Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

渋谷毅『エッセンシャル・エリントン』の「対訳」ライブ・レポート(JAZZNIN 記事から)

その昔、『JazzNin(ジャズ人)』という雑誌がありました。

完全日本語-英語のバイリンガル・ジャズマガジンで、隔月発行。 

  

 

 

定期購読していたわけではありませんが、写真家によるジャズの写真がなかなかよくて、気になった号は手にとっていました。掲載されている写真はどれもモノクロ。

絵になるなあ、ジャズマンの写真は。

 

今回取り上げるのは2005年12月-2006年1月号。これに、渋谷毅さんの『エッセンシャル・エリントン』のライブ・レビューが掲載されていたのを発見したからです。家の古い地層から出てきました。レビューは2005年8月の新宿ピットインのライブについて。レビューアーはアメリカ人のMichael Pronkoさんなので、この記事は英語の原文→和文に翻訳したものでしょう。

 

すっかり忘れてたけど、こんなの買ってたんですね。

 

 

『エッセンシャル・エリントン』というと、すぐにこっちが思い浮かびます。

本レビューの曲も、このアルバム収録の曲が多いし。

エッセンシャル・エリントン(HQCD仕様)

エッセンシャル・エリントン(HQCD仕様)

  • アーティスト:渋谷毅
  • VIDEOARTS MUSIC( C)(M)
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ただ、時期的にはこっちの方が近いような。

メンバーは変わらず。

信頼できるメンバーとちょこちょこやりながら、新しいアイデアを練る、という時期だったのでしょうか。

 

 

 

エッセンシャル・エリントン、渋谷毅

 (2005年8月26日 新宿ピットイン)

 

渋谷毅スタイル・エリントンの夕べを『East St.Louis Toodle-oo』と『Just Sittin' and  Rockin'』から始めたのは正解だった。なぜなら、ブルージーでシンコペートするこの2曲のおかげで、バンドはトーンとコントロールの調子を掴むことができたからだ。渋谷の「エッセンシャル・エリントン」はデューク・エリントンの音楽のすばらしき再現だが、エリントンの音楽とは、濁りのないトーンと荘厳なまでのコントロールの上に成り立つ。また、かなり変わった楽器構成で、たとえばチューバがベース代わりだし、ピアノがメロディ担当で、サックスがハーモニー担当なんてことがしょっちゅう起こる。そしてそのすべてを外山明の興味つきない、意外性の連続のようなドラムが下から支える。かと思うと、リズムがピアノのほうに漂っていき、解放された外山が自由な表現の時間を持つなんてことも当たり前のように起こる。この場合、とても違うカウンターポイントが成立する。

これはある意味、妙だ。エリントンをこんなふうにアレンジし直すとは。でもそれがすごくうまくいってる。もちろんミュージシャンはみな真剣に曲に取り組んでいるが、これまで誰もがいつもやってきたような、原曲を解釈し直す作業はしなくてすむ。彼らには自分のボイス、自分の語り口があり、それがエリントンの融通性のある洗練された作品としっくり馴染むのだ。エリントンの音楽にはいつでもただの音楽以上のものがあった。彼がやろうとしていたのは、単なるメロディとハーモニーだけではなく、その一部としてつねに含蓄と意味を追求していた。渋谷は彼特有のアレンジを加えながらも、エリントンのこの広がりのある感覚をとらえている。

ソロを聴いていると、メンバーひとり一人がエリントンについてみな違う捉え方をしていることが分かる。渋谷・峰厚介、渋谷・松風鉱一の各コンビからは、優雅さと洞察だけでなく、それこそエリントン的としか表しようのない、深い感性が聴こえてくる。ゆったりと柔らかく美しい「Mood Indigo」。ハーモニーの豊かさがあふれ出る。清水秀子の「I Let A Song Go out of My Heart」は軽やかに弾み、歌詞の情感がいっぱいだ。「Prelude to A Kiss」はことにすばらしかった。全員が音符をスライドさせ、ビブラートをかける。これは古くもあり、かつ新しくもある手法だ。何曲かに参加した林栄一が見せてくれるのはエリントンの自由な側面である。ハーモニーに乗って、バンドの行けるかぎり、ぐいぐい引っ張る。結果は林の思惑をはるかに越える。曲はいつも終わるころには原曲の姿にひっぱり戻されるからだ。

アレンジの幅はすごい。ボーカルとチューバのデュオによる「Beggining to See the Light」は、なかでもさらにユニークである。「It Don't Mean a Thing」はぐるぐるとワイルドに循環し、全員があらゆる方向に興味深く巧みなソロをはじき飛ばす。シェイクスピアに捧げられた2曲のソネット「Sonnet for Hank Cinq」と「Sister Kate」は、本物の詩的感興を漂わせる。渋谷はソネットとエリントン・ナンバー両方の形式・感情・リズムを把握した。

最後の曲とアンコールになってから気付いたが、客層は驚くほど若い。昔ながらの中年のサラリーマンが定番のようにエリントンに引きつけられるパターンではなく、若いファン層やこれからのミュージシャンなど、あらゆるタイプの聴衆が集まっている。そんな客たちを見ながら、私は思った。ジャズファンはエリントンの曲が、あまりにも豪華に、過剰な敬意をもって演奏されるのに慣れすぎているのではないか。どのバンドも時代遅れの楽器編成という衣装で着飾ったエリントンばかり演奏する。だからみな、健康でクリエイティブで若々しい緊張感のある音楽の登場を喜んだのではないか。渋谷は、この音楽が日頃まとっている豪華な「交響楽風」の衣装を剥ぎとって、室内楽ミニマリズムに簡素化することで、その若返りに成功した。彼の、最小に切り詰めたアレンジは、ビッグバンド的デザートではなく、音楽のメインディッシュにこそふさわしい。

これによって、渋谷とバンドは、ミュージシャン、作曲家、ジャズに貢献した最も優れたひとり、エリントンの音楽を直裁に経験し直す機会を私たちに与えてくれた。また近いうちにこういうチャンスが訪れることを祈ろう。エリントンは決して古びることがないのだから。     ♪(マイケル・プロンコ)

渋谷毅 piano
峰厚介 ts
松風鉱一 saxes
関島岳郎 tb
林栄一 as
外山明 ds
清水秀子 vo

 

………文章、ちょっと硬くないですか。というか、ぎくしゃくしてて、いかにも「翻訳調」の文章だ。これは原文を読んでみたい。せっかくバイリンガル雑誌で、日英両方掲載されてるんだから。あ、少し脱線しますが、わたしが大学時代に先輩から教えてもらったのは、「読む」語学力を効率的に向上させたいなら、対訳本をたくさん読むといい、ということです。

わざわざ見開き対訳の学習用のものでなくていい。

例えば、ドイツ語の原本と英語訳を両方買って読めばいいんだよ……先輩の言葉そのままに、ズールカンプとペンギンブックスを取り寄せて読みました。

これがすごく効果大。

この方法、専門書でなくエンタメ関係でも役に立ちますよ。内容だけじゃなく、だいたいセリフまで頭に入っているものを違う言語で読んでみると、自分でもびっくりするくらいその言語が読めるんです。勉強になりますよ。

 閑話休題

 

では、この記事の原文も引いてみましょう。学習用でもないのに、この雑誌は対訳になってます。便利だなあ。

 

 

Takeshi Shibuya, Essential Ellington

(August 26, 2005 at Pit Inn)

 Starting the evening of Shibuya-style Ellington out with "East St. Louis Toodle-oo'" and "Just Sittin' and Rockin' " felt just right. These two tunes are bluesy and syncopated,  allowing the group to get into their tone and control.
Shibuya's Essential Ellington is a fascinating reworking of Duke Ellington's music that relies on pristine tone and a kind of majestic control. The unusual instrumentation, with tuba taking the bass, piano often taking the melodies and the saxes often the harmonies, all with Sotoyama's ever-intriguing, never-predictable drumming underneath them all. Just as often, though, the rhythm floated to the piano, freeing up Sotoyama to express himself, and establish a very different kind of counterpoint.

It's kind of a strange concept, re-arranging Ellington in this way. but it works wonderfully. The musicians are clearly dedicated to the music, but without needing to interpret the originals like everyone else always has. They have their own voice, their own way of speaking, and it mixes well with Ellington's flexible, sophisticated works. Ellington's music was always about so much more than just the music. The implications and meaning of the music were always part of what Ellington worked with, not just the melodies and harmonies. Shibuya captures that expansive feeling, while arranging the music in his own distinctive way.

The solos showed that everyone in the group had their own idea of Ellingion. The Shibuya/Mine and Shibuya/Matsukaze solos were not only elegant and insightful, they had a deep feeling that can only be called Ellingtonian. "Mood Indigo" was slow, soft and pretty, with all the richness of the harmonies flowing out. Shimizu's vocals on "I Let a Song Go Out of My Heart" were bouncy, lively and full of the feeling of the lyrics. "Prelude to a Kiss" was especially nicely done, with everyone sliding notes and holding their vibrato in a way that was both old and new at the same time. Hayashi sat in for several numbers and revealed the freer side of Ellington, pulling and yanking on the harmonies to see just how far they would stretch. Farther than he thought, it turned out, as the songs always seemed to snap back into their original shape by the end.

The range of arrangements was impressive. "Beginning to See the Light" paired vocal and tuba together for what was one of the most unique arrangements of the already unique arrangements. "It Don't Mean a Thing" circled wildly, with everyone spinning out clever, interesting solos in all directions, while the sonnets dedicated to Shakespeare, "Sonnet for Hank Cinq" and "Sister Kate" were given a genuinely poetic feel. Shibuya captured the form, feeling and rhythm of both the sonnets and Ellington's songs.

The crowd, I realized after the last number and encore, was surprisingly young. Rather than the traditional, older salaryman types who stereotypically gravitate to Ellington, there were young fans, aspiring musicians and all kinds of people. Looking at them wander out of the club, I thought that jazz lovers are so used to hearing Ellington done too lushly and too respectfully. So many bands have delivered Ellington overdressed in out-of-date instrumental clothes that it was a pleasure to hear the healthy, creative, and very youthful tensions of the music come out. Shibuya manages that rejuvenation by stripping what is usually lavishly orchestral down to a kind of chamber music minimalism. His spare arrangements go for the meal and bones of the music, rather than big band sweetness.

In doing that, Shibuya and band give us a chance to re-experience, directly and frankly. Ihe music of one of the most brilliant musicians, composers and people ever to work in jazz. Rumor has it that his second volume of Ellington's works after I999's first is in the works. Let's hope it comes out soon. After all, obviously, Ellington never goes out of date.  (Michael Pronko)

 

英語で読むとよくわかりますね。英語はぎこちないところはありません。むしろすごく滑らかに読めて、わからない単語も文脈とライムに助けられてなんとなく意味が通じます。うん、これはストレスなく、スキマ時間に軽く読める(それでいて急所を突いている)いいライブレポです。

 

えーと、80~90年代的な、翻訳の間違いを指摘するような悪趣味なことはしたくないんですが、エリントンファンとして、どうしても訂正しなければならないところだけ以下に記しておきます。

翻訳という作業にはどうしてもミスがある。

それは理解していますが、これはあまりにも酷いので。もはやほとんど人の目に触れることのない記事かもしれませんが、これは渋谷さんとプロンコさんの名誉回復でもあります。

 

1.

エリントンの音楽とは / The unusual instrumentation

 

いきなり致命的な間違い。

文脈の把握が正反対に間違ってます。これ、エリントンと渋谷毅さん、ビッグバンド音楽の定石を知らないと、こう訳しちゃうのかなあ。明らかに日本語訳はおかしい。

 

この楽器編成の特異性は、あくまでこのライブの渋谷バンドの楽器編成のことですよ。

ここはエリントンの音楽ではなく、渋谷さんのエリントン解釈の特異性を紹介しているところ。エリントンの音楽の特徴は、むき出しの音構成とmajesticなオーケストラのコントロールにあると言ってるけど、ビッグバンドの構成自体はギル・エヴァンスなんかと比べて、ずっと伝統的な構成だったわけです。で、エリントンはそのビッグバンドの王道すぎる構成であんなヘンなハーモニーを生み出し続けた、と。

で、この渋谷バンドはもちろんエリントンオケの構成、メンバーも用意せずに、普通のコンボバンドでは考えられない構成だった、と(プロンコさんはベースの代わりにチューバがいる、というのに驚いたのだと思います)。

もっとも、オリジナルのエリントンの音楽は、担当音域、役割もころころ変わるんですけどね。

 

個々の部分は、嫌な言い方をするなら「少しジャズ史を知らないと間違いかねない」ところではあります。ジャズ史を知らないでそのまま文章を訳したらこうなるかも、です。

 

2.

それこそエリントン的としか表しようのない / that can only be called Ellingtonian.

これもジャズ史の知識に関する誤訳。

「Ellingtonian」って、もはやジャズ史では「エリントニアン」という固有名詞なんですよ。エリントンオケは他のビッグバンドと異なって、流動性が低く、永年勤続功労者がゴロゴロいるバンドなんですよ。で、長年在籍できる理由は、そのプレイヤーに他の人にはないサウンドがあるから。

プロンコさんは、ここで少しヨイショしてるわけですよ、このライブのプレイヤーを。

「エリントン/渋谷の意図を汲んでこんな音を生み出すなんて、まるでエリントニアンじゃないか!」って。

だから、ここは「エリントニアン」とそのまま訳さなければいけません。例えば、「このふたり、まさにエリントニアンとしか言いようがないではないか」とか。

ちなみに、エリントニアンの類義語は「ベイシーアイツ」。重要単語はセットで覚えましょう。

 

3.

彼の、最小に切り詰めたアレンジは、ビッグバンド的デザートではなく、音楽のメインディッシュにこそふさわしい。/
His spare arrangements go for the meal and bones of the music, rather than big band sweetness.

 

この「sweetness」は、「デザート」だけじゃなくて、グレン・ミラーに代表されるような、50年代の甘いスウィング・ジャズ、スウィング・ポピュラーと掛けているのでしょう。

なので、思い切って「渋谷のこのアレンジは、エリントンの本質に迫るものであり、甘いスウィング・ジャズとは無縁のものだ」くらいに訳してしまってもいいのではないでしょうか。

 

4.

また近いうちにこういうチャンスが訪れることを祈ろう。/

Rumor has it that his second volume of Ellington's works after I999's first is in the works.

 

ここもひどい。

渋谷さんの営業活動的な面からも、ここはしっかりと訳してあげないと。。。

さらに言うなら、この時点では明らかでない情報について補足してあげるくらいでないと。「第2作は『アイランド・ヴァージン』で、エリントンの『Concert in the Virgin Island』にちなんだ作品のようだ」とか。

これ、自分だったらガクッとくるなあ。渋谷さんとしても、プロンコさんだとしても。 

 

エリントンファンだったから細かく読みましたが、もしも対訳のレベルがすべてこんな感じだったら………JAZZNINが廃刊になったのもわかります、残念なことですが。 

 

視点変わって、この記事の作者、マイケル・プロンコさんって、もしかしてこの方だったりして。

 

  

 今から約15年前の若かりしプロンコ教授の若書きレビューだったとか。

そう考えてみると、wordのチョイスとか、米文学者らしい、ライムを感じる文章です。

 ほかにも JAZZNIN に書かれているのだろうか、なんて思ったり。

 

以上、深く考えずにつらつら書きました。

でも、更新は2カ月ぶり。

少なくとも、週単位で更新したいとは思ってます。