Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

エリントンのラウンジ・ミュージック、『Afro-Bossa』。

結論から先に述べよう。

『Afro-Bossa』は、曲の斬新さにオケの演奏力が追いついていない。

演奏者の解釈がこの時点では不十分とでもいおうか、残念な完成度となっている。

だが、それこそがエリントンの狙いだったのかもしれない。

いつものように、野口久光氏による当時の紹介文からみてみよう。

 

アフロ・ボッサ<SHM-CD>
 

アフロ・ボッサ
デューク・エリントン(Rep.)
 長年専属だったコロムビアを離れて自由な立場で吹込みをしているデューク・エリントン楽団のリプリーズ契約第一作LPである。LPの題名からはちょっとポピュラーな狙いのもののような予感があるが、内容は大エリントンの名を辱しめない意欲的なオリジナル曲をそろえたキメの細かい力演集である。アフロ・ボッサというのは、要するにアフリカン・ビート、アフリカ的な色彩をエリントン流のイメージとして作ったという意味らしく、近ごろ流行のボサ・ノヴア的なものでは全くない。むしろエリントンが三十数年来やってきた編曲手法によって創り出してきたオーケストラルなトーン・カラーがここにも展開されるが、それが古めかしいどころか新鮮に響くところはさすがに大エリントンである。トランペット・セクションに久しぶりのクーティ・ウィリアムスを加えて、レイ・ナンス、キャット・アンダーソン(tp)、ローレンス・ブラウン(tb)、ジョニー・ホッジス(as)、ジミー・ハミルトン(cl)、ハリー・力ーネイ(bs)、ポール・ゴンザルヴェス(ts)などをフィーチャーした12曲は、オーケストラ・ジャズとしてそれぞれたのしめるばかりでなく音楽的にも充実している。「アフロ・ボッサ」「パープル・ギャゼル」「アブサン」「ムーンバウ」「センプレ・アモーレ」「シルク・レイス」「タイグレス」「第八のヴェイル」「ピラミッド」など、エジプトやアフリカの歴史、伝説を題材にした珠玉の小品集ともいうべきLPである。エリントンのレコードにも妙にコマーシャルな企画にのった失敗作もあるが、これは最上級の質をそなえた最新作である。
                 (『レコード藝術』63年9月号)

 

タイトル名から慎重に考えることにする。

Bossa Nova」とはポルトガル語で「新しい傾向」という意味であり、「Afro-Bossa」という語は、文字通り解釈するなら「アフリカ的傾向」という意味だ。なので、管理人は初めてこの作品を聴くとき、アフリカ色全開の作品なのかと期待していたのだが、いざ聴いてみるとラウンジ―なラテン・ジャズ(もっとも、1曲めの「Afro-Bossa」はラヴェルボレロのアフリカ的解釈といってもいいのかもしれないが)。どうも「Afro-Bossa」の「Bossa」は「Bossa Nova」という音楽ジャンルをあらわしているようだ。野口氏は「大エリントン」の素晴らしさを誉め讃えており、「近ごろ流行のボサ・ノヴア的なものでは全くない」としているが、いや、このタイトルと音楽の内容は、エリントンと新レーベルのRepriseの流行に乗ろうとした戦略ではないだろうか。

これについては、「公爵備忘録」のCotton Clubさんも同様のことを書いている。

Repriseはエリントンのファンではなく、ポップス音楽・ラテン音楽・軽音楽などのファンが聴くことを想定して、そういう人たちに好かれるようなエリントンミュージックを提供しようとしたのではないか。つまり、Repriseレーベルは、コアなエリントンフリークのためにレコードを作ったのではなく、御大ご自身の創作意欲のためにレコードを作ったのでもなく、今までエリントンを聴いていなかったリスナーに向けて、エリントンを聴いてもらうためのレコードを作ろうとした。それがRepriseとエリントンが合意した戦略だったのではないか。

 

管理人も同意見である。

そして、管理人としてはエリントンがボサノヴァっぽいことに手を出すのは特に抵抗がない。というか、よく知らないものを自分の好きなように解釈・加工するのは、エリントンの音楽的キャリアの出発点でもある。「キャラバン」なんて、プエルトリコ人が砂漠のキャラバンを書いた風景をアフロ=キューバンで演奏してる曲だ。ボサノヴァに手を出したから何だというのか。

 

ただ、演奏はいまひとつだ。いまひとつ、とは解釈が追いついていない、という意味であり、ダイナミクスアーティキュレーションなどが詰めきれてないように聴こえるのである。

 

たとえば、#1の「Afro-Bossa」はこの録音数ヶ月後の「パリコン」の方が演奏の完成度は高いし、

Great Paris Concert

Great Paris Concert

 

(『パリコン』では「BULA」と表記) 

 

「SILK LACE」は『In the Uncommon Market』の解釈の方が緊張感があって優れていると思う。終わり方も、ベースとクラのデュオになっているのが斬新だ。

In the Uncommon Market

In the Uncommon Market

 

 

(ちなみに、フィッシュマンズのリミックスのサンプリングに使われていたのもこっち。)

 

ただ、「Purple Gazelle」は「Angelica」というタイトルでコルトレーンとのアレで録音されているが、この曲はオーケストラによるこの作品の演奏の方がずっとよい。 

 

Duke Ellington & John Coltrane (Reis) (Dig)

Duke Ellington & John Coltrane (Reis) (Dig)

 

 

エリントンのリプリーズへの移籍は、商業的な成功を目的としていたのではないだろうか。そう考えれば、あの悪名高いシナトラとの共演盤も納得できる。これ、作品の出来はともかく、話題性だけはバッチリ、だもんね。

Francis a. & Edward K.

Francis a. & Edward K.

 

 

なので、『Afro-Bossa』は「エリントンによるボサノヴァの素晴らしき芸術的解釈集!」などではなく、「ボサノヴァに手を出してみた作品」でいいだろう。多くの人の耳に届くよう、聞きやすい音楽を作った、と。そう考えると、半数近くの曲がフェイド・アウトで終わっているのも納得できるし、深読みするなら、演奏がゆるい完成度に留まっているのも、BGMとして利用されることを考慮しているのかもしれない。

この時期に作られ、『Afro-Bossa』に収録してもおかしくない曲として「Guitar Amour」があるが、このコンセプトに合わなかったのではないだろうか。BGMとして聴くにはドラマチック過ぎる。あるいは単に、すでに『Midnight in Paris』に収録してしまったためかもしれないが。。。

 

A Midnight In Paris

A Midnight In Paris

 

 

いずれにせよ、後世の人間が気合を入れて聴くと肩透かしを食らってしまう作品。

曲がいいだけに残念である。

 

【引用元】

 

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野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)