晩年のエリントンのライフ・ワークとなった「Sacred Concert」。
今回はその第2期のプログラムです。
セイクリッド・ミュージック(Second Sacred Concert)
デューク・エリントン(Liberty 二枚組)
昨年、至宝ジョニー・ホッジスを失ってからも依然として演奏活勁を続けている巨匠デューク・エリントンの最新アルバムが、リバティ、アトランティックのニレーペルから同時に発売された。両者とも昨年の吹込みで、後者はホッジスのラスト・レコーディングとなったものである。
リバティ(アメリカでは「ファンタジー」盤)の「セイクリッド・ミュージック」は二枚組の大作で、数年前にRCAに吹き込んだ教会音楽の第一作に次ぐ二作目の教会音楽。前者が六五年、こんどの作が六八年、それぞれアメリカの有名大寺院で初演されて以来ヨーロッパの教会でも演奏されている。この第二作は第一作よりも作品としてスケールも大きく、十三の楽章から成り、当然ながらLP二枚を費やすことになったのである。たまたま私は昨年四月、ニューオリンズでこのセイクリッド・コンサートをきくことができたが、数十名のコーラス、独唱者、モダン・バレエ・グループが共演したこの画期的な作品に深い感銘をおぼえたのだった。作編曲、作詞はすべてエリントン自身の手になるもので、教会音楽といっても、エリントン自身の信仰、信念を彼の音楽によって実現した自由なジャズ組曲であり、終始純粋にエリントン・ミュージックとしてたのしめるのである。エリントンは、芸術家や科学者の立派な業績は、人問が努力し、神に与えられた力を発揮するときに成しとげられるものだ、と述べたことがあるが、この作品も神へのおそれと感謝、同胞の自由への願いをこめて書かれている。ハリー・カーネイのバリトンをフィーチャーした主題曲「神よ栄えあれ(Praise God)」に始まる楽章のなかには、エリントンが起用したスウェーデンのソプラノ歌手アリス・バブスをフィーチャーした「神の国(Heaven)」や、典型的なオーケストラル・ナンバー「大牧者(The Shepherd)」、自由について合唱やソロ、レシタティヴで語り合う「全き自由(It's Freedom)」、トニー・ワトキンスの歌「祈りの前に」、エリントンのピアノ・ソロ「冥想(Meditation)」などさまざまな形式がとられているが、圧巻なのは「全き自由」におけるゴスペル・ミュージカル風の曲の展開であり、十三分になんなんとする演唱のなかにスポットされるジョニー・ホッジスのアルトがひときわ印象に残る。またこの章でエリントン自身の声で故ビリー・ストレイホーンヘの讃辞が述べられているのも感銘深い。同じくコーラス、ソロに熱狂的な盛り上がりをみせる「信仰について(Something about Believing)」もすばらしいききものである。終章の「神を讃え、踊らん(Praise God And Dance)」はオケ、歌手全員による神への咸謝と信仰の歓びを表したもので、実際のコンサートでは突如ステージ前に熱狂的なモダン・バレエがくりひろげられた。全体に宗教音楽的な堅苦しさは全くなく、エリントン・ミュージックとしてたのしめる大作であり、エリントンの底知れぬ楽才に驚かされるジャズ史上画期的な野心作といえよう。
(『レコード藝術』71年8月)
アリス・バブス!
うん、この作品はとにかくアリス・バブスが素晴らしいんです。「Heaven」「Almighty God」「T.G.T.T.」…。アリス・バブスについては、このブログで繰り返し触れています。出会いは「63年2月の奇跡」。ストレイホーンの死の後で彼女との距離が縮まったのは偶然ではないはず。エリントンはストレイホーンで失った霊感を求めていました。そして、そのある程度まではアリス・バブスによってそれを取り戻せたはずです。特にこの「Second Sacred Music」のバブスは本当に素晴らしい。
あと、「全き自由(It's Freedom)」などのエレピもおもしろいです。クレジットがないのでこのエレピはエリントンが弾いていると思うのですが、これがエレピとしては非常に凡庸。エレクトリック・ピアノという楽器の特性を全然活かしきれていない。自身の演奏を聞いてみて、その不十分さにガックリきたから、オルガン奏者としてワイルド・ビル・デイヴィスを加えた、というのがわたしの仮説です。
さて、余談ですが、武満徹がアメリカ留学中体験したエリントン体験はこの音楽です。このことはこのブログでも繰り返し書いてますね。
簡単に整理すると、留学前から Ellington Lover だった武満徹、「師事したい音楽家は?」と事務員に尋ねられ、「デューク・エリントン」と答えると、あれはジャズ・ミュージシャンじゃないですか、と苦笑されました。それでも留学中になんとかしてエリントンを聴こうと足を運んだのがこの「Second Sacred Music」。生で聴いたエリントンは、武満の「斜め上の音楽」で、エリントンの印象が「オーケストレーションのマエストロ」から「集団演奏における個の自由の表現社」に変わりました。
うーん、今から考えると、このコンサートは、エリントンが得意とする「色彩豊かなサウンド」を発揮するのは難しかったと思うんですよね。というのも、エリントンは音符、オタマジャクシのハーモニーもさることながら、楽器の音色(おんしょく)も考慮に入れて「サウンド」を考えていたはずであり、さらに各プレイヤーの個性も「サウンド」の一部と考えていたはず。あの幻想的にして高貴・有限な「サウンド」はその結果として生まれたはずであり、それは、一見の多数のミュージシャンが参加するイベントでは実現することは難しいでしょう。なので、端的に言って武満徹は失望したのだと思いますよ。でも、まあ、そうは言いたくなかったのか、または「サウンド」が今一つだったがゆえに逆にエリントニアン(とアリス・バブス)の個性が際立ったのか、新たな着想を得た、と。
ああ、こうして改めて聴いてみると、このSecond Sacred Music は素晴らしい音楽ですね。1st は少し宗旨変えというか、方向違うんじゃないの、と思う瞬間がありましたが、この2ndはエリントンの発展的・創造的な方向転換を感じます。やはり晩年エリントンにおけるアリス・バブスの存在は大きかったはずです。
あと、大きいのはドラムですよ。
1st のルイ・ベルソンは決して悪くなかったのですが、器用すぎるために、きれいに調和させてしまった。そのため、毒素というかアフロ臭さが脱臭されてしまった感があります。それに比べると、この2nd でサム・ウッドヤードが叩いたのは大正解。音楽が創造的な方向に進んでいるように思います。
最後に、備忘としてエリントンのナレーションについて。「It's Freedom」のナレーション、これもいいです。エリントンは、ピアノとは異なって語りのタイミング、間はいまひとつですが声質がいい。これもヌキたい、サンプリングしたいな~。
「ジャズ史上画期的な野心作」というのは少し「盛りすぎ」な感じはありますが、エリントン・ミュージックとしても聴きどころのある作品です。Sacred Concert、初めて手にとるならこの作品でどうでしょうか。