Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

「印象派エリントン」 -瀬川昌久 presents デューク・エリントン。(04)

こんにちは、satoryuhです。

瀬川昌久氏によるエリントン・サウンドの紹介も今回でいよいよ4回目になったが、今回は「色彩感豊か」なんて形容されるサウンドについて。

エリントンの和音感覚は、しばしばラヴェルドビュッシーの音楽とも比較されることから、この分類を「印象派エリントン」としてみた。

数あるエリントン・サウンドの側面の中でも、一番人気のある側面かもしれない。

 

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

 

 

 

3.

デュ一クの類稀な美しいメロディ・メイカーとしての才能を発揮した数多のバラードと、旋律を表現する独特の楽器構成によるサウンド・テクスチャー

 

《Ⅲ 色彩感あるサウンド》

1. ムード・インディゴ (1945年)
2. ソリチュード (1934年)
3. ソリチュード (1945年)
4. チェルシーの橋 (1941年)
5. コンチェルト・フォー・クーティ (1940年)
6. ホワット・アム・アイ・ヒア・フォー (1942年)
7. プレリュード・トゥ・ア・キス (1942年)
8. イン・ア・センチメンタル・ムード (1945年)
9. ソフィスティケイテッド・レディ (1945年)

 

見事に40年代ばかり。瀬川先生、さすがわかってらっしゃる。40年代といえば、ハーモニー面でのエリントンの創造性がみなぎっていた時期である。特に、44-46年の『Black, Brown and Beige』のあたりはどの演奏にもブルースと官能が漂っており、この時期をエリントンの全盛期とする人が多いのもうなずけるのである。

 

CD2

旋律の美しいバラード曲や独自の管楽器合奏法による色彩感あるサウンド

デューク・エリントンは若い頃に画家を志したように、独自の色彩感を有する絵画的才能があり、1930年頃から、旋律の美しい色彩感あるバラードを多数作曲した。エリントン楽団で演奏するに際しては、「ムード・インディゴ」や「ソリチュード」のように、その旋律を独自の楽器合奏によって独特のムーディなサウンドを創造する場合と、「ソフィスティケイテッド・レディ」のように楽団の卓越したプレイヤーによるソロ・プレイによって旋律を美しく歌い上げる場合の2通りがあった。ここには、その両方のケースで成功したバラードの傑作を9曲提示することにした。

 

01. ムード・インディゴ(1945年)

Mood Indigo

 デュークがバッバー・マイリー(tp)と共作したAABA16小節のブルースで、1930年10月に「Dreamy Blues」のタイトルで初録音された。題名からも判るように、デュークの絵画の才を生かした色彩をテーマにしたトーン・ポエム(音詩)の代表作である。テーマ部を、アーサー・ウェツェル(ミュートtp)、ジョー・ナントン(ミュートtb)、バーネィ・ビガード(メガホンをつけたcl)のトリオによって独特のサトルなサウンドで葵して評判になって、エリントン楽団は長くこのトリオ・サウンドをトレードマークにした。この曲は何回も録音されているが、ここには1945年5月、女性ボーカルのケイ・デイヴィスの歌詞なしのボーカリーズ歌唱の入ったテイクを選定した。デュークのアブストラクトなPが活躍し、アル・シアーズのtsのソロが、バンドのアンサンブルと共演する。

 

 

「エリントンの代表曲は?」と訊かれたら、おそらく多くの人が「A列車」と思うだろうが、エリントン自身は「ムード・インディゴだよ」と答えるだろう。その意味で、ミシェル・ゴンドリのアレの邦訳が「うたかたの記」でも「日々の泡」でもなく、まず『ムード・インディゴ』 という言葉が先頭にあるのは正しいのだ。

 

 

 

02. ソリチュード(1934年)

Solitude

 「ムード・インディゴ」の大ヒットに続いて、デュークが色彩感ある音の抒情詩として作曲し、1934年1月初吹込してこれもヒットした。AABA32小節の旋律が魅力的な上に、その演奏を「ムード・インディゴ」の場合と同じくウェツェル(ミュートtp)、ナントン(ミュートtb)、ビガード(cl)の3管トリオのハーモニーで奏して評判になった。サビをハリー・カーネイ(bs)、次いでクーティ・ウィリアムズ(tp)がソフトな音色で歌っていく。この曲もエリントン楽団は、何回もレコーディングするスタンダードになった。

03. ソリチュード(1945年)

 エリントン楽団は「ソリチュード」をインストゥルメンタルとして長く演奏したが、アーヴィング・ミルスの歌詞がついて、多くのジャズ歌手の愛唱曲にもなった。

ここには、1945年5月、男性歌手アル・ヒブラーと女性歌手ケイ・デイヴィス、ジョーヤ・シェリル、マリー・エリントン3人を加えた4人の歌手を動員して録音した珍しい演奏を紹介したい。デュークの実験精神を発揮した凝ったアレンジがほどこされる。先ずデュークのPに続き、ケイ・デイヴィスがオペラディックな美声で歌い出し、次にジョーヤ・シェリルの唄で、ケイはデュークのPと共にバックをつける。サビはジョニー・ホッジス(as)がメロディをきれいに吹き、マリ一・エリントンのポーカリーズが入る。

 アル・ヒブラーが最後に登場して、ラストのフレーズの歌詞を唄い、コーダは再びケイ・デイヴィスがしめる。SPレコードの時間的制約がなければ、恐らく4人のボーカルがもっと十分に伸ばせたのに残念だが、このようなアプローチは、日本のジャズ歌手界でも研究に価するのではなかろうか。

 

 瀬川氏のエリントンの評価の特徴は、ボーカル、歌モノを重視することだ。これはこのベスト盤でも「Ⅳ 専属歌手によるボーカル・ナンバー」という項を設けていることからも明らか。このあたりはジャズだけでなく、ミュージカルにも造詣が深い氏の偏愛が反映されていると思われる。

 

舶来音楽芸能史―ジャズで踊って

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04. チェルシーの橋 (1941年)

Chelsea Bridge

 ビリー・ストレイホーンのオリジナルで、スローなAABA32小節の風景描写曲。ストレイホーン自らPを奏し、ブラスやサックスのアンサンブルに独自のサトルなサウンドを作り出す。ベン・ウェブスター(ts)と、ファン・ティゾール(valve tb)が、曲想にふさわしい抑制されたメランコリックなトーンのソロをとる。

 

印象派なエリントン・サウンドは、年が進むにつれてストレイホーンの筆によるところが多くなると思われるが、この編集ではストレイホーン作曲によるものは「チェルシー・ブリッジ」の1曲のみ。

 

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05. コンチェルト・フォー・クーティ(1940年)

Concerto For Cootie

 デューク・エリントンは自楽団のトランペッター、クーティ・ウィリアムズを高く評価し、1936年に「Cootie's Concerto」を書いて録音し、後には「Echoes Of Hartem」の題で吹き込んだりしたが、新しい発想で、1940年にConcerto For Cootieを書いて、3月に録音した。テーマは①AABA38小節②16小節から成り、クーティは先ずミュートtpで①テーマを吹き、次いでオープンtpで②テーマを朗々と吹き上げ、①テーマに戻ってしめくくった。①テーマのメインフレーズは非常にメロディアスなので、1943年にボブ・ラッセルの詞がついて、「Do Nothing Till You Hear From Me」の題で、アル・ヒブラーがエリントン楽団で歌ったレコードがヒットした。

 

ちなみに、クーティをフィーチャーした曲には、他に「Tutti For Cootie」という曲もある。 この「印象派」のエリントン書法の特徴として、瀬川氏は「スター・プレイヤーの使い方」を挙げているのは興味深い。つまり、エリントンは「サウンド」を、音の組み合わせだけでなく、各プレイヤーの個性・音色も考慮して考えていたということであり、この項の選曲はそれを裏付けるチョイスとなっている。

 

06. ホワット・アム・アイ・ヒア・フォー(1942年)

What Am I Here For?

 エリントン作の優しいバラードで、1942年2月録音。ABAB32小節の構成で、第1コーラスの5人のサックスソリの無類の美しさに注目したい。ジョニー・ホッジス、オットー・ハードウィック(as)、ベン・ウェブスター(ts)、バーネィ・ビガード(ts)、ハリー・カーネイ(bs)5人のスーパー・リード奏者によるオルガンのようなハーモニーに魅せられる。ショー・ナントン(tb)が短いソロをつける、第2コーラスは、デューク(p)、レックス・スチュアート(tp)、ベン・ウェブスター(ts)のソロがアンサンブルと交錯する。デュークの精緻なアレンジを見事にこなすバンド・アンサンブルの実力が発揮されている。

07. プレリュード・トゥ・ア・キス(1942年)

Prelude To A Kiss

 デュークが書いて1938年に自楽団で初吹込し、アーヴィング・ミルスの詞がついて、ジョニー・ホッジスがコンボで唄を入れて録音した。AABA32小節のバラードで、この1945年5月の録音では、ハリー・カーネイのbsソロが太くたくましいトーンで全面にフィーチャーされ、レイ・ナンス(violin)もソロをする。バックのバンド・アンサンブルの美しさも絶讃された。

 

このあたりの音楽は、特に「ジャズ」として聴く必要はないのでは。 

何の情報も与えずに聴いてみると、アメリカというよりもヨーロッパの音楽だよ、これは。

それにしても、やっぱりいいなあ、ハリー・カーネイ。

もう、エネルギーがみなぎってます。

この頃のカーネイはこんな感じ。どうでもいい話だけど、足、長いなあ。

 

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08. イン・ア・センチメンタル・ムード (1945年)

In A Sentimental Mood

 デューク作のバラードで、AABA32小節、1935年4月初録音された時は、バンドのメンバー5人のソロをフィーチャーしたが、この1945年5月吹込でも、オットー・ハードウィックのソプラノ・サックスに始まり、ハリー・カーネイ(bs)ローレンス・ブラウン(tb)、レックス・スチュアート(tp)、デューク(p)の各ソロをテンポを多彩に変化し乍らスポットしている。

09. ソフィスティケイテッド・レデイ(1945年)

Sophisticated Lady

 これもAABA32小節のバラードで、初演は1933年で、以降ジャズメンによって広く演奏され歌われるようになった。この1945年5月吹込では、デュークのPがフルコーラス多様なリズムをとり乍ら提示して、原曲の美しさを印象付け、ジミー・ハミルトン(cl)のソロを経てキャット・アンダーソンのオープンtpの明るいトーンがしめくくる。

 

瀬川先生、AABAとか、曲の構成の話はもう結構ですから…。ソロ順を解説していただけるのはありがたいが、できればそれぞれのプレイヤーについても、瀬川先生による特徴の描写というか、聴きどころを述べてほしかった。。。

こんなにセクション・プレイヤーのキャラが立ってるバンド、他にないもんね。しかもどのプレイヤーも、エリントンオケにいるときが一番輝いていた、というのはよく言われること。だからハリー・カーネイなんて輝きっぱなしなのだ。

 

さて、「印象派」なエリントンはこの9曲だけ。

え? これだけ? ちょっと少ないんじゃないの? というのが率直な感想だが、これは仕方がない。おそらく瀬川氏が一番書きたかったエリントン、「歌モノ エリントン(専属ボーカル)」が最後に残されているからだ。それに、「印象派」なエリントンは多くの愛好家がいるので、あえてここで瀬川先生に紹介してもらわなくてもいい、という気持ちもある。

 

次回は最終回、「歌モノ エリントン(専属ボーカル)」。

「専属」というだけあって、あまり他では名前を聞かない歌い手もいるぞ!