Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

「Don't get around much anymore」は、エリントンのファッツへのオマージュ、ですよね?(『ジャズ詩大全』から)

前回の続きです。

音楽そのものというより、音楽史におけるエリントン・ナンバーを考える上で、この『ジャズ詩大全』は非常に有用なんです。

今回から、断続的にこの本も参考にさせていただきます。 

うん、本当に今読むと勉強になるんですよ。

 

 

Don't get around much anymore 
1942
作詞/ボブ・ラッセル Bob Russell
作曲/デューク・エリントン Duke Ellington

 

【解説】――曲が先に作られ後から詩が……
 エリントンとラッセルの'42年の曲だが、元もとは[Never no lament]というインストゥルメンタルであとから歌詞がつけられ題名も変えられた。エリントンの曲としては[Satin Doll]や[Take the 'A' train]と較べれば、あまり知られていない部類にはいるかもしれない。
 エリントンの曲のほとんどがそうだが、演奏を目的として曲が最初にでき、のちに歌詞がつけられるという形をとっており、そういう意味ではこの曲にもどこかに無理があるかもしれない。[Satin Doll]はそういう部類の典型で、どうもその歌詞にはこじつけたような無理が感じられる。ほかにも、フランク・フォスターの曲にエラ・フィッツジェラルドが歌詞をつけた[Shiny stockings]など、やや無理が感じられる例である。
 作詞のボブ・ラッセルについては[Crazy she calls me]のところで触れたが、エリントン作の数曲に言葉をつけている。

 

うん、そうなんです。 

エリントンにとって大事なのはあくまで「音楽」であって、その音楽メロディラインに寄せられた歌詞は副次的なものだったのでしょう。その意味で、エリントンに文学的な才能は乏しかった、と言えるでしょう。それは自伝の『Music Is My Mistress』を読んでもうかがえるところです。ああ、あれは翻訳もよくないんですけどね。

 

La musica es mi amante / Music Is My Mistress: Duke Ellington (Memorias)

La musica es mi amante / Music Is My Mistress: Duke Ellington (Memorias)

 

 

エリントン・ナンバーに関しては、その曲がヒットしたり、ヴォーカルが歌う段になって歌詞が付けられた、と考えておけば大体間違いない。その一方で、エリントンの思想的な思い入れが強く、当初から歌詞があったものは宗教色濃厚だったり、政治色濃厚だったりして、極東に住むわれわれにとってはそのまま感受できないものが多かったりします。

 ボブ・ラッセルは、この「Don't get around much anymore」のほかに、「Do nothing till you hear from me」や「I didn't know about you」の歌詞も書いています。

 

f:id:Auggie:20200912014839j:plain Bob Russell(1914-1970)

 

(VERSE)

When I'm not playing solitaire I take a book down from the shelf
And what with programs on the air I keep pretty much to myself

 

(CHORUS)

Missed the Saturday's dance
 Heard they crowded the floor
Couldn't bear it without you
 Don't get around much anymore

 

Though I'd visit the club
 Got as far as the door
They'd have asked me about you
 Don't get around much anymore

 

Darling I guess my mind's more at ease
But nevertheless why stir up my memories

 

Been invited on dates
 Might have gone but what for
Awf'lly different without you
 Don't get around much anymore

 

さて、では詩の訳文をみていきましょう。

われわれの世代の英語教育は文法偏重とされています。

そう考えると、このタイトルの「Don't ~」は否定命令文、すなわち「~するな!」と読みたくなるところですが、どうなのでしょう。

  

[訳]

(ヴァース)

カードで独り占いをしてないときは僕は棚から本をとって読んでいる
なにかいいラジオ番組でもあればそれを聴きながら
僕は自分のことだけに気持ちを集中させているのさ

 

(コーラス)
土曜のダンス・パーティに行けなくて残念だった
多勢が押しかけてフロアはごったがえしていたそうだが
君なしではとても行く気になれなかったんだ
もう遊びまわるのはやめにするよ!

 

クラブヘ行こうと思って
ドアの近くまでは行くんだけど
そうすると皆が君のことを僕に訊いたりするだろう
だからもうここらを歩きまわるのはやめにしたんだ

 

僕の気持ちは少し落ち着いてきたと思う
だから想い出をほじくりかえすようなことはしたくないな

 

最近デートに誘われるから
行ったほうがいいと思ったりするんだけど
でも一体なんのためって思うとね
君がいるといないとでは大違いさ
もうここらを徘徊するのはやめにしたんだ!

 

 

歌詞全体で考えれば一目瞭然。

「Don't get around ~ 」は、否定命令文でも何でもなくて、単に主語の「I」の省略なんですよ。村尾氏の解説に進みましょう。

 

【補遺】一一主語の省略
 コーラスの最初の4行と、6、8目、11、12、14行目はいずれも主語I(私)が省かれている。主語が省かれてしまうケースは、昔のプレスリィなどのロックやポップスの曲に多かったが、ジャズの歌にも出てこないわけではないので気をつけなければならない。Don't get around much anymore を命令形ととると全く意味が違ってきてしまい、大きな誤解の元になる。実際そういう誤訳が既になされていて、「もはやこれ以上避けるのはやめてくれ」と、反対のことが書かれている本もある。
 それからブリッジのwhyとstir upのあいだにもdo l が省略されている。
 例によって( I ) Don't get around much anvmore の意味は下線を施して示してみた。
 私にはジョウ・ウィリアムズやアーネスティン・アンダーソンのものが印象に残っているが、ナット・キング・コール、ナンスィ・ウィルソンほか多くの人が歌っているし、最近ではナタリィ・コールもお父さんの愛唱曲を歌ったレコードでこれを歌っている。

 

[注]
―― And what with programs... のwhatは単なる強意語である。
―― get aroundは〈歩きまわる、徘徊する〉という憲味で、ほかにも沢山の憲味があるが、他の意味で使うのならば誤解を避けるためにも主語や目的語を省略しはしないだろう。
―― be at ease 〈楽になる〉、stir up 〈掻きまわす〉などは辞害にでているとおりの普通の意味で、誤解の余地はない。
―― awf'llyは〔fu〕が単なる〔f〕へと無声化してしまう例で、前述したpray'rと似たような現象と言えるだろう。 

 

まず、「プレスリィ」、「ナンスィ」、「ナタリィ」という表現に痺れます。

あと、「get around」の訳語に「徘徊する」が当てられている辺り、時代を感じますね。いまなら「徘徊老人」などのイメージがあるので、まず、この歌詞の意味では使いません。「ほっつく」とか「うろつく」、「ぶらぶらする」、「ブラつく」なんて言葉の方がしっくりくるでしょう。

いや、もっと言うならこの「get around」は「女の子といちゃつく」ことの婉曲的な表現と考えられるわけで、「Don't get around much anymore」とは、「浮気はやめた」、「Ain't Misbehavin'」だと言ってるわけです。

つまり、うがった見方をするとこの曲はファッツ・ウォーラーへのオマージュとも考えられるわけで、そう思って聞いてみると似ている気もしなくもありません。

 

ファッツ、顔芸がすごい。特に眉毛が生き物みたい。

 

だとすると、この曲のタイトルの邦訳はどうすべきでしょう?

「Don't get around much anymore」、邦訳がないのが不満でした。

昔の時代は映画タイトルにせよ、スタンダードナンバーにせよ、いろいろな意味で今でいうところの「香ばしい」邦訳がたくさんありました。でも、この「Don't get around much anymore」はそのまま「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニィモー」なのが気にくわなかったんです。

一時期、バンドのMCを担当してたことがありまして、この曲を紹介するたび、「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニィモー」と言うのが苦痛でした。長いし、英語の発音をどうすべきか悩むし、お客さんも一聴してわからないだろうし、と。

まあ、邦訳が定着しなかったのは、村尾氏が述べているように解釈が揺れていたのでしょうね。

でも、せっかくなので、ここでこの曲のタイトルの邦訳を考えてみることにします。

 

やっぱり、「Don't get around much anymore」は、「Ain't Misbehavin'」へのオマージュであることを匂わせたいですよね。で、「Ain't Misbehavin'」は「浮気はやめた」。でも、エリントンのこの曲では、「浮気」というよりガールハント、「ハンティング」かなあ。とすると、わたしに思い浮かぶのはこれ。

 

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東方仗助荒木飛呂彦先生への敬意も込めて、「ハンティングはやめるっス」なんてどうでしょう?

 

あ、ダメですか? ジョジョ好き、ジャズ好きの人なら納得してもらえると思うんですが。

 

じゃあ、「浮気はやめた」じゃなくて「浮気はやめ」とか「浮気はやめるよ」でどうでしょう。歌詞の意味も汲んでて、ファッツへの目くばせもあります。

ライブのMCでウケを狙うのなら、「石田純一はやめた」「渡部建東出昌大はやめた」とかでもいいでしょう。ああ、東出昌大はちょっと違うかな。なんかサイコパスっぽくて重い感じなので、get around とは少し違うかも。

 

アホな話になりましたが、「Don't get around much anymore」は、エリントンのファッツの「Ain't Misbehavin'」へのオマージュでしょ? という話でした。

『ジャズ詩大全』、面白いですよ。

 

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"Duke Ellington Playing Don't Get Around Much Anymore"

 

 

あと、エリントンで「Never No Lament」っていったらこれですよね。

 

Never No Lament the Blanton-Webster Band

Never No Lament the Blanton-Webster Band

  • アーティスト:Ellington, Duke
  • 発売日: 2003/04/01
  • メディア: CD
 

 

しばしば「エリントンの黄金時代」と評される、エリントンの「3Bの時代」、Blanton-Webster Band の音源です。

そうか、この時代の音源を「Never No Lament」と名付けたのは、「エリントンを聴くなら、他の時代に浮気せずに、とにかくこの時代を聴け!」という意味が込められていたのかも。

 

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

ブラントン=ウェブスター・バンド(1940-1942)

 

 

ジャズ詩大全1 (楽譜なし)

ジャズ詩大全1 (楽譜なし)