コロナ禍でジャズ・ミュージシャンの訃報が続きます。
ウォレス・ルーニー、リー・コニッツ、バッキー・ピザレリ、エリス・マルサリス。
マッコイ・タイナー……は新型コロナとは関係ないようですが、ハル・ウィルナーの死には衝撃を受けました。エリントン・トリビュートをつくってほしかったのに…
そんな中、一人のエリントン研究者の訃報を耳にしました。
柴田浩一氏。
横浜のジャズ解説者、エリントン研究者です。
柴田さんの活動や著作は、日本のジャズ受容、特に、エリントンの日本での活動について大きな貢献を果たしたといえるでしょう。エリントンニアンの詳細について、雑誌やネットの情報でなく、日本語で読める書籍が増えたのは素晴らしいことです。
柴田浩一さんには、2冊の著書と1冊の共著があります。
日本人初のエリントン研究書である『デューク・エリントン』はその処女作。
この研究書、もちろん管理人も何度も読み、参考にさせていただきましたし、柴田さんの活動は、遠くから敬意をもって眺めてきました。
たとえば、このブログでもこんな記事を書きました。
もちろん、本館でも紹介しています。
ただ、 柴田さんの研究成果に引っ張られてはいけない、という思いと、エリントン解釈においてわたしと柴田さんと解釈を異にするところが散見するため、この本の引用は「敬して遠ざけてきた」というのが正直なところです。
わたしのエリントン研究は、贔屓目で見て三合目。
いずれ、研究が進んだらお話をうかがいたい、とうっすらと考えていました。
…………いや、そういう曖昧な言い方はやめて、はっきりいいましょう。
この本、わたしには不満がいくつもあります。
膨大なエリントン・ミュージックは分類が難しいのはわかるけど、項目が多すぎなんだよ! さすがに10は多すぎるよ!
結局、肝心のエリントンがどういう人間だったか、音楽、政治の姿勢が見えてこないんだよ! 取りこぼしの無いように逸話をなるべく拾おうとしてるのはわかるけど、そのせいか平板な叙述になっちゃってるんだよ!
かといって辞典とするにはもっと内容がほしいところだし、索引もついてなくて不便なんだよ!
文章が読みにくいんだよ! 「てにをは」が微妙だったり、太字にすべきところがそのままだったり、不必要な言葉がそのままだったりとか、校正が甘すぎるんだよ!
そもそも自伝の『A列車で行こう』は誤訳が多すぎで日本語が下手クソすぎるんだよ! あれを読んで、さらにエリントンに興味を持つ人はいないでしょ?
……失礼しました。
いや、この本が日本語で初のエリントン本だから、ある程度網羅的に、そしてある程度読み物としても成立させなければならない、という責務を担っているのはわかりますよ。
上の文句は、最低限の基準をクリアした上でのいちゃもんと捉えてください。
中には柴田さんでなく、編集者の問題であるところもありますし、柴田さんと無関係のものもあります。
ーーというか、そもそもこの本のオビもセンス無いなあ。
「日本で初のエリントン、その音楽を解く鍵はここにある。」(原文ママ)とはこの本のオビですが、「日本で初のエリントン」の意味がわかりません。これ、はっきりいって編集者とか出版社の責任ですよね?
もう少し、編集の力が及ばなかったのだろうか。
そう思って上の文句を読み直すと、全部編集者の責任のようにも思えてくる。
返す返すも残念なんです。
以下は柴田さんへ。
京都の一部には、瀬川昌久先生のような、リアルタイムで親しんだ輸入派の文脈とは全く異なる、純粋に音源からエリントンに取り憑かれた一族があります。この一族は、近年関東にも飛び地して、各地でエリントン・ミュージックを再現・発展(または題材利用?)しています。結婚式の余興で「Guitar Amour」が演奏されるなんて、さすがに考えたことありませんよね?
あなたが支えてきたエリントンは、横浜のほかにも脈々と受け継がれています。
有志によりあなたに捧げられたこの1枚を聴きながら、安らかにお休みください。
その魂の安からんことを。
【追記】
柴田さんの著作、不勉強にして精読しておりません。
この2冊も、襟を正して読み直します。