Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

ベニー・グッドマン、1938年 カーネギー・ホール・コンサート(瀬川昌久)

こうなったら、「毒を喰らわば皿まで」だ。

とことんいってやろうじゃないか。

瀬川先生のライナーノーツ、これもそう。

 

 

 

〈歴史的コンサートの完全収録盤成る>
 ベニー・グッドマンの1938年1月16日のカーネギー・ホール・ジャズ・コンサートの実況アルバムは、1950年の発売以来、ジャズの歴史的名盤としてベストセラーを続けてきたが、今回未発表テイクとグッドマン自身のアナウンスや解説を加えて、当日のライブの全貌を完全に伝える形で、新たに再発されることになった。20世紀ジャズ100年の歴史を総括する時、この62年前のジャズ・コンサートの音楽文化的意義は、今日ますます重要度を加えており、その輝かしいサウンドは一層エキサイティングに響くに違いない。

 

<新アルバムの特色>
 既にこのカーネギー・ホール・ジャズ・コンサートのLPやCDアルバムをお持ちの方に、今回のリリースで附加された分を御紹介すると、演奏ナンバーは2曲、オープニングの「その手はないよ」に続く「サムタイムズ・アイム・ハッピー」とアンコールの「イフ・ドリームズ・カム・トゥルー」の2曲が新たに収録された。更に従来は全くきかれなかったベニー・グッドマン自身の当日の曲紹介やアナウンスメントの言葉や聴衆の拍手が全部再現されている。つまり当日のライヴを録音したテープに入った全てを復刻した訳で、まったくながら我々も当日のカーネギー・ホールに居介わせて、隣席の客と一緒に興奮しているような気分にさせられる。そして録音再生技術の進歩によって、音響が従来より格段と鮮明になり、史上最強最高のグッドマン楽団のサウンドがよりエキサイティングに耳に迫ってくるのである。

 

<ベニー・グッドマンとカーネギー・ホール・コンサート>
 ベニー・グッドマンが、1938年正月にクラシックの殿堂として高名なカーネギー・ホールで、初のジャズ・コンサートを敢行したのは、既に「スウィングの王様」として人気絶頂の彼にとっても、大きな賭けであった。1909年ユダヤ系移民の子として生まれたベニー・グッドマン(Benjamin David Goodman)が、シカゴの少年時代クラリネットを学んで成長する姿は、映画『ベニー・グッドマン物語』に感動的に描かれた通りで、1933年ニューヨークで初のリーダー・レコーディングを果たし、1935年には自己のバンドを率いてツアーに出る。その間見識あるジャズ・プロデューサー、ジョン・ハモンドの知遇を得て、優れた黒人ジャズメンとの交流を計ったことが、彼のジャズの音楽的進展に多大の貢献を果した。フレッチャー・ヘンダースンを専属編曲者に迎えてその卓越したアレンジメントを採用したこと、1935年からテディ・ウィルソン(p)やライオネル・ハンプトン(vibe)ら黒人ジャズメンを加えたコンボを結成して、当時まだ厚かった人種差別の壁を積極的に取り払ったこと、そして黒人ジャズのバイタリティを洗練されたサウンドに融合して、白人大衆の心をつかみ、スウィングの名前で、ホット・ジャズを人気あるポピュラー音楽として広めることに成功した。King Of Swingの愛称で最高の人気バンド・リーダーとなったベニーが、クラシカル音楽しか登場しなかったカーネギー・ホールでのコンサートを決意したのも、ジョン・ハモンドの強い勧めによるものだった。その圧倒的な成功により、スウィング・ジャズはポピュラー音楽の主流となり、「黄金のスウィング時代」(Golden Age Of Swing)がアメリカ社会の文化現象として発展するようになる。

 

<今日大リバイバル中のスウィング>
 カーネギー・ホール・コンサートを頂点とするスウィング・ジャズの隆盛は、1940年代後半からのビーバップの発生によるモダン・ジャズの時代に入ってからは、ジャズの一つの流派として存続するに至った。しかし1990年代に入ってから、アメリカではスウィング・ジャズが再び復活し、同時にスウィング・ダンスが若者の間に大流行し、多くの新しい形のスウィング・バンドがスウィング・ダンスの伴奏をするクラブが大繁盛するようになった。同時に、このアルバムのフィナーレを飾る「シング・シング・シング」などは、ライヴで必ず演奏される程リバイバルしている。2000年のブロードウェイのミュージカル作品の中には、このスウィング・ジャズとスウィング・ダンスを売り物にしたショウが3つも上演されている。
 特に、題名もズバリ、「スウィング」というミュージカルでは、"Stompin' At The Savoy"や“Sing、Sing、Sing"が歌われ踊られており、他にも、「Fosse」と「Contact」という作品が、いずれも"Sing、Sing、Sing"をフィナーレに採用し、期せずして、3つの舞台で競演されるという活況を呈している。日本でも、ベニー・グッドマンのスウィング曲を専門にとり上げるバンドやコンボが依然人気があり、21世紀に入ってもグッドマンのスウィングは不滅のスタンダードとして愛好され続けるであろう。

 

<本コンサート成功の主因>
 この歴史的コンサートが大成功に終ったのは、企画や演奏の全ての面に画期的な条件が揃っていたからだ。

① コンサートの企画に当って、ベニーは勿論親友ジョン・ハモンドと相談してプログラムの中に幾つかの特別なセッションを設けた。Tweiity Years Of Jazzというジャズの歴史を回顧し、偉大な名演を再現したこと、更に、ジャム・セッションにデューク・エリントンとカウント・ベイシーのメンバ一を招いて彼等の持色あるプレイを紹介したことは、ベニーがいかにジャズの偉人や同時代の他の優れた黒人ジャズに敬意を払っていたかの証左である。


② ベニーのビッグバンドとコンボが結成以来数年間の継続的活動を通じて、メンバー間の士気の面でも、演奏水準の面でも、最高度に達していたことを強調したい。ビッグ・バンドの維持は今日では経営的に極めて困難で、連日の活活動を保持することは殆ど不可能だが1930年代は、人気あるバンドは連日ラジオ放送、ホテルやボールルーム出演、レコーディングと、バンド全員が休む暇もない程多忙を極めたので、リーダーシップが適切ならメンバー間の協議や統一感が理想的な形で成就された。殊に1938年という時点では、まだ第二次大戦のための兵役招集が無かったので、バンドの同一メンバーを長年保持することが可能だった。
 トランペット・セクションは、ハリー・ジェイムスが1937年始めに加わって以来、ツィギー・エルマンとゴードン・グリフィンとの黄金トリオを形成し、恐らく史上最強ののブラス・パワーを発揮した。3人共日夜共演している中、1番、2番、3番全てのスコアに熟知し、日によってくじ引きで何番を吹くかを決めた、というエピソードがある位、3人揃って完璧なリード・マンでありソリストでもあった。トロンボーンは、ヴアーノン・ブラウンが新参だが、レッド・バラードとの2本で協力なアンサンブルを形成した。サックス陣は、ハイミー・シェルツァ(as)とアーサー・ロリーコ(ts)が1935年以来のリードをつとめ、ベイブ・ラッシン(ts)がソリストとして加わった。リズム陣は、ジェス・ステイシー(p)とジーン・クルーパ(ds)が1935年以来不動の地位を保持し続け、特にクルーパの強力なドライブは絶大な人気の頂点にあった。歌手マーサ・ティルトンは、初代ヘレン・ウォードを継ぐ名花として、数々のヒットをとばしていた。
 この最強バンドをバックに、ベニーのクラリネットが、29才の若さとパワーと音楽性を兼ね具えた最高のプレイをきかせたのだから、万場の観客が大熱狂したのも当然であった。

そう、このコンサートにはエリントニアンが参加している。

それがこのライナーノーツを引こうと思った理由。

参加しているのはハリー・カーネイ、ホッジス、クーティで、CD I #10 Blue Reverie, #13, 14 Honeysuckle Rose で参加。

エリントン自身は参加してないのが残念。

 

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淀川長治とエリントン。 

 

演奏曲目について(ソリストの正確なオーダーは英文参照)
CD I
1.ベニー・グッドマン・1950・イントロダクション
 ベニー・グッドマンが1950年に語った思い出話。

 

2.その手はないよ
 グッドマンの代表曲になっているが、もとは、チック・ウェッブ楽団が1934年に録音したエドガー・サンプソンの作曲。オープニング・ナンバーだけに大変に気合のこもった演奏で、レコードでは3分余の演奏だったが、ここでは4分余に拡大され、ソロ・パートを増やしている。サックスとブラスの歯切れの良い対応から、べ二-のclのホットなソロ、ラッシンのtsソロとすすむ頃から、バックのジーン・クルーパのドラム・ショットがパワーを増してぐいぐいとバンドを引っぱる。ハリー・ジェイムスの輝かしいtpソロになると聴衆の拍手が高まり、ドラムがブラス群を強いアフター・ビー卜で押し上げ、テーマに戻って一度フェイド・アウト(グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」と同じ趣向)して、ドラム・ソロが入り、強力なコーダ。熱狂的な拍手だ。ジェイムスとクルーパのスター性がよく判る。

 

3.サムタイムズ・アイム・ハッピー
 1927年のヴィンセント・ユーマンスのミュージカルの主題歌で、フレッチャー・ヘンダーソンの編曲はスローなスウィート・スタイルでサックスの甘美な合奏をフィーチャー。録音状態が余り良くないため、従来カットされ今回初めて復刻された。

 

4.ワン・オクロック・ジャンプ
 カウント・ベイシー十八番だが、グッドマン楽団のレコードもヒットした。後にゲストで出るベイシー自身がステージの横で聞いていたので、pのジェス・ステイシー始め全員大ハッスルの7分近い熱演。Pソロで出て、ts(ラッシン)、tb(ヴァーノン・ブラウンの力強いプレイ)、cl、p、tp(ジェイムス)と次第に盛り上げ、テーマ合奏の上をtpがかけ廻り、全合奏にclがからんで大拍手がしばし鳴り止まない。

 

5.拍手喝采~「トウェンテイ・イヤーズ・オブ・ジャズ」へ
 「ジャズの20年史」プログラムに侈行する。


6.デキシーランド・ワン・ステップ(センセイション・ラグ)
 1917年最初のジャズ録音で有名なニック・ラロッカのオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バント(ODJB)のレコードを。ベニー以卜5人のディキシー編成で再現。

 

7.私はヴァージニアヘ
 白人コルネット奏者で、1931年28才で若死した天才、ビックス・バイダーベックが、フランキー・トランバウアーのバンドで吹込んだ名演を、ビックスの伝統をひくコルネットのボビー・ハケットのソロで再現する。ジャズのメランコリックな面のよく出たプレイだ。

 

8.僕の恋人が笑いかけたら
 クラリネット奏者で、ショウマンとして人気のあったテッド・ルイスが、1920年吹込んだヒット曲を、グッドマンがそのスタイルをそっくり真似てプレイして大唱采を博する。

 

9.シャイン
 ハリー・ジェイムスが帥と仰いだルイ・アームストロングが1930年に吹込んでヒットした名曲。ハリーがルイの奏法をそっくり再現する。

 

10.恋しき幻想(Blue Reverie)
 デューク・エリントンが作曲し、1937年にクーティ・ウィリアムスのラグ・カッターズのコンボでレコーディングした曲で、クーティ(tp)始め、ジョニー・ホッジス(as)、ハリー・カーネイ(bs)のソロがフィーチュアされた。デュークを尊敬するベニーが、エリントン楽団のこの3人の名手を招いて、自分のバンドのリズム陣でバックをつとめる。スローなブルースによるエリントン色満点のサウンドをかもし出す。

 

11.拍手喝釆~「ベニー・グッドマン・オーケストラ」へ
 拍手で再びグッドマン楽団の登場。


12.人生がパーティに
 雑誌「ライフ」がグッドマンの記事を特集したのを記念して、ハリー・ジェイムスが作曲し、ジミー・ランスフォードやグレン・ミラーの作曲者として名を上げたエディ・ダーハムがアレンジしたスウィンガー。アンサンブルのフォルテとピアニシモの絶妙の変化によって、演奏を盛り上げる一体感かすばらしい。ハリーのtpが、細かいフレーズを縦横に駆使したブリリアントなソロが、クルーパの強力なドラミングと共にハイライトを成す。これもレコードよりも長い4分余の演奏である。

 

13.ジャムセッション準備
 ここで、カウント・ベイシー米団から、ベイシー(p)、レスター・ヤング(ts)、バック・クレイトン(tp)、フレディ・グリーン(g)、ウォルター・ペイジ(b)を迎え、デューク・エリントン楽団から、ジョニー・ホッジス(as)、ハリ一・カーネイ(bs)を招いて、グッドマン(cl)、ハリー・ジェイムス(tp)、ヴァーノン・ブラウン(tb)、ジーン・クルーパ(ds)が参加したジャム・セッションとなる。


14. ハニーサックル・ローズ
 ファッツ・ウォーラーの有名な歌曲を次々とソロできかせる。従来のアルバムでは13分55秒の長さだったが、今回クレイトンの第3コーラスと、カーネイとグリーンのソロを加えて16分35秒の演奏に拡大された。ソロ・オーダーは、レスター・ヤング→ベイシー→クレイトン→ホッジス→カーネイ→グッドマン→グリーン→ジェイムス→ヤング→クレイトン

 

15. 拍手喝采~「ベニー・グッドマン・スモール・グルーブ」の準備
 ここから、グッドマンの小コンボが登場する。

 

16.身も心も
 グッドマンがテディ・ウィルソン(p)、ジーン・クルーパ(ds)とのトリオを組んで1935年初吹込した時に、収録されたジョニー・グリーン作の小唄。ゆっくりしたテンボで一分の隙もなく、しかもリラックスした演奏が楽しい。

 

17. 拍手喝采~ライオネル・ハンプトン登場
 ライオネルーハンプトン(vibe)が加わって、カルテットになる。

 

18. アヴァロン
 1920年アル・ジョンソンが歌って以来スウィングのスタンダードになった。ハンプトンのヴァイブが加わって、サウンドかにぎやかになる。

 

19. 私の彼氏
 ジョージ・ガーシュウィン1924年の不朽の名曲だが、グッドマン・カルテットのレコードの大ヒットで優雅なメロディが一層ポピュラーになった。

 

20. アイ・ガット・リズム
 これもガーシュウィンの1930年の作曲。ミディアムのスウィング感が絶妙だ。

 

21. ポーズ・トラック
 コンサートが休憩に入る。

 

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松方弘樹とエリントン(ウソ)。

メガネを掛けてないからわかりにくいが、左はベニー・グッドマン(ホント)。 

 

CDII
1.ブルー・スカイズ
 コンサート第2部のオープニングは、アーヴィング・バーリンの名曲をフレッチャー・ヘンダーソン編曲によるビッグ・バンド演奏。勢いにのったバンドのブラス陣が協力にスウィングし、ヴァーノン・ブラウン(tb)、アーサ一・ロリーニ(ts)、ハリー・ジェイムス(tp)、グッドマン(cl)の張り切ったソロが続く。

 

2.ロック・ロモンド
 スコットランド民謡をクロード・ソーンヒルがスウィングに編曲して、マキシン・サリヴァンの歌ったレコードがヒットし、グッドマンは同じ編曲を専属歌手マーサ・ティルトンに歌わせてこれもヒットした。初登場したティルトンのみずみずしい唄声と、軽妙にスウィングするフレージングが素適だ。

 

3.拍手喝釆~ベニー・グッドマンによる「ノー・アンコール」アナウンス
 ティルトンにアンコールを要求する観衆の長い拍手が鳴り止まず、ティルトンは挨拶に再び顔を出したが、ベニーが、「今ここでアンコールはしないが、少し後で又出てきます」と釈明する。


4.ブルー・ルーム
 リチャード・ロジャース1926年の作品を、本コンサートのためにフレッチャー・ヘンダーソンが新たに編曲した。ベニーのブリリアントなclソロのあと、グリス・グリフィン(tp)が珍しくソロをとる。この曲は、コンサートの後1938年3月にレコーディングされている。


5.ロッキーでスウィング
 グッドマンとジミー・マンディが共作し、マンディが細曲したアップ・テンポのホット・ナンバー。英文解説にあるように、グッドマンのこの曲やKing Porler Stomp、Bugle Call Ragなどのブラス陣の高鳴るホット・ジャズを、グッドマン自身がキラー・ディラー(Killer Diller)と評して愛好した。若者たちのジダーバッグ・ダンスに絶好の曲だった。日本で、キラー・ディラーのことをグレン・ミラーのMoonlight Serenadeのようなクラリネット・リード・のサウンドだ、という人が多いが全くの間違いである。ここでのソロは、ベニーの他にラッシン(ts)とツィギー・エルマン(tp)。


6.拍手喝采~マーサ・ティルトン、ステージヘ
 歌手マーサ・ティルトンが再登場。

 

7.素敵なあなた
 1932年にユダヤ系作曲家セキュンダがヘブライ民謡からアダプトし、ニューヨークのユダヤ人の使うイディッシュ語(ドイツ系)で書いた曲に、英詩詞を加えて、アンドリューズ・シスターズのレコードで大ヒットした。グッドマンは、カルテットにツィギー・エルマン(tp)を加えて、マーサ・ティルトンの唄入りの78回転SP両面盤を1937年に吹き込んだが、ビッグ・バンド版は、このコンサート以外では演奏した記録がない。演奏が始まると、観客の手拍子が入り、ティルトンの唄の中間に、エルマンのユダヤ的なフレーズのtpソロが出て大拍手となる。

 

8.拍手喝釆~「ベニー・グッドマン・スモール・グループ」の準備
 スモール・コンボに変る。

 

9.チャイナ・ボーイ
 1929年の小唄で、グッドマンはシカゴ峙代から好んで演奏した。テディ・ウィルソン(p)とクルーパ(ds)とのトリオ演奏で、グッドマンの背後のクルーパが、盛んに「もう1コーラスやれ」とけしかけ、5分近いエキサイティングな演奏になる。

 

10.サヴォイでストンプ
 ライオネル・バンプトンが加わってカルテットになる。エドガー・サンプソンが作曲して、チック・ウェッブ楽団がレコーディングした曲で、グッドマンはビッグ・バンドとコンボの双方でで愛奸した。ニューヨークのハーレムにあったサヴォイ・ボールルームに囚んたナンバー。

 

11.拍手喝采~プログラム変更~ベニー・グッドマン・カルテット

 

12.ディジー・スペルズ
 グッドマンが、バンプトン、ウィルソンと共作したコンボ用の作品で、各人のソロがレコードよりもずっと長く、6分近い熱演を聴かせる。

 

13.拍手喝采~ベニー・グッドマン・オーケストラによるフィナーレヘ
 オーケストラが再登場して、いよいよフィナーレとなる。

 

14シング・シング・シング
 コメディアンの才能をもったトランペッターのルイ・プリマが1936年に作曲してヒットし、グッドマンはジミー・マンディの編曲で、当時の30センチSP両面8分近い演奏のレコードを出して評判になった。テーマのあとに、黒人テナー奏者チュー・ベリーが書いてヘンダーソン楽団でレコーディングされた"Christpher Columbus"という曲が、ブラス群によって演奏されるのがグッドマン版の特色で、今日までこのアレンジは、スウィング・ジャズの聖典となって、凡ゆるバンドのレバートリーに入っている。
 フィナーレとあって、聴衆もバンド・メンバーも、大エキサイトし、ベニー(Cl)、ラッシン(ts)、ジェイムス(tp)、ベニー(d)のソロで一寸小休止しかけるが、余りの拍手にステイシーがpソロを弾き始め、彼の一世一代といわれるプレイをきかせる。全体に躍動するクルーパのドラミングは、この曲のスタイルを創始して、ジャズ史に残る不朽のスタンダードとなって今日益々盛んに演奏されている。

 

15.拍手喝采~アンコールヘ
 アンコールの拍手が続く

 

16.イフ・ドリームズ・カム・トゥルー
 1934年にエドガー・サンブソンが作編曲して、チック・ウェッブ楽団が吹き込んだミディアムのスウィング。テーマをクラリネット合奏で奏するところが特色だが、この頃サックス陣がクラリネットに持ちかえるのは、Sugarfoot StompやDown South Camp Meetingなど、グッドマン楽団の演奏によく見られた。ヴァーノン・ブラウンのガッツあるtbソロが傑出している。

 

17.拍手喝采~2回目のアンコールヘ
 再アンコールの拍手。

 

18.ビッグ・ジョンズ・スペシャ
 雌後のアンコール曲は、1936年にホレス・ヘンダーソンの書いたオリジナル曲で、大ラスとなったので、バンド全体がリラックスしたサウンドを響かせる。ベニーとステイシーのソロをはさんで、ツィギー・エルマンとハリー・ジェイムスの2大トランペッターの自身にみちたパワフルなプレイが聴衆を満足させたに違いない。

(2000-6-21記 瀬川昌久)

 

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エリントンとグッドマンが写り込んでいる写真はこんなのもある。

それにしてもグッドマンは淀川長治にそっくりだ。