Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

ハリー・ジェイムスとエリントン。「ホッジスの乱」と「エリントンの大強奪」の裏事情。

 懐かしいなあ、このCD。

トランペットとジャズを学び始めた高校生の頃よく聴いた1枚です。

ハリー・ジェイムス・イン・ハイ・ファイ

ハリー・ジェイムス・イン・ハイ・ファイ

 

 

さて、このCD、もう20年近く聞いてなかった1枚でしたが、エリントンの調べ物ついでにこの作品を目にして、あまりの懐かしさにこの作品についても少し調べてみたら、このアルバム、いつのまにかコンプリート盤が出ていました。

Complete Harry James in Hi-Fi

Complete Harry James in Hi-Fi

 

 

カミングアウトしてしまいますが、高校生の頃のわたしのアイドルはハリー・ジェイムスとクリフォード・ブラウン。サックス小僧がサンボーンとマイケル・ブレッカーイカれるようなもので、どうすればあんなブリリアントな音が出るのか、必死に研究していました。 

当時、そんな若きマイルスのような気持ちでハリー・ジェイムスを聴いてはうっとりしていたのですが、このアルバムの中に1曲だけ異色な曲が入っていたことを覚えています。それは「I'm Beggining to See The Light」。これがエリントン・ナンバーであることは後で知りました。今回は、ハリー・ジェイムスとエリントンの因縁、スウィング時代の神話のような話について少しだけ。 

 

さて、時は1951年。突然、エリントンはオーケストラ存続の危機に襲われました。オーケストラの花形アルト、ジョニー・ホッジスがソニー・グリーアとローレンス・ブラウンとともに脱退したのです。俗に「ホッジスの乱」と呼ばれる事件です。まあ、呼び始めたのはわたしなのですが。

 

 

エリントンは本当に危機を感じたのでしょう。なりふり構わずにバンドの再建を断行します。なんと、卒業生であるファン・ティゾールを、当時在籍中のハリー・ジェイムスバンドから呼び戻しました。このとき、ティゾールはジェイムスバンドからウィリー・スミスとルイ・ベルソンも同行させました。当時、ウィリー・スミスは「3大アルト」と呼ばれ、ルイ・ベルソンは大躍進中の白人ドラマー。ティゾールは、「ホッジスの乱」によるリード・アルト、トロンボーン、ドラムの穴を、それと同等、またはそれを上回るメンバーで埋め、オーケストラのピンチを救いました。
これこそ、ジャズ史で「エリントンの大強奪」または「ジェイムスバンド大強奪事件」("The Great James Robbery")」と呼ばれる事件。この強奪について、強奪された当の本人は「もしも彼の立場だったら、私だってそうしたさ"If I were them, I'd have done the same thing."」と大人の対応。ここまでだったら、エリントンの冷血さだけが強調されますが、実はこれにはここに至るまでの経緯があります。というのも、以前に、ハリー・ジェイムスはエリントン曲を自分のバンドの曲としてヒットさせていたからです。それが「I'm Begininng To See The Light」。一度ヒットしてしまったものはしょうがない。しかしエリントンは腹に据えかねるところがあったに違いありません。その思いがこの「エリントンの大強奪」として実現したのでしょう。そう考えると、先に引いたジェイムスの言葉、「もしも彼の立場だったら、私だってそうしたさ」は、また違った深い意味合いを帯びてきます。

当事者間では、これでおあいこ(Getting Even)な感覚なのでしょう。その証拠に、ハリー・ジェイムスのこのコンプリート盤では、「I'm Beggining~」の他にも、「In A Sentimental Mood」「What Am I Here For?」などエリントン・ナンバーを取り上げています。この強奪を根に持っているなら、エリントン・ナンバーを取り上げたりしませんよね(ちなみに、Everything But Youにはハリー・ジェイムスのクレジットもあります)。

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正統派ハリウッドなイケメンです。

 

 

この「ホッジスの乱」は、まさに「ピンチはチャンス」、「雨降って地固まる」ということわざ通りの出来事でした。この乱に巻き込まれた人々は、そのときはみな痛い思いをしましたが、この出来事をその後の活躍につなげることができました。ホッジスは身の程をわきまえて死ぬまでエリントンオケに在籍することとなりましたし、ローレンス・ブラウンも60年にオケに戻ってきます。エリントンはオーケストラのドラムについて真剣に考えるようになり、ハリー・ジェイムスはバンドの今後の音楽について方向転換を図るようになりました。

しかし、このホッジスの離脱、JB(Jimmy Blantonではない)なら絶対に許さなかったでしょうね。メイシオも決してJBの元に戻ることはありませんでしたし。

強権的なリーダーのバンドが、一度脱退したメンバーに対して取る態度、というのも考えてみると面白いテーマかもしれません。エリントン、マイルス、ミンガス、JB、渋さ知らズなどなど。確か、菊地成孔氏(と大谷能生氏)が、どこかで「長く活動しているビッグバンドは、宗教団体か共同体になってしまう」と述べていましたが、その違いはリーダーの権力の強弱の違いなのでしょう。

以上、スウィング時代の1エピソードでした。