Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

「エキゾチック・エリントン」ー瀬川昌久 presents デューク・エリントン。(02)

前回に続き、瀬川昌久氏が編んだエリントンのベスト盤について。

今回は「エキゾチック・サウンド」の10曲。

 

 

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

 

 

 

1.

エリントン音楽のサウンドのルーツと目される初期のジャングル・ミュージックを始め、ラテン・リズムなどを採用したエキゾチックなサウンド――エリントン楽団の重要なレパートリーになっている代表曲については、1920年代のオリジナル演奏と60年代以降の同曲の演奏を並べて、その間のアレンジメントやサウンドの変化をも検証する。

 

《Ⅰ エキゾチック・サウンド》

1. 黒と茶の幻想 (1927年)
2. 黒と茶の幻想 (1966年)
3. ザ・ムーチ (1929年)
4. ザ・ムーチ (1966年)
5. クレオール・ラヴ・コール (1927年)
6. クレオール・ラヴ・コール (1973年)
7. キャラヴァン (1952年)
8. キャラヴァン (1966年)
9. イースト・セントルイス・トゥードル・ウー (1927年)
10. ジャングル・ナイト・イン・ハーレム (1930年) 

 

これは面白い趣向だ。

この4曲の新旧アレンジの並置は、エリントンに対するある問題提起ともいえるだろう。

 

それは、「エリントンはジャズなのか?」という問題だ。

これは、管理人がエリントンに対してずっと抱いている疑問でもある。

この疑問は加藤総夫氏が提示した問題であり、同じ曲をアレンジを変えて何10年も演奏し続ける姿勢は、少なくとも「ジャズ=即興を重視する音楽」という立場とは正反対のものだろう。加藤氏は、エリントンのこの傾向に、自曲をシンセサイザーなどのテクノロジーを駆使してリアレンジを試み続ける坂本龍一との近さを読み取る。現代にエリントンが生まれ変わったら「コンピュータ・ミュージックの打ち込み魔」として活躍していたかもしれない、という加藤氏の想像は興味深いが、とりあえず今は置いておこう。

 

 

ジャズ最後の日

ジャズ最後の日

 

 

瀬川昌久氏の解説を追うことにしよう。

●ジャングル・サウンドやラテン・リズムを具有した独自のエキゾチックな音楽

 1~10の10曲は、デューク・エリントン楽団が1927年ニューヨーク・ハーレムの高級ナイト・クラブ「コットン・クラブ」の専属バンドとなった際、自身の個性的サウンドを確立して人気を高めた代表曲の新旧録音を収録した。デュークは、1924年のバンド結成以来、幼なじみの優れたサイドメンを抱えて、各メンバーの特有な才能を最大限に生かしたプレイを統合した個性的サウンドの確立を目指した。特にトランペットのバッバー・マイリーとトロンボンのジョー・“トリッキー・サム”・ナントンの2人のホーン奏者は、プランジャー・ミュートを用いたグロウル奏法を考え出し、アフリカの密林の中の人のうなり声を思わせる音色のプレイを開発した。

Black & Tan Fantasy、 The Mooch、 Creole Love Call、East Saint Louis Toodle-Oなどは、1927年から28年に録音され、ジャングル・ミュージックの呼び名で、圧倒的な喝采を受けた。クラブのショウに際し、このバンド・サウンドに合わせて、黒人のとびきり上等の美しいダンサーたちが、アフリカン・ダンスを踊る時、そのエキゾチックな魔力にクラブの客は魅せられたのである。デュークの楽団は、コットン・クラブ出演中、さらにメンバーを充実させ、27年ハリー・カーネイ(bs)、28年バーネィ・ビガード(cl)、ジョニー・ホッジス(as)、ファン・ティゾール(tb)、32年ローレンス・ブラウン(tb)らの偉大な個性的スタイリストを加えた。彼等はその後長く在団して、エリントニアンズとして、デュークの目指す音楽を意図通りに表現し、また逆にデュークの作曲アイデアに多くのインスピレーションを与えた。

 初期のジャングル・ミュージックは、エリントン音楽の一つの代表的スタイルとして、新しいアレンジによって長く演奏された。そこで、始めの4曲については、初期の演奏と60年代以降の演奏とを並べて比較対聴して、そのルーツと発展とを理解して頂くように配置した。

 

さあ、それでは1曲ごとの解説を見ていこう。

 

01. 黒と茶の幻想(1927年)

Black And Tan Fantasy

 1927年4月ブランズウィックに初吹込し、10月RCAに再録音したのが本テイクで、デュークとバッバー・マイリー(tp)との共作。マイリーの母が歌っていた南部の古いスピリチュアルを基にしたブルース。テーマ①(12小節)とテーマ②(16小節)から成る。マイリー(tp)とショー・ナントン(tb)がオープンでデュエットするテーマ①、オットー・ハードウィック(as)の歌うようなテーマ②を経て、マイリー(tp)のワーワー・ミュートのグロウルするソロが2コーラス、デュークのPソロを経て、ジョー・ナントン(tb)が更にはげしくわめくようなグロウルをきかせ、再びマイリーのソロがあり、ラストにバンドがショパンの「葬送行進曲」の一部を挿入する。この時のバンド編成は、デューク(p)を含めてサックス3、トランペット2、トロンボン1、リズム4の10人編成である。

02.黒と茶の幻想(1966年)

 1966年のアルバム「ポピュラ一・デューク・エリントン」に収録された同曲で、初演から40年経ったエリントン楽団は、トランペット4、トロンボン3、サックス5、リズム3の15人編成で、デューク自身の活力みなぎるピアノに導かれて、ワイルドな原曲の本質を保持し乍ら新解釈の洗練されたサウンドを聴かせる。先ずイントロがデュークのP中心の叩きつけるようなパーカッシヴな4小節、テーマ①は、ローレンス・ブラウン(ミュートtb)、クーティ・ウィリアムズ(ミュートtp)、ラッセル・プロコープ(cl)の3管合奏によるエリントン固有のテクスチャーで綴る。テーマ②は、ハリー・カーネイのバリトン、続いてクーティ(tp)の激しいワーワー・プレイ、デュークのP、ブラウン(tb)のワーワーが2コーラス、デュークのPが凄味を増して、プロコープ(cl)のソロをサポートし、クーティのワーワー・ソロがラストを飾る。油井正一氏は、「このような新解釈は、1966年の時点におけるエリントンのフィーリングをひしひしと聴き手に伝える。昔の演奏にみられた「泣き」はなく、胸を張った黒人の姿勢がある」とこの演奏を賞している。

 

…「AABA ◯小節形式」や、ソロ順の紹介などは伝統的なジャズ批評を彷彿とさせる。そんなの、聴けばわかるよ! とも思うが、瀬川氏は聴いてもわからない人や初めてエリントンを聴こうと思う人のためにガイドを記しているのだろう。 

金管の「ワーワー」は、「ヤーヤー(ya-ya)」とも呼ばれている。というか、「ワーワー」はどうしてもエフェクターの「ワウ」を想像してしまうし、実際の音との近さで考えても、「ヤーヤー」という表現のほうがしっくりくるような。

 

03. ザ・ムーチ(1929年)

The Mooche

 1928年10月録音で、テーマは①AAB24小節と②12小節から成り、親しみ易い旋律がポピュラーになった。イントロ合奏(4小節)から、サックス3人がクラリネット持ちかえのトリオで美しくテーマ①を奏しアーサー・ウェツェル(tp)が軽くからむ。プラスがテーマ②バーネイ・ビガード(cl)のソロ、ウェツェル(tp)のソロ、(ホッジス(as)がからむ)、ホッジスのソロを至て、始めのテーマ合奏に戻る。ソニー・グリア(ds)のチャイナ風太鼓のポコポコいうリズムがエキゾチックだ。

 

04.ザ・ムーチ(1966年)

 66年の同曲の演奏は初演を拡大発展させた5分余の長い演奏になっている。イントロ全合奏(4小節)から、テーマ① (24小節)をハリー・カーネイ、ジミー・ハミルトン、ラッセル・プロコープ3人のクラリネット合奏で奏し、その上をクーテイのワーワーtpが力強く吹く。テーマ②(12小節)のプラス合奏、プロコープのサプトーンclとハミルトンの高音CIとのデュエット(16小節)、ローレンス・ブラウンのワーワーtbソロ(24小節)、再びcl3重奏にクーティのtpが強音のラスト・コーラスを飾り、エンディングは集団のはげしいからみ合いで終わる。

グリーアの木魚はエキゾチックだけど雰囲気ぶち壊しだよ! 『ザ・ポピュラー』収録の演奏は素晴らしい。『ザ・ポピュラー』は、よく聴くと「こっそりと変態アイデアを盛り込んだ意欲作」(©加藤総夫)に聞こえてくるのだ。

THE POPULAR DUKE ELLIN

THE POPULAR DUKE ELLIN

 

 

 

05. クレオール・ラヴ・コール(1927年)

Creale Love Call

 1927年10月の初吹き込みで、デュークとバッバー・マイリ一(tp)とルディ・ジャクソン(tp) 3人の共作になっている。白黒の混血児クレオールの恋唄をテーマにした12小節ブルースだが、哀愁味あるメロディーが実に美しい。1コーラスまで6回奏され、①アデレイド・ホールが高い声でボーカリーズし、クラリネット3重奏がからむ。②パッバー・マイリーのワーワーtpソロ、③ルディ・ジャクソンのclソロ、④プラス合奏、⑤クラリネット3重奏、⑥アデレイド・ホールのボーカルがそのままコーダに入る。

 ここで器楽的なボーカリースで効果を上げているアデレイド・ホールは1909年ニューヨーク生まれで、1920年代に多くの黒人レビューに出演し、エリントン楽団とコットンクラプでも歌い、レビュー団で楽旅もした。30年代半ばからはヨーロッパで歌い、英国に住んでいた。

 この曲のメロディについては、1923年キング・オリヴァー(コルネット)のバンドにルイ・アームストロングが参加して吹き込んだオリヴァー作のCamp Meeting Bluesという曲の演奏をきくと、テーマのあとソロをとるCIのジミー・ヌーンのフレーズがCreole Love Callのテーマに似ており、tbのエド・アトキンスのソロがルディ・ジャクソンのソロにそっくりであることに気付く。恐らくジャクソンがそのレコードをきいて、ヌーンとアトキンスのアドリブ・ソロを基に自分で曲を書いてエリントンに持参したのではないか、と言われている。何れにしても、エリントン楽団の演奏によって1923年の美しいメロディが生き返ったことは間違いない。

 

06. クレオール・ラヴ・コール(1973年)

 この曲はエリントン楽団が何回もレコーディングしているが、1973年12月1日に、英国におけるコンサート録音アルバムに収録された演奏を選んだ。デュークは、翌74年5月ニューヨークで永眠したので、このコンサートが、生前最後のステージとなった記念すべき演奏である。デュークのPイントロのあと、CI合奏のテーマ(24小節)にミュートtpがからんでいく。ハリー・カーネイのbass-clが1927年のルディ・ジャクソンのフレーズを吹く。ラッセル・プロコープのclが力強く吹き始めると、デュークが「I Like That、 One More Time」と続けるよう声をかけて、2コーラスのソロとなる。テーマに戻って、始めと同じcl合奏とミュートtpでしめくくる。初演から半世紀近く、オリジナルの美しさが輝き続けている。

 

「ボーカリーズ(ヴォカリーズとも)」とは、が即興性のないスキャットのようなものだ(定義の深い迷宮に入るつもりはないので)。よく、エリントンはボーカルも楽器の一つと考えていた、としてこの初期のヴォーカリーズが紹介されるが、そのとおりだろう。

 

07. キャラヴァン(1952年)

Caravan

 1937年にエリントン楽団のヴァルヴ・トロンボン奏者でプエルト・リコ出身のファン・ティゾールがデュークと共作したラテン的ナンバーで、歌詞もついて、ジャズ曲の中でも最もポピュラーなナンバーになった。アフロ・キューバン・ジャズの先駆曲として、ガレスピーやアート・プレイキー始めモダン・ジャズメンに愛好され、ジャズボーカルで歌われると同時に、ベンチャーズも演奏した。エリントン楽団は1937年初演以来何度も録音しているが、この1952年3月25日、シアトル・コンサートのライブでは、作者のファン・ティゾールのソロがたっぷりきける。ティソールはエリントン楽団には断続的に何度も在団したが、RCA録音に彼のソロがフィーチャーされたのはこの時だけなので選曲した。ライブ実況で、デュークがティゾールを紹介する声がきける。この曲は、AABA64小節の長い構成で、デュークのPとtpのからむイントロから、ティゾールのヴァルヴtbが力強く48小節に亘るソロをとる。続いてジミー・ハミルトンのclソロが32小節、そしてレイ・ナンスが出てきて、得意とするヴァイオリンのソロを32小節、ブレイクを経て再びティゾールのプレイに戻って終わる。バンドの全合奏が殆どない珍しい演奏だが、ティゾールの自作がきける貴重なテイクだ。

 

08. キャラヴァン(1966年)

 1966年の「ポピュラー・デューク・エリントン」アルバムでは、全く違うアレンジのアップテンポの演奏がきける。サム・ウッドヤードの叩く急連調の8ビートのドラムのイントロから合奏のテーマに入り、ローレンス・ブラウン(tb)のソロに続き、ジミー・ハミルトン(cl)がフル・コーラスを吹き、再びブラウン(tb)が受けて途中4ビートに変わる。合奏テーマに戻ったあと、珍しくドラムとピアノのかけ合いが続き、デュークのコンプするピアノ・フレーズが面白くコーダに入る。変化と意外性に富んだアレンジとバンド・サウンドが実に興味深い。

 

キャラバンは、「ジャングル・サウンド」を考える上で重要な曲。

まず、この曲はプエルトリコ出身のトロンボーン吹きが砂漠のキャラバンを想像して書いた曲であり、この時点で文化的にかなり錯綜している。というか、かなり出自がおかしい。それが「ジャングル」サウンドと呼ばれているのだか、もう、何だかよくわからない。

 

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つまり、この時代の「ジャングル・サウンド」はエキゾチックな雰囲気、非西洋的な雰囲気を総称してそう呼んでいただけで、今ならさしずめ「ワールド・ミュージック」と呼ばれるだろう。

 

09. イースト・セントルイス・トゥードル・ウー(1927年)

East Saint Louis Toodle-O

 バッバー・マイリー(tp)とデュークの共作品の中で最も古く、1926年11月ヴォカリオンに初吹込し、以来同曲5回目の録音で1927年12月。テーマ①AABA 32小節と②18小節から成る。全合奏8小節のイントロから、マイリーのワーワーtpが①(32)、ハリー・カーネイ(bs)が②(18)、ショー・ナントンのワーワーtbが(2) (18)、マイリーのワーワー(8)で終る。この曲は30年代まで頻繁に演奏されたが、何故か1940年以降殆ど取り上げられなくなってしまった。しかしマイリーの代表作として記録に止めておきたい。

 「East Saint Louis Toodle-O」! たしかに、ここで取り上げられている他の曲と異なり、後年はほとんど取り上げられることがなかった。が、リスナーにとってはエリントン曲の重要な一曲だ。

 たとえば、スティーリー・ダン

 

プレッツェル・ロジック

プレッツェル・ロジック

 

 

10. ジャングル・ナイト・イン・ハーレム(1930年)

Jungle Nights In Harlem

 文字通りJungleの名を冠した作品は、1920年代後期に非常に沢山作られて、コットン・クラブで演奏された。この曲は、1930年6月の録音でAABA32小節の構成。早いテンポにのってバンド全合奏のサウンドをバックにして各ソリストが思い切り特異の音を出して、ジャングル・ムードを盛り上げている。デュークのリズミックなPイントロから、先ずジョー・ナントン(tb)がワーワーのソロをとるが、サビの部を新加入のフレディ・ジェンキンス(tp)が吹き、次のコーラスは、フレディがバンドとトリッキーなプレイでやり合う。バーネィ・ビガード(cl)が上昇音や下降音を駆使した迫力あるソロ、再びジェンキンスがバンドをバックにコーダに持ち込む。

 この頃演奏された「ジャングル・ナンバー」は他に、Echoes Of Jungle、 Jungle Blues、 Jungle Jamboreeなどがあった。

 

「ジャングル」とは「エキゾチック」程度の意味。

「ジャングル・ミュージック」はワールド・ミュージックの源流なのだ。

 

次回は「スウィング・エリントン」。