、絶えず新作を発表する姿勢は変わらなかったし。

「余白」を感じさせるとすれば、そのスタイルでしょうか。

リズムにしても、その和音にしても、もしも私たちがエリントンの音楽に「余白」を感じるのならば、それは私たちの分析、感覚が追いついていないせいではないか、とも思うんですよ。

わたしはエリントンの音楽のリズムとか和音は極めて饒舌で自己主張が強いものだと考えていて、そのスタイルは終生劇的な変化は無かった、と考えています。

 

「余白」というのが、発信側の話なのか、受け手側の話なのか。

翻って、ハルキさんの小説は「余白」が多いのか少ないのか。

わたしは、読者それぞれ思い思いの読み込みができる、とても余白の多い作品だと思います。ところが、書かれている文章は即物的で、抽象的な表現は少なく、余白は少ないとも言えます。

 

「『ねじまき鳥クロニクル』? ああ、猫とヨメが失踪してモヤモヤしてたら知らん人が来てもっとモヤモヤしてきて、バットをもって井戸に潜ったら一眠りした。で、目が覚めたらとりあえず一段落した話だろ? スラスラ読めたけどよくわからんかったわ。「皮剥ぎボリス」こえー」

 

 

 

 

「よくわからんかったわ」の部分が、実はハルキさんの一番言いたいことであり、ハルキさんのスタイルなわけです。

そのあたりをもっと書いてもらえたらなあ、と思いました。

 

 

もうひとつは、「ビル・クロウとの会話」。

 

ビル・クロウについては、翻訳・村上春樹でいくつか翻訳があります。

 

 

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

ジャズ・アネクドーツ (新潮文庫)

 

 

で、雑文集ではこれ。

――あなたはニューヨークに出てきてしばらくしてからベースを演奏するようになったんですね。その前にはヴァルヴ・トロンボーンを演奏していた。あなたがベーシストになったときには、誰があなたのフェヴァリット・ベースプレイヤーだったんですか?

 

「そうだね、その当時僕が好きだったベーシストというと、うーん、イズラエル・クロスビーだったな。僕は子供の頃から彼のレコードを聴いてすごいと思っていたからね。それからもちろんジミー・ブラントンだ。僕は手にはいるかぎりのデューク・エリントンのレコードを聴いていたものな。ブラントンが入っているいないにかかわらずエリントンのレコードには夢中だったけれど、ブラントンが入っているものはとくに身を入れてしっかりと聴いた。

 しかし自分でベースを弾き始めてからは、僕のアイドルはレイ・ブラウンとオスカー・ペティフォードの二人になった。彼らは当時ニューヨークで活躍していたし、とくにオスカーの音は、僕がこういう音を出したいという、まさにぴったりそういう音だった。彼の有名なビッグ・サウンド、それからあの抜群のタイム・フィーリング。僕は彼らがリズム・セクションのいち員としてどういうふうに音楽をサポートするかというところを中心に聴いた。もっともオスカーはその上に素晴らしいソロイストでもあったけどね。それから実にいろんなプレイヤーを聴いて回ったよ。……」

 

Solos Duets & Trios

Solos Duets & Trios

  • アーティスト:Ellington, Duke
  • 発売日: 1990/05/15
  • メディア: CD
 

 

 

ジミー・ブラントンに「もちろん」が付く感覚が貴重ですね。

わたしの年代だったら、ジャコやマーカス・ミラーに抱くような感情でしょうか。

 

 

しかし、それ以上に驚きなのは、オスカー・ペティフォードについての言及です。

ペティフォードは、40年代後半にエリントンオケに在籍していました。

40年代後半というと、ブラントン・ウェブスター・バンドが解散し、56年のニューポートのブレイクまでの期間になります。この時代は、アメリカ全体がビッグバンド冬の時代であり、53年の「ホッジスの乱」などもあったため、エリントンのキャリアの中でも  いわゆる「暗黒期」などと呼ばれている時代ですが、いやいや、全然そんなことはありません。

この時代、仕事の忙しさから解放されたエリントンは、その分自由に使えるようになった時間を利用して音楽的な実験を繰り返していた、と考えられるわけです。公表された音源はづくなく、ライブ音源もほとんど残されていませんが、当時契約していたCapitolの数少ない音源からその片鱗をうかがうことができます。まったく、嘆かわしいのはこの Capitol 音源がアクセスしにくく、知名度が低いことで、せめて『Piano Reflections』でももっと聴かれるようになればいいのに……なんて、ビル・クロウのことを書いているつもりなのに、やはりエリントンの話になってしまう。

やはり、エリントンはアメリカジャズ史の地下河川として伏流する存在なのですね。

 

ハルキさんが手掛けたスタン・ゲッツの伝記を読むと、ゲッツとペティフォードの濃密な関係が記されていて、これも興味深い。

 

………というところで、今回は終わりにしておきましょう。

まだまだあるんですよ、ハルキさんとエリントンの関係は。