Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

色気の無い「Something To Live For」。(Steve Lacy『Evidence』)

いつもの野口久光による紹介文、今回はスティーヴ・レイシー。このブログで取り上げるのは、エリントンとの関係から。 

 

Evidence With Don Cherry(import)

Evidence With Don Cherry(import)

 

 

『Evidence』, スティーヴ・レイシー ドン・チェリー四重奏団


 今月の新譜のなかで最も新鮮かつ内容的にも傾聴しなければならないのはこのLPであろう。長い間あまりジャズの演奏に重視されなかったソプラノ・サックスも、コルトレーンが手掛けて以来われわれに親しみある楽器となったが、この新人リーダー、レイシーはこの楽器のモダン奏者としてはコルトレーンよりはるかに先輩だが、年齢は20代の若さである。十年ほど前にはディキシーのグループと専らやっていたこともあるが、セシル・テイラーギル・エヴァンスとの共演に始まるモダンヘの転出以来着実な歩みをみせ、1960年に至って、かねて尊敬するモンクのコンボで数ヵ月働いている。このLPは61年に入ってからの吹込みで、オーネット・コールマン四重奏団のメンバーだったドン・チェリー(tp)、ビリー・ヒギンズ(ds)、それに新人のカール・ブラウン(b)を加えた四人編成による極めて実験的なセッションである。演奏される六曲のうちアルバム・タイトルになっている「エヴィデンス」(証拠)、「フー・ノウズ」「レッツ・クール・ワン」など四曲はモンクの曲、あとの二曲はエリントンの古い曲とストレイホーンの曲である。モンクもエリントンもレイシーの好きな作曲家だというが、レイシーとチェリーのソプラノ・サックスとトランペットの重なった音色がまずスリリングであり、両者のアドリブがまたそれぞれ原曲のハーモニーやメロディ構造をえぐるように追求していく。曲に溺れた演奏、曲の表面をなでた演奏というのもよくあるが、レイシーの演奏態度ははるかに内面的であり、分析的であり、しかもそれがレイシーの音楽になっている。リズムのふたりもテクニックがあり、新しい感覚の持ち主である。
                  (『レコード藝術』63年3月号)
注①61年11月14日②「エヴィデンス/スティー

 

"The Mystery Song" (Ellington, Mills)
"Evidence" (Monk)
"Let's Cool One" (Monk)
"San Francisco Holiday" (Monk)
"Something To Live For" (Ellington, Strayhorn)
"Who Knows" (Monk)

 

Steve Lacy - soprano saxophone
Don Cherry - trumpet
Carl Brown - bass
Billy Higgins - drums

録音61年11月14日。 

 

スティーヴ・レイシーとエリントンの関係については、以前にこのブログで一度まとめてある。

 

 

 

簡単にまとめると、エリントン曲を演奏するシドニー・ベシェに魅了されたレイシーは、ソロ・デビュー作『soprano sax』ではモンクとエリントンで出発したが、

Soprano Sax

Soprano Sax

 

 

2作目の『Reflections』ではエリントンから離れ、モンク吹きとしてのスタンスを確立した。

Reflections: Plays Thelonious Monk

Reflections: Plays Thelonious Monk

 

 

ただ、エリントン曲は封印したわけではなく、そのキャリアでも忘れた頃にエリントン曲との付き合いはあり、晩年は再び濃密にエリントンと向き合うこととなった、というのが以前書いたエントリの内容。

 

今回野口氏によって紹介される『Evidence』はソロ4作目。

ソロ3作目『Straight Horn of Steve Lacy』ではエリントン曲はカバーされてないものの、

Straight Horn of Steve Lacy

Straight Horn of Steve Lacy

 

 

ソロ4作目である本作『Evidence』では、 こっそりとエリントンを忍ばせている。

ただ、このカバーの仕方はエリントンの再解釈というか、むしろその魅力を解体しているかのような演奏だ。

 

「Something to Live for」はメロディを強調した質素なアレンジで、ストレイホーン印ともいえるハーモニーの官能は捨て去られているし、「The Mystery Song」なんて、30年代に録音したきりの曲で、そもそも、まずエリントンの曲であることすら認識されていなかったのではないか。モンクのカバーは、ある程度モンク自身の音楽の方向と一致していたが、エリントンのカバーはエリントンの目指した方向とは異なり、「解釈」とするのが適当。とりあえず、レイシーの2人に対する姿勢はそうまとめられるだろう。