Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

1927-1940、コロンビアのエリントン黄金時代

今日も野口久光氏の例の本から。

 

野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)

 

 

The Ellington Era, 1927-1940: Volume One, Part Three [LP]

The Ellington Era, 1927-1940: Volume One, Part Three [LP]

 

 

エリントンの黄金時代
デューク・エリントン楽団(Columbia 三枚組ケース入り)
 原題に『The Ellington Era 1927~1940』とあるように、この三枚組のLPはデューク・エリントン楽団がそのバンド・スタイルを確立した1927年から1940年まで14年間にコロムビアに吹き込んだおびただしい演奏曲目から名演、代表作といわれる曲を厳選特集したもので、収録されている曲数は一面8曲、6面で48曲に及んでいる。ところで、このアルバムは単にエリントン・ファンや古風なジャズ愛好家の回順趣味を満足させるといった意味あいよりも、ジャズの最初の偉大な作曲家であるエリントンの作品集としてきわめて鑑賞価値の高い画期的なヒストリカル・アルバムといわなくてはならない。48曲のうち44曲がエリントン自身またはエリントンと誰かの合作曲であり、それは同じ時期の他のジャズ作曲家の曲とは全く違った意味でユニークな作風、音楽性をもった作品だからである。1920年代には10名そこそこの編成であったエリントン・オーケストラは、十数年を経た1940年頃には15,6名の編成に拡大され、演奏内容も大きく飛躍を遂げていることがわかるが、それよりも長年にわたってエリントニアンズと呼ばれてきたこの楽団のカラーを受け持っているすぐれた個性をもつプレイヤーたち、即ちジョニー・ホッジス(Johnny Hodges, as)、ローレンス・ブラウン(Lawrence Brown, tb)、クーティ・ウィリアムス(Cooties Williams, tp)、ハリー・カーネイ(Harry Carney, bs)(以上エリントンとともにさきに来日)をはじめ、初期のエリントン楽団のスタイルを確立したバッバー・マイリー(Bubber Miley, tp)、ジョー・「トリッキー・サム」・ナントン(Joe "Tricky Sam" Nanton, tb)、バーニー・ビガード(Barney Bigard, cl)、レックス・スチュアート(Rex Stewart, cor)、ファン・ティゾール(Juan Tizol, vtb)といった人たちが、作曲家エリントンをインスパイアした音楽家であることもこのLPは逐一物語ってくれている。エリントンはもちろんリーダーでありその楽団のピアニストであるが、彼の演奏楽器はピアノではなくオーケストラそのものだという彼の言葉も、このLPをきくことによって明らかになるであろう。エリントンの曲は今日も多くのモダン・ジャズ奏者によって好んで演奏されているが、その曲想なり、作曲者エリントンの意図するところはエリントン・オーケストラの演奏をきかなければ完全に理解することは出来ないのである。そういう意味でこのLPアルバムはレコーディングの古さ(もちろんモノラルである)、スタイルの古さを超越したひとつの大きな個性をもったオーケストラルなジャズの古典として、高い音楽的価値、正統的なジャズ演奏のスリルを今日なお受け収ることができるであろう。
 もうひとつ考えなければならないことは、このアルバムの演奏が吹き込まれた当時、ジャズはダンス・ミュージックであり、SPレコード(25センチ盤)の3分問そこそこの時間的制約のもとに吹込みがなされたということである。エリントンの言葉によれば、彼は始めから彼の音楽は踊るためよりも音楽としてきいてもらうことを念願としていたのであり、コンサート・ステージでのジャズ演奏を夢みていたというが、わずか3分そこそこで演奏された40数曲のエリントンの曲が各々明確なアイディア、作風、ムードをもっていることも驚くべきことだとおもう。
 ここでひとつひとつの曲について述べる余裕はないが、初期のテーマだった「East St. Louis Toodle-Oo」から、名作といわれる「Black And Tan Fantasy」「The Mooch」、七人編成で演奏された1930年の「Mood Indigo」などの強烈な個性と音楽的密度、数年後のスウィング時代を立派に作品をもって予言している1930年の作「Rockin' In Rhythm」「It Don't Mean A Thing (If It Ain't Got That Swing)」なども驚嘆すべきものであろう。以下1930年代に入ってからの「Bundle Of Blues」「Solitude」「In A Jam」「Clarinet Lament」「Echoes Of Harlem」などのジャズ作品(演奏)としてのすぱらしさ、「Diminuendo In Blue」「Crescendo In Blue」における進歩的な作風、更には「I Let A Song Go Out Of My Heart」「Sophisticated Lady」「Prelude To A Kiss」などのリリカルな美しさにあふれる旋律、すべて改めてエリントンの偉大さを物語っている。以上のような有名曲のほかに長年いわば絶版となっていた隠れたる名演が数多くこのアルバムには収められているし、エリントン自身の語りの入っている「Saddest Tail」など珍しい吹込みも入っている。またエリントン楽団に十年以上在団した、今は亡き名歌手 Ivy Anderson のヴォーカルも「Stormy Weather」ほかできける。
 このアルバムこそ「コロムビア・ジャズの宝庫」シリーズの名にふさわしいものであり、来年にはこの第2集の発売が予定されている。ジャズ愛好家といわずあらゆる音楽愛好家に一聴をおすすめしたい。    (『レコード芸術』64年12月)

 

このLP、発表当時は紫色ジャケットだったようです。

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言わずもがなですが、通説ではエリントンの黄金時代は1950年よりも前にあると言われていまして、特に1927-34, 40-42, 44-46の3つの期間で区切ったりします。この区切り方から考えると、このベスト盤vol.1の区切り方は、27-34、すなわちコットンクラブデビューから「3B時代」、ストレイホーン、ジミー・ブラントンベン・ウェブスターを迎えて「ブラントン・ウェブスター・バンド」が完成するまでの期間、」と言えるでしょう。

 

この時代のエリントンは、どうしてもこのような年代区切り、または何らかの意図によって編集された形でしか聴くことができません。というのは、この時代はまだレコードはSP盤、そしてジュークボックスの時代なので、いわゆる「アルバム」のような形で、タイトルが付けられた形で音楽が発表されるのはもう少し先の話だからです。

エリントンについていうなら、LPの第1作は『Masterpices by Ellington』。なかなかの実験作です。

 

 

64年にこのようなLPを出すのは、まだLPでそのような事情があったのかもしれません。つまり、「SP時代の公式盤」のリリースです。

そう考えてもう一度ジャケットを眺めてみると、ジャケットも納得。口髭をはやし、腕組みをして自信満々若き日のエドワード。襟を立てた純白のシャツがまぶしい。

当時、エリントンは56年のリバイバル効果も薄れ、ジャズシーンのモード、ロック。ファンキーの流行を横目に見ながら、対外的に活発だった時期で、次の一手を模索する時期だったと思います。このベスト盤は、マーケットとエリントン自身の思いがうまく一致したことによるリリースだったのではないでしょうか。