Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

エリントン、第1回目のSacred Music。

…後期エリントンの評価の難しい作品です。

 

Duke Ellington's Concert Of Sacred Music

Duke Ellington's Concert Of Sacred Music

 

 

これまでにも、「Come Sunday」や「My People」など、黒人霊歌や宗教音楽に接近したものはありましたが、こんなに真正面から「神」に音楽的に向き合い、大掛かりなコンサートをしたのは初めて。

この「Sacred Music」は、音源としては3枚残されており、1回目は今回の65年12月、2回目は 68年1月と2月、3回目は73年の10月です。1回目だけ「Concert of Sacred Music」、後の2回は単に「Sacred Concert」という名でリリースされているため、一般的にはこの一連の音楽を「Sacred Concert」と呼んでいます。

 

2nd Sacred Concert

2nd Sacred Concert

 

 

この Sacred Concert、なかなか評価が難しいんです。というか、評価が分かれます。エリントンにブラック・ミュージックの源泉やグルーヴ、俗っぽさ、下世話さ……簡単にまとめると過度にジャズを求める人からすると、このシリーズは聴くに値しない、ように聞こえるようです。

また、エリントンを「Beyond Category」な、20世紀の偉大な作曲家と考える人からすると、この音楽はエリントンの輝かしい到達点。『女王組曲』と並ぶエリントンの最高傑作なのです。

野口久光氏の立場をみてみましょう。

 

コンサート・イン・チャーチ 

デューク・エリントンRCA
 ジャズは長年多くの教会から好ましからざる音楽、或いは悪魔の音楽とさえいわれてきたが、一年牛ほど前サンフランシスコのグレース大寺院でデューク・エリントンの宗教音楽コンサートが開かれるという画期的な事件が起こった。その音楽がどんなものかは当時の報道によって大体わかっていたが、今月ビクターから出た、そのコンサートを収録した『コンサート・イン・チャーチ』によってその全貌があきらかにされた。このLPの録音は初演の時から二ヵ月後の1965年12月26日ニューヨーク、フィフス・アヴェニューの長老教会で再演された時のものであるが、この後にも米国各地やイギリスでもコンサートが行なわれている。LPの原題に「Concert of Sacred Music」とあるようにこれはエリントンの神への捧げものであり、エリントン自身「神はいかなる国の言葉も理解されるが、私は私の言葉である音楽と歌、踊りによって神への感謝を捧げる……」と語っている。しかし彼は、既成の宗教音楽の形式一切にこだわることなく彼自身の音楽的表現を行なっている。これはむしろ驚くべきことではなく、当然なことかもしれないが、結果的に私たちは何のこだわりもなく、デュークの音楽、つまりジャズとして百パーセント鑑賞し、たのしむことができる。このLPはこの演奏会全部を録音したものではないが、八つの楽章に分かれ、エリントンのレギュラー・オーケストラにゲスト歌手三名、ハーマン・マッコイ合唱団が加わっている。
 オープニングの「In The Beginning God」は旧約聖書の書き出しの言葉をテーマにした十五分にわたる祝福曲で、ハリー・カーネイ(bs)、ジミー・ハミルトン(cl)をフィーチャーした荘重なオーケストラ・パートから、バリトン歌手ブロック・ピーターズのユーモラスな讃歌を経てジャズ・オーケストラとなるが、この後半ではポール・ゴンザルヴェス(ts)、キャット・アンダーソン(tp)のソロがハイライトをつくる。第二曲から第四曲まではエスター・マーロウの歌曲で、まずデュークの書いたゴスペル歌「神は真であることを教え給え」、次いで「黒と茶とベージュ」のために書いた「Come Sunday」、これもデュークの作「The Lord's Prayer」が続いて歌われる。マーロウはデュークがデトロイトで見出した若い歌手だが、マヘリア・ジャクソンを彷彿させるすぐれたゴスペル歌手である。B面に入るとまず「Come Sunday」がこんどはオーケストラで演奏されるが、ここではジョニー・ホッジス(as)の感銘深いソロがききものとなっている。続く「Will You Be There?」「Ain't But the One」はエリントンが数年前シカゴに開催された黒人文化百年博の催し「My People」にとり入れたスピリチュアル風の歌曲で、男性歌手ジミー・マクフェイルが歌っている。次の「New World a'Coming」は四三年にデュークがコンサート用に書いた曲で、ここではデュークのピアノ・ソロ曲として披露される。八分にわたるデュークのピアノも珍しいききものである。終章は「David Danced Before the Lord With All His Might」、これも「My People」に紹介された曲で、バニー・ブリッグスのタップ(ダンス)をフィーチャーした楽団の演奏である。二度目の来日メンバーとほとんど同じでドラムスだけルイ・ベルソンとなっているが、ベルソンは終始快適なリズム・ワークをみせている。明るい生命力と神への感謝の気持が率直に表れているこのデュークの宗教音楽は、エリントン・ジャズの一つのピークを示すものであり、ジャズLPとしても最上クラスのものとおもう。
                 (『レコード藝術』67年4月)

 

手放しの称賛。もっとも、野口氏はエリントン音源に関してすべてそうなので予想通りなのですが。まあ、掲載誌が『レコード藝術』というのもあって、クラシックファンにもアピールしやすい1枚だと思います。

さて、これはエリントンに限らないことですが、晩年の宗教音楽作というと、人生のまとめに入った、とか年取って丸くなったなあ、なんて評価がつきまといます。初めてこの音楽を聴いた時、わたしもそう思いました。なんか、日和ってるんじゃないの? と。日常的にもあまり聴かない音楽でした。BGMとしても聴きにくいし。

ただ、いまのわたしの考えは違います。ああ、これはこれでおもしろい音楽だな、と思ってよく聞きます。BGMとして聴きにくいのは変わりませんが。

管理人は、エリントンを「異文化を自分のコードで解釈し続けた人間」と考えています。そう考えると、一連のSacred Music はキリスト教の宗教音楽というひとつの異文化・民族音楽をエリントンが解釈した作品に過ぎないんですよね。その観点から聴き直してみると、実におもしろい。

まず、宗教音楽としては軽快すぎ、逆にゴスペルファンからはあっさりしすぎてて物足りなさを感じるかもしれません。おそらくその原因はルイ・ベルソン。これ、サム・ウッドヤードだったらもっと粘っこくて、一般的には不評だったのではないでしょうか。爽やか「サ行」のフィル・イン、ブラシ・ワークがちょうどいい。以前は最後の「David~」のタップばかり聴いてましたが、このタップ・オケのグルーヴと合唱隊のズレを必死で調整しようとするルイ・ベルソンとか、最高じゃないですか。この1枚、ルイ・ベルソンを聴く、という意味だけでも価値がありますよ。

あと、さすがにポールも酒が入っていなかったようです。ウネりぐあいはいつも通りですが、端正に拍にはめてくるのでこの音楽にきれいにフィット。あと、エスター・マーロウの「Come Sunday」は見事。ピアノ・ソロの「New World A-Comin'」もいい。なんだかんだいって、これは素晴らしい作品だと思います。……と感じるのは、わたし自身年を取ったからなのかもしれませんが。

もうひとつ文献学的な話をすると、この「Tell Me It's the Truth」は、先日取り上げた『Afro-Eurasian Eclipse』の「True」と同じ曲です。後期~晩年のエリントンは、曲名を4文字のアルファベットで表していたので、『Afro~』ではこのような表記になったのでしょう。

 

 

あ、武満徹が生で聴いたのはSecond Sacred Music Concert。この演奏ではありません。これについても野口氏は言及しているので、いずれこのブログでも取り上げる予定です。

 

 

えーと、後期エリントンの民族音楽解釈の一サンプル、そしてルイ・ベルソン・フィーチャー作品として聴くと、新たな発見がある1枚です。ジャケットもいいですよ、珍しくエリントンのアップじゃないから、LPで飾ってもインテリアの邪魔になりません。

 

Duke Ellington's Concert Of Sacred Music

Duke Ellington's Concert Of Sacred Music