Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

「ジャズ・エリントン」-瀬川昌久 presents デューク・エリントン。(03)

前回に続き、瀬川昌久氏が編んだエリントンのベスト盤について。

今回は「ジャズ」なエリントンの10曲。

 

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

 

 

2.

エリントン楽団のジャズ的バイタリティを発散した奔放なアンサンブルとソリストのスウィングするプレイを主体として、ジャンプ・ナンバーやブルース・ナンバー

  

《Ⅱ スウィング・サウンド》
11. ロッキン・イン・リズム (1931年)
12. コットン・テイル (1940年)
13. A列車で行こう (1941年)
14. A列車で行こう (1966年)
15. ジャンピン・パンキンス (1941年)
16. 雨切符 (1941年)
17. C・ジャム・ブルース (1942年)
18. スイングしなけりゃ意味がない (1945年)
19. 昔は良かったね (1945年)
20. サドンリー・イット・ジャンプト (1946年)

 

エリントンの音楽は、果たして「ジャズ」なのか?

これは加藤総夫氏が提起し、管理人も受け継いでいる問題であることは前回で述べた。

 

 

ただ、そうはいっても、エリントンの音楽にはジャズ的な要素に満ちていることは疑いがない。特に「グルーヴ」と「バンドとソリストの緊張関係(インタープレイ)」は、ジャズを源としてすべてのブラック・ミュージックに共通して流れているものだ。

 

たしかに、コンテンポラリーなビッグバンド・サウンドと比べると、エリントンオケのアンサンブルはバラバラに聞こえるかもしれない。このバラバラさが我慢できない人もいるだろう。リズムの譜割りだって目新しいものはないかもしれない。だが、そういった細部ではなく、オーケストラ全体ではとんでもないグルーヴが生まれている。このグルーヴこそ、ジャズを前に進めてきた大きな力の一つなのだ。

 

まさに「ジャズの父」。*1

そんなエリントンサウンドについて、瀬川氏が語る言葉に耳を傾けてみよう。

 

 ・スウィングするジャンプ・ナンバーやブルース

1930年代のニューヨークには多くのビッグ・バンドが活力あるジャズのサウンドを競い、やがてベニー・グッドマンに代表されるスウィング・ジャズの全盛時代となった。若者たちが早いテンポのジャズに熱狂して、ジターバッグを踊り、ハーレムのボールルームでは、黒人ダンサーのリンディ・ホップやスウィング・ダンスが大流行した。エリントン楽団も早くから、アップテンポのシャッフルやジャンプ曲を多数用意し、40年代を通じて他のバンドに負けないスウィンギーなリズムとゴージャスなアンサンブル、卓越したソリストのプレイをきかせた。中には早いテンポのブルース曲もあった。ここにはその代表的な10曲を紹介する。

 

 

11. ロッキン・イン・リズム (1931年)

Rockin' In Rhythm

 文字通りバンド全体がロックするような迫力を発する曲で、デュークとハリー・カーネイの共作で、Snakehips Trackerという名のダンサーに捧げて作られた。1930年11月の初吹込に続く31年1月の録音。テーマ①ABC26小節②AA16小節の構成になっている。テーマ①を吹くサックス合奏が3回繰返されるが、この頃はサックス3人だが、流石にバーネィ・ビガード、ジョニー・ホッジス、ハリー・カーネイの3大巨人の合奏だけに、実にゴージャスでスウィングしている。その問に、クーティ・ウィリアムズ(tp)、ビガード(cl)、ジョー・ナントン(tp)のソロが入る。この曲は、デュークも好み、イントロのP初回から同じフレーズを使用して、生涯演奏し続けたが、RCAには残念乍ら、この録音以降のレコーディングが見当たらない。40年代からの5人のサックス・セクションによる豪華なアンサンブルは、まさにエリントン楽団ならではのもので、他のバンドが真似しても同じサウンドが出せるものではなかった。

 

さすが瀬川先生、わかってらっしゃる。

エリントンのとんでもないグルーヴ、といったら「ロッキン・イン・リズム」ですよね。それもやっぱり62年のパリコンのアレですよ。「生涯演奏し続けたが、RCAには残念乍ら、この録音以降のレコーディングが見当たらない。」という言葉からもそれがうかがえるのだ。

 

Great Paris Concert

Great Paris Concert

 

 

さらにいえば、この「ロッキン・イン・リズム」にノックアウトされたのは瀬川先生だけじゃない。ザヴィヌルだって、大西順子だってヤラレたクチだ。なにしろ、信仰告白までしちゃってるんだからこれは重症。

 

Night Passage

Night Passage

 

 

WOW

WOW

 

 

この「ロッキン・イン・リズム」に限らず、ジャズ的なエリントン・ナンバーは晩年まで演奏され続けたが、特に55年体制以後に名演が多いように思う。これはメンバーの交代が進み、ジャズのイディオムを備えた若い世代が入ってきたせいだろう。

 

12. コットン・テイル (1940年)

Conon Tail

 エリントン楽団のメンバーが最も充実した1940年の5月の録音。ガーシュウィンの「I Got Rhythm」のコード進行に基づいてデュークが書いたシンプルで陽気な曲で、それ故にジャズのスタンダードになって、ジャム・セッションでも好んで使用される。AABA32小節でジミー・ブラントンのベースが加わったリズム・セクションが、がっちりと軽快にバウンスする。全合奏によるテーマは、クーティ(tp)のソロをはさんで、何故か28小節しか演奏されずに、テナーの巨人ベン・ウェブスターの豪快な2コーラスのソロに移る。カーネイ(bs)とデューク(P)のソロを経て、5人のサックス・セクションのソリが、あたかもサックスのソロのようなハーモニーで現れるのは、ベン・ウェブスターのアイデアといわれている。

 

出た! 泣く子も黙る「ブラントン・ウェブスター・バンド」

エリントンに興味がある人はもちろん、興味のない人も一家にワンセット。

 

The Blanton-Webster Band

The Blanton-Webster Band

 

 

「ブラントン・ウェブスター」とは、ここの解説で瀬川先生が触れているように、「ジミー・ブラントン」と「ベン・ウェブスター」のこと。リズムチェンジの曲だけあって、濃厚にジャズを感じる演奏でもある

 

「Cotton Tail」、個人的にはエラを迎えた高速アレンジも好き。

Ella at Duke's Place

Ella at Duke's Place

 

 

 

13. A列車で行こう (1941年)

Take The "A" Train

 あまりにも有名なビリー・ストレイホーン作編の名曲で、1941年2月の初吹込盤。AABA32小節のテーマ合奏のあと、レイ・ナンス(tp)の有名なソロが出る。ナンスは、クーティ・ウィリアムズが退団した補充に参加したばかりで、初のソロ録音となったが、先ずミュートtpで1コーラス吹き、次いでオープンにして、バンドとかけ合い乍ら全合奏の上を高らかに歌い上げていく。このナンスのソロ・フレーズは今日まで古典的名演として、あらゆるバンドが手本とするようになった。

 

14. A列車で行こう (1966年)

エリントン楽団はこの曲をオープニング・テーマに使用して、ますます有名曲になったが、1966年の「ポピュラー・デューク・エリントン」の中に、クーティ・ウィリアムズ(tp)のソロをフィーチャーした演奏があるので比較して聴いて頂きたい。イントロに、デュークが長いPソロを弾いており、ワルツ・タイムで始まり、やがて4拍子となるが、他の曲を引用したり技巧的に優れた芸を見せる。編曲は殆ど同じだが、クーティのオープンtpが溌剌とした豪快なプレイをきかせる。

 

「A列車」は不思議な曲だ。

ストレイホーンらしいエレガンスにあふれていながら、ソロを誘発する仕掛けも十分。

ジャズのスタンダード・ナンバーになるべくしてなった曲といえるだろう。

エリントンオケのテーマ曲はストレイホーンの作曲。ここにも「エリントン/ストレイホーン問題」が潜む。

 

15. ジャンピン・パンキンス (1941年)

Jumpin' Punkins

 「A列車で行こう」と同じ1941年2月の録音。デュークの子息マーサーの書いたAABA32小節の曲で、珍らしくドラムスのソニー・グリアーをフィーチャーしている。からみ合うようなサウンドのイントロから、ミディアム・テンポになって、ジミー・ブラントンのベースが、リズムを力強くスウィングさせていく。リフをつなげたような単純なテーマを、ソフトに抑制されたアンサンブルが奏し、ハリー・カーネイのbsが1コーラスのソロ、後半はグリアーのドラムがバンドと対応し乍ら、軽快なソロを叩く。50年代以降のルイ・ベルソンやサム・ウッドヤードのような派手さはないが、手堅くバンドを引き立てる術を心得たドラマーであった。

 

16. 雨切符 (1941年)

Raincheck

 デュークの片腕ビリー・ストレイホーンは、1941年「A列車で行こう」に続いて次々と傑作を発表したがこれもその一つで12月に録音し、ストレイホーン自身がピアノを弾いた。曲はABAC32小節。アップテンポの洗練された演奏で、スウィング時代の他のバンドのようなプラス群の強烈なアンサンブルを強調するような派手なことはしない。その代わり、ファン・ティゾール(valve-tb)やベン・ウェブスター(ts)のスウィンギーなソロを包むサックスやブラスの合奏にモダンで美しい色模様を与えており、ラストのレイ・ナンス(tp)の短いソロからサックスのソリ、ストレイホーンのP、全合奏のコーダに至るバンド全体の迫力感が圧倒的だ。

 

ソニー・グリーアの評価は置いておこう。

一般的にはRaincheckは渋いチョイスにということになるだろうが、ストレイホーン・ファンにはたまらない選曲。なにより、このストレイホーンのピアノは「ストレイホーンらしさ」がよく表れている。作編曲においてエリントンとストレイホーンの類似性・親近性はよく言われるところだが、逆に演奏面ではその相違性が表れる。

 

17. C・ジャム・ブルース(1942年)

The "C" Jam Blues

 1942年1月「パーディド」と共に録音され、共にヒットしてジャムセッションの人気曲になったが、スペースの関係で残念乍らここでは後者のみを収録した。簡単なリフの12小節ブルースで軽快にスウィングするリズムにのって、デュークのPがすぐそれと判るメイン・テーマのリフ・フレーズを叩き、バンドがメロディをとってデュークがバッキングを弾く。それからは殆どジャムの形式で、レイ・ナンス(violin)、レックス・スチュアート(ミュートtp)、ベン・ウェブスター(ts)、ショー・ナントン(ワーワーtb)、バーネイ・ビガード(cl)が順番にブレークをとって1コーラスずつゴージャスなソロをきかせる。ラスト時間の制約からか、アンサンブルのコーラスが十分にないのが惜しい。

 

A列車のtpソロといい、レイ・ナンスは超重要エリントニアンである。トランペットだけでなく、バイオリン、ボーカル、ダンス…そりゃエリントンも手放したくなかったはずだ。

 

 

18. スウィングしなけりや意味がない(1945年)

It Don't Mean A Thing (If Ain't Got That Swing)

 あまりにも有名なエリントンの大ヒット作で初演は1932年2月で、アーヴィング・ミルズの詞がついて、アイヴィ・アンダーソンが歌った。その時はそれ程のヒットにならなかったが、スウィング時代の興隆につれて、SWINGという言葉を適切に使用したジャズ曲ということで注目され人気が高まり、エリントンの代表曲にもなり、今日ではジャズ・ボーカルの定番にまでなった。エリントン楽団は、インストゥルメンタルで演奏することが多く、メドレーには必ず始めに紹介し、稀にレイ・ナンスが歌うこともあったが、女声歌手のボーカル入りは、1945年5月録音の本盤のみが残っている。しかも当時専属だったジョーヤ・シェリルとケイ・デイヴィスに加えて、もう一人マリー・エリントン(デュークとは親類関係はない)が入り3人の女性ボーカル付きという豪華版で、デュークはアレンジにも色々な工夫をして興味ある仕上がりとなっている。曲はAABA32小節で、ドゥーワ! ドゥーワ!というスキャット風歌詞が特色である。

 デューク(p)のイントロから、歌手の一人(恐らくジョーヤ・シェリル)がテーマを歌い出すと、他の2人が輪唱形式で追いかけ、ラストのDon't Mean A Thingを斉唱して終る。タフト・ジョーダン(tp)とレイ・ナンス(violin)がバンド合奏とかけ合いでソロを展開し、アル・シアーズ(ts)が2コーラスに亘りハード・ドライビングなソロをとる。バックの次第に登り上がる合奏に対応する白熱的なプレイが見事だ。前任のベン・ウェブスターに優るとも劣らぬ快演である。この時のバンドには、ボブ・ハガートがベースに参加して、リズムを強化している。日本でも非常に人気のある曲だから、3人の歌手をフィーチャーして再現してみたら面白いと思う。

 

この「It Don't Mean A Thing」のアレンジは素晴らしい。実は管理人が人生で初めて聴いたエリントンがこの曲、このアレンジで、一発でやられてしまったのだった。

みんなで歌おう「ドゥーワ! ドゥーワ!」。

 

Black Brown & Beige

Black Brown & Beige

 

 

 

19. 昔は良かったね(1945年)

Things Ain't What They Used To Be

 豪快にシャッフルするリズムにのったジャンプ曲として非常に人気のあるブルース曲で作曲はデュークの子息のマーサー・エリントン。デュークの初演は、1941年7月、ジョニー・ホッジス(as)の7人コンボのRCA吹き込みで、ホッジスの特色あるアルトのソロにぴったりの曲調が評判になって、ホッジスの十八番曲になった。この1945年7月のビッグ・バンド版も、ホッジス(as)が始めにソロし、タフト・ジョーダン(tp)、ローレンス・ブラウン(tb)と続くが、ブラウンの2コーラスに亘るはげしいプレイが圧巻。ソロを包むアンサンブルのアレンジも凝っている。一般的には、エリントン楽団がホッジスのソロを長くフィーチャーするケースが多かった。

 

20. サドンリー・イット・ジャンプト(1946年)

Suddenly It Jumped

 デューク作曲のジャンプ曲で、1946年7月録音。AABA32小節形式。

 タフト・ジョーダンの高音のtpが全面にフィーチャーされ、デュークのPソロのテーマのあと、タフトのtpソロ。デュークのPとベースのオスカー・ペティフィードの珍しいフォー・バース、再びジョーダンと全合奏。オスカー・ペティフォードは強力なモダン奏者、かつてのジミー・ブラントンのように、エリントン楽団のリズムの新鮮化を支えた。

 

 結論。

ブラントン・ウェブスターはジャズの源流。

ジャズ的なエリントンを聴くなら、管理人は40年代よりも60年代を聴いた方が「より」ジャズっぽいと思うが、その分エリントンの成分というか毒気は薄れるかもしれない。

 

エリントンを人に薦めるとき、変態エリントン信者は、よく組曲ものとか、ジャングルサウンドを強要して敬遠されがちだ。今回のような40年代のちょっと濃厚なジャズの方が面白く聞いてもらえるのかもしれない。なにしろ、この時代のエリントンは、若きマイルスの聖典だったのだから。


次回は「色彩感あるサウンド」のエリントン。

どんどん行くぞ! ドゥーワ! ドゥーワ!

*1:繰り返しになるが、「ジャズそのもの」ではないのがポイントだ。