ハルキさんとエリントンについて、いよいよ最終回です。
気づいたら4回も続けてたんですね。
1回で終わるかな、と思って書き始めたのですが。
先日、村上主義者の長い付き合いのある友人からメールをもらいました。
「エリントンとハルキさんの一連の記事読んだけど、あまり共感できないな。ちょっとハルキさんに厳しいんじゃない? 四方田犬彦が好きだからって、そんなところまで真似しなくてもいいのに」とのこと。
うーん、たしかに(1)から(4)までの記事の内容だと、そう思われちゃうのも仕方ないかもしれない。
でも違うんだよ、前回は特にディスっちゃったけど、わたしはハルキさんの本はだいぶ読んだつもりだし、これでも村上主義者の末席に名を連ねるつもりの人間なんだよ。
恥ずかしながら学生時代は固有名詞があふれるライフスタイルに憧れたし、小説における比喩(メタファー)の重要性、「壁抜け」の意味、物語とか小説の意義、また、翻訳の技術面でも勉強になった。
学生時代、朝日が昇るまで友人と泡盛を飲みながら『ねじまき鳥クロニクル』について話したことをおぼえています。
そういえば、『ねじまき鳥』はハルキさんが『ツイン・ピークス』に熱中しながら書いた作品だとか。中学校の頃に『ツイン・ピークス』に深くハマったわたしが『ねじまき鳥クロニクル』にも深くハマったのも当然のことなんです。
いわゆる「サード・シーズン」(the return, a limited event series)を最近観ました。
これもとんでもなく面白かった!
とあるブログの、第16話を「控えめに言って神回です」というコメントに同意。
デビッド・リンチ作品を全部もう一度観なければ。
今回はこのシリーズの最後。
ハルキさんも一人のエリントンloverであることについて書きましょう。
そもそも、ハルキさんとエリントンについて書こうと思ったのは、この本のこんな一節を読んだから。
後日の短い追加インタビュー
モーリス・ペレスとハロルド・ゴンバーグ
村上「この間、モーリス・ペレスさんの話が出ましたね。バーンスタインのところで一緒にアシスタント指揮者をやっていた人」
小澤「そうだ、そうだ、たまたまね、その話をしたあと、彼から連絡があったんです。モーリス・ペレスから。ニューヨークの僕のマネージャーのところに、写真を送ってきてくれた。
その昔、カーネギーの前で三人のアシスタント指輝者が並んで写っている写真。それと一緒にお見舞いのカードを。僕がこの間、ニューヨークの公演をキャンセルしたでしょう。そのお見舞い。それがつい昨日か一昨日、ニューヨークから転送されてきた。まったくの偶然だね」村上「それはよかったですね。あのあと、インターネットでペレスさんのことを調べてみたんです。プエルト・リコ系アメリカ人で、今も指揮者として活躍しておられるようです。1974年から1980年までカンザス・シティー・フィルハーモニックの指揮者を務めて、その後は世界各地のオーケストラを指揮しています。息子さんはわりに有名なジャズ・ドラマーなんです、ポール・ペレス、フュージョン系の人ですが」
( 小澤さんはプリントアウトを読む。 )
小澤「この人、中国でもずいぶん指揮をしているんだね。ほう、上海オペラもやっているんだ」
村上「本も出しています。『ドヴォルザークからデューク・エリントンまで』という本です」
小澤「うん、この人、デューク・エリントンとも個人的に親しかったんです。へえ、すごいねえ、こういうのが調べられるんだ」
村上「ウィキペディアというサイトがあるんです。どこまで正確なのかは僕にもわかりませんが。あとハロルド・ゴンバーグさんのことですが、調べてみると、彼の弟さんもオーボエ奏者で、ボストン交響楽団の首席奏者だったんですね」
小澤「そうそう、そうなんだ。ラルフというのが弟で、ボストンの一番をずっとやっていました。僕の最後の頃に引退したんだけど。兄貴がニューヨークの一番で、弟がボストンの一番だった」…
などなど。
こんな感じでインタビューは続きます(余談ですが、日本人の傾向として「なあなあ」で終わってしまうことが多いので、ハルキさんは「対談」という形式はあまり好きではないらしいです。なので、この小澤征爾さん、河合隼雄さんとのセッションも、形式は「インタビュー」です。対談なら自分もそのセッションの責任が生じますが、インタビューなら自由に自分の聞きたいことを聞ける。そんな意味もあるのでしょうか)。
いや、全然予想してなかったから、いきなりエリントンの名前を目にしたときはビックリしました。
ここで挙がっている本はこれ。
原文に忠実に訳すなら、『ドヴォルザークからエリントンまで ーある指揮者によるアメリカ音楽とアフリカ系アメリカ人のルーツを探る旅』といったところでしょうか。
タイトルから、硬質な論文をイメージされる人もいるかも知れませんが、いやいや、エッセイに何本か毛が生えたくらいの読み物です。翻訳はないと思いますが、このジャンルの趣味が合う人ならすぐに読めちゃう本ですよ。楽しんで読めました。
それにしても、「ウィキペディアというサイトがあるんです」という言葉には時代を感じますね。
閑話休題。
この本からは、とにかく音楽に対して真摯なハルキさんがうかがえて嬉しかったんです。そうだよ、こういう人なんだから、「音楽について書く」ことの困難、不可能性に無自覚なわけないじゃないですか。 そう思い直して、以前に読んだハルキさんの音楽関係の本を読み直しました。すると、たくさん出てくる出てくる、エリントンについての言及が。ビル・クロウ関係、モンク関係、スタン・ゲッツ関係。えーと、モンクについてはもう書きましたね。
本館の「デューク・エリントンの世界」と別館であるこのブログでは、ハルキさんとエリントンの関係の紹介は順番逆の最後になってしまいましたが、実はそんな順で読み進めたんです。
さて、ハルキさんの音楽についての文章群を読むと、2つの傾向が見えてこないでしょうか。
それは、
1.
音楽について書くことの困難さについて自覚的だからこそ、音楽評論はしない(あるいはする場合でも、比喩的、詩的な表現での説明)。
2.
自分が創作する物語の重要なスパイスとして使うか、それともその物語自体が、ある音楽への評論となるか。
の2つ。簡単に説明するならこんな感じ。
「1」はこういうことです。
よく、人気があって筆が早い文化人が、その本職の余技として音楽や映画などの評論もどきを書く場合がありますが、たいていは感想文の枠を出ない薄っぺらいものに終わりがち。ハルキさんはそういうものを書きたくなかったのでしょう。それはミュージシャンたちへの敬意からくるものだと思います。簡単に言えば、音楽に関して安い文章は書きたくない。自身、バッハの「インベンション」を弾けるくらいは楽器ができて、「一日中ジャズを聴いていたいから」という理由でジャズ喫茶を経営していたハルキさんならそう思うはずです。
そして、「2」のわかりやすい例でいうと、前者が『海辺のカフカ』、後者が『国境の南、太陽の西』です。
まず前者について。
わたしが『ジョジョの奇妙な冒険』を読んで洋楽ロックの固有名詞を知ったように、村上春樹を読んだ若い読者は固有名詞の海に溺れることでしょう。
荒木先生が名前だけ借用した『ジョジョ』よりも直接的な方法で。特に、『海辺のカフカ』を読んだ若い読者は通学時間の一人の時間にRADIOHEADの『KID A』を聴きたくなるはずです。spotify の日本担当者は首を傾げるでしょうね、「なんで日本では、いつまでも『KID A』とオースティン・マホーンの「Dirty Work」の人気が高いんだろう?」と。
with B!
で、後者の「その物語自体がある音楽への評論」の典型が『国境の南、太陽の西』です。つまりこの小説、ハルキさんは「The Star-Crossed Lovers」のライナーノーツを書く感じで創った物語なんじゃないでしょうか。
この小説のタイトル自体がジャズ・ナンバーのタイトルなわけで、こんなにわかりやすい例はありません。
この小説については、多くの人が多くの解説を加えているので内容については割愛。
例えば、こんな感じです。
アメリカ人にとって、south of the border「国境の南」とは、「限界を超える/行き着くところまで行ったその向こう側」という意味を含んでいるわけで、「太陽の西」も同様。
一方で、star-crossed lovers とは「薄幸な恋人/めぐりあわせの悪い恋人」という意味。日本人からすると織姫と彦星を連想しますが、それは関係ありません。シェイクスピア文化圏ではロミオとジュリエットになるのでしょう。
エリントンの「スタークロスト・ラヴァーズ」がテーマ音楽といってしまってもいいこの物語は、この音楽の解説になってるじゃないですか。 『カサブランカ』の「As time goes by」のように。アレにそっくりの場面もありますし。つまり、『国境の南、太陽の西』という作品は、これ自体がエリントンの「The Star-Crossed Lovers」の解説なわけです。『雑文集』で「ビリー・ホリデイの話」やっていることを、小説でやっているんです。
「エリントンの『The Star-Crossed Lovers』がどんな曲かって? うーん……うまく説明できないな。うまく説明できないから物語で語るなら……」と語ってみせた話なんじゃないかな、と思ってます。あ、もちろん「south of border」も入ってるので、この2曲を解説する小説、ということになると思います。小説のタイトルが『国境の南、太陽の西』になったのは、そっちの方がタイトルとしてキマったのでしょう。
ハルキさん、あまり自分でネタばらし、手の内は明かしませんが、結構実験的なことやってますしね。 これもそのうちの一つなのではないでしょうか。
で、少しだけこの曲について述べておきましょう。
エリントンのこの曲はホッジスフィーチャー曲。エリントンの創作欲は衰えるところなし。惜しむらくは時代のせいか、カバーする人に恵まれなかったこと、メロディーが完成しすぎていてアレンジが難しいこと、または単に知名度の低さのせいで、他のエリントン・ナンバーに比べてカバーされることは少ないんです。残念。
ホッジスのフィーチャー曲としては、60年代前半の新曲で、その意味でも貴重な1曲。
ほかに60年代後半のホッジス関係の新曲というと「Isfahan」と「Black Butterfly」もあります。エリントン・ナンバー、60年代もハッとする新曲はたくさんあるんですよ。「Isfahan」は菊地成孔さんもカバーしてますよね。なんと、ダブクインテットでアンビエント風のカバー。
この曲のベストの演奏はパリコン。
パリコンには、とにかく60年代のエリントンのすべてがが凝縮されているんです。
では、まとめましょうか。
実はハルキさんがエリントンについて語る文章は多い。エリントン周辺、エリントニアンまで広げれば限りなし。
そして、ハルキさんには音楽、特にジャズについての文章も多いが、それは戦略的に2パターンに分けられると考えられる。小説1本を「The Star-Crossed Lovers」の解説に充てるなんて荒業をしてるくらいだから、エリントンに対する敬意は多大。
ただ、エリントンに対しては、まだ書ききれていないのではないか・・・
これが現時点のわたしの感想です。
なにしろ、『意味がなければスイングはない』なんて本も書いてるくらいの方ですよ? エリントンについてまだまだ書きたいことあるはずです。
ハルキさん、ブラントン・ウェブスターだけじゃなくて、60年代エリントンについても書いてくださいよ。同時代人としてハルキさんが聴いたエリントンはこの時代じゃないですか。
楽しみにしてますよ。