ハルキさんとエリントンについての補足。
今回はボーナストラックです。
先日、ようやくハルキさんとエリントンが終わったところですが、そういえば、ハルキさんの音楽に関するエッセイの中に、佐山雅弘さんについて書いているものがあったことを思い出しました。
そして、佐山雅弘さんの逝去については、すでに別のブログに書いてます。
今回引く文章は、佐山さんの死への追悼の文章ではありません。ずっと前の、佐山さんの作品のライナーノーツにハルキさんが寄稿したものです。
ひたむきなピアニスト
ジャズ・ピアニストである佐山雅弘さんの出したCD『FLOATIN' TIME』(ビクターエンタテインメントント)のために書いた短いライナーノート。2002年9月。佐山さんに直接頼まれて書いたと記憶しています。文章の中にもあろように、僕が国分寺でジャズの店をやっている頃、彼はまだ音大の学生で、ときどきうちでピアノを弾いていました。久しぶりに聴くととてもうまくなっていて(当たり前の話だけど)、驚きました。
二十代半ばで、東京の国分寺という街でジャズ喫茶を始めた。結婚して、借金を抱えて、素人商売を始めたわけだ。朝から晩までジャズを聴いていたいという、ただそれだけの理由で。というふうに、世界はとても単純にできていた。1974年のことだ。誰も使っていないアップライト・ピアノがうちにあったので、それを店に持ち込んで、週末になるとローカル・ミュージシャンのライブをやるようになった。当時中央線沿線にはたくさんのミュージシャンが住んでいたから、人材に不足することはなかった。みんな若くて貧乏でやる気まんまんで、少ないギャラでエキサイティングな演奏をしてくれた。ライブはぜんぜん商売にはならなかったけど、まあそれはお互いさまだ。
佐山雅弘くん(習慣でつい「くん」と言ってしまうんだけど)は、当時まだ国立音大の学生で、ジャズ・ミュージシャンとしてはほんとうの駆け出しだった。今とはちがってがりがりに痩せていて、そのせいかビうかは知らないけど、どことなくハングリーな目の輝きみたいなものがあった。佐山くんがうちの店で実際に演奏したことはそんなにたくさんなかったと思うんだけど、でも彼のことは不思議にはっきり覚えている。ほかの若いミュージシャンがいかにも「ズージャやってます」みたいなアンニュイな、ワイルドな雰囲気を漂わせていたのに比べて、佐山くんにはそういうところがなかったからかもしれない。学究的というか、とにかく明けても暮れてもピアノのことばかり考えている、というようなところがあった。頭の中にはとりあえずコード進行のことしか入ってないみたいにも見えた。
だからソロ・ミュージシヤンとして彼の名前を耳にするようになったときにも(その頃には僕ももう専業作家になっていた)、とくに驚かなかった。まあ出てきても不思議はないよなと思った。その演奏を聴いたいたときにも、やはりとくに驚かなかった。鋭い切れ込みのある、知的で構築的な演奏スタイルは、昔から変わることのない彼の持ち味だった。もちろん以前とは比べようもないくらいうまくなっているわけだけど、そこにあるタッチや音のヴィジョンはだいたい同じだ。そしてそこにはやはり昔と同じひたむきさみたいなものが、ひしひしと感じられた。
音楽でも文章でも、何かをクリエイトしつづけていくことの大変さは、基本的に変わりない。前向きな姿勢がとれなくなったら、生み出される作品から力や深みは消えてしまう。佐山くんにはとにかくいつまでも、ひしひしとひたむきな「ピアノおた
く」であってもらいたいと願っている。そういうことって何はともあれ、すごく大事なんだと僕は思う。
……ダラッとした文章だけど、エピソードを知る、という意味では参考になりますね。
そうか、佐山さんは「ピーターキャット」の出演者だったんだ。おもしろい交流です。
この『Floatin' Time』はなかなか人を食ったアルバムで、アルバムタイトル曲こそオリジナルですが、収録曲の多くはスタンダードナンバーをひとひねりしたものです。
エリントンと関係のあるものとしては、#9 の「TAKE FIVE A-TRAINS」。
言わずとしれた「Take Five」と「A列車で行こう」を合体した曲。
エリントン自身の3拍子のAトレに続く、5拍子のAトレ。
なんでも、ジャズクラブなどで演奏するときにこの2曲は必ずと言っていいほどリクエストが入るので、それなら一緒にやっちゃおう、という半分「やっつけ仕事」のアイデアから生まれたアレンジ。
おもしろいね。こういう茶目っ気のあるところが、ポンタさんも好きだったんだろうなあ。あと、フットワークが軽いところ。
そうじゃなきゃ、晩年の多作な活動はありえませんよ。
ーー死んだ人のためにできることなんて、なにもない。
昔観た映画で、ハードボイルドを決め込んだ登場人物が言っていました。わたしは、これは間違っていると思います。
死んでしまった人のためにできること。それは「その人のことをおぼえていること」です。「おぼえている」だけじゃなくて、「その人のことをたくさん話す」のもいい。そうすることで、亡くなった人は失われません。
「あの人は亡くなったけどわたしの中では生きています」という言葉、若い頃はよく理解できなかったけど、今ならよくわかります。「生きている」んじゃない。「失われない」んです。「わたしの中で生きています」というのは、それのちょっとイキった、虚勢を張った言い方なのかな、と。
先程の映画の中のセリフは、すぐに他のキャストに「そんなの、あなたの自己満足じゃない!」と反論?されます。当時はこの会話の意味がわかりませんでした。が、今なら少しわかる気がします。「自己満足だ!」という強い言葉は、精一杯のハードボイルドな虚勢に対する、共感、救済の一言だったのではないでしょうか。少しわかりにくい表現だけど。
歳を取ると、わからなかったことが自然とわかるようになります。
最後は、「Love Goes Marching On」と並ぶ佐山さんの代表曲、
「Hymn for Nobody」の詩から。
限りある生命が やがて幕を閉じても
永遠の夢のように 君に夢中さ
まさに。
その魂の安からんことを。