Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

瀬川昌久 presents デューク・エリントン。(01)

日本のエリントン受容史は、瀬川昌久氏の存在を抜きにして語ることは出来ない。

 

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瀬川昌久(1924 - )

 

もちろん、瀬川昌久氏の師として野口久光氏が挙げられるわけだが、野口氏の功績は、同時代人として、エリントンの「紹介」を行ったことにある。それに対して、瀬川氏はミュージシャンたちへ惜しみなく貴重音源を提供するなど、次世代への音楽的触発を行った。そのせいだろう、今でも多くのミュージシャンは、敬意を込めて瀬川氏のことを「瀬川先生」と呼ぶ(参考→「寺島靖国センセイ」)。最近では、菊地成孔大谷能生両氏と瀬川氏との蜜月が有名なところだ。瀬川氏は両氏のビバップなダンスパーティ・イベント「HOT HOUSE」の最高顧問として名を連ねたり、菊地氏のラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」に出演したり、大谷氏とはこんな本も出している。

 

日本ジャズの誕生

日本ジャズの誕生

 

 

しかし、今回言及しておきたいのは加藤総夫氏と瀬川氏の関係だ。管理人は、日本語で読めるギル・エヴァンス本として貴重な『ギル・エヴァンス』の「エピローグ」でこの両氏の交流を知ったのだが、驚くと同時に納得し、嬉しくなってしまった。なにしろ、瀬川氏、加藤氏の両氏は、ともに管理人が深く尊敬する人物だからだ。

 

ギル・エヴァンス音楽的生涯

ギル・エヴァンス音楽的生涯

 

本文の末尾に置かれたこの「エピローグ」は、わずか7ページながら密度のある内容が語られている。1983年のギルの来日の際に若き加藤氏が自らアレンジした学生バンドの演奏を聞かせたこと、貴重なエリントンやギルの音源を聴くことができた「瀬川スクール」の存在など、実に興味深い。管理人は、『ジャズ・ストレート・アヘッド』『ジャズ最後の日』の「ボーナス・トラック」として楽しんだ。

 

ジャズ・ストレート・アヘッド

ジャズ・ストレート・アヘッド

 
ジャズ最後の日

ジャズ最後の日

 

 

さて、今回のエントリはここからが本題。 

そんなエリントン 研究者としての瀬川氏だけど、エリントンに関する著作はそれほど多くない。いろいろなところで短い文章はたくさん書かれているものの、エリントンに関するまとまった文章はない。「愛するものについて、ひとはうまく語れない」と書いたのはバルトだったか、スタンダールだったか。瀬川氏がどう考えているのかは分からないが、とにかく長いあいだ、管理人はこの状況を残念に思っていた。

 

だから、瀬川氏がエリントンのベスト盤を編む、という知らせを耳にした時は本当に驚いた! しかも解説もたっぷり書いた、と言うじゃないか!

 

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

スウィング!presents デューク・エリントン・ベスト

 

 

興奮を抑えつつ、とりあえず解説文をみてみよう。

 

 

『SWING! presents DUKE ELLINGTON'S BEST』

デューク・エリントンの新ベスト・アルバムを組むに当たって

瀬川昌久

 

 デューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington)は、1899年に生まれ、1924年バンド・リーダーとなり、74年に没するまで、半世紀に亘って、作編曲を続け乍らバンド活動を実施した。その間彼が作曲し演奏した曲は恐らく1、000曲を下らないと思われる。しかも彼の作品は極めて多岐に亘るので、エリントン音楽の全貌を2枚のCDに収録することは殆ど不可能に近い。

 今回、「スウィング! アーティスト・ベスト・シリーズ」の一環としてエリントンのベスト・アルバムを新たに編集するに当っては、次の諸点を考慮して、40曲を選定することにした。

 

● 従来既にエリントンのベスト・アルバムは多数作られており、「A列車で行こう」や「スウィングしなけりや意味がない」「キャラヴァン」「サテン・ドール」などポピュラーな曲は必ず含まれている。他にも沢山あるポピュラー・ナンバーをより多く羅列しただけでは、旧来のベスト・アルバムの曲目を拡大しただけに終わってしまう。

● 一方プロ・アマを問わず、エリントン音楽を演奏し歌おうとするバンドや歌手は年々増えており、エリントン音楽の多彩な特色を研究し理解しようという意向は年々強まっている。

● そこで、エリントン音楽の特色をなすサウンドを4つの分野に分類して、その代表的曲目を選ぶことにした。

 

その際、エリントンのピアノ・ソロやピアノ・トリオ、小編成のコンボによる演奏は除いた。またエリントンが作曲した多数の組曲は、演奏時間が長いのが多いため対象から外した。

 

1.

エリントン音楽のサウンドのルーツと目される初期のジャングル・ミュージックを始め、ラテン・リズムなどを採用したエキソチックなサウンド――エリントン楽団の重要なレパートリーになっている代表曲については、1920年代のオリジナル演奏と60年代以降の同曲の演奏を並べて、その間のアレンジメントやサウンドの変化をも検証する。

 

2.

エリントン楽団のジャズ的バイタリティを発散した奔放なアンサンブルとソリストのスウィングするプレイを主体として、ジャンプ・ナンバーやブルース・ナンバー

 

3.

デュ一クの類稀な美しいメロディ・メイカーとしての才能を発揮した数多のバラードと、旋律を表現する独特の楽器構成によるサウンド・テクスチャー

 

4.

作品のメロディが魅力的な故に、歌詞をつけてジャズ・ボーカルのスタンダードになった多数の歌曲――エリントン楽団専属歌手によるオリジナル・ボーカル。

 

 エリントン楽団の長期に亘る膨大な吹込の中から40曲を限定選曲することは非常に難しく、涙をのんで割愛せざるを得なかった演奏も多い。オリジナル曲の中には、勿論デュークの片腕分身的存在であったビリー・ストレイホーン作の「A列車で行こう」なども含まれており、ストレイホーン作品は広い意味で全てエリントン音楽に含まれると理解して頂きたい。

 本アルバムが、従来のスウィング・ジャズ愛好家の更なる鑑賞に資すると同時に、既にモダン・ジャズを含めてジャズを相当聴き込んでいるファンや、ジャズの演奏・作編曲・ボーカルに従事するアーティストの方々にも、エリントン音楽研究の一助になれば幸いである。

 

なるほど。

管理人は本館で分類したのとは少し異なるが、これはこれで納得できる分類だ。というか、重なるところも多い。

こっちでは、「ジャズ」「前衛美」「ワールドミュージック」「歌もの」「コンボ」とわけている。今から考えると、「前衛美」という表現をもう少しブラッシュアップしたい。

 

では、瀬川氏の具体的な選曲を見てみよう。

実に2枚組、全40曲のボリューム。

【Disc 1】

《Ⅰ エキゾチック・サウンド》

1. 黒と茶の幻想 (1927年)
2. 黒と茶の幻想 (1966年)
3. ザ・ムーチ (1929年)
4. ザ・ムーチ (1966年)
5. クレオール・ラヴ・コール (1927年)
6. クレオール・ラヴ・コール (1973年)
7. キャラヴァン (1952年)
8. キャラヴァン (1966年)
9. イースト・セントルイス・トゥードル・ウー (1927年)
10. ジャングル・ナイト・イン・ハーレム (1930年)

 

《Ⅱ スウィング・サウンド》
11. ロッキン・イン・リズム (1931年)
12. コットン・テイル (1940年)
13. A列車で行こう (1941年)
14. A列車で行こう (1966年)
15. ジャンピン・パンキンス (1941年)
16. 雨切符 (1941年)
17. C・ジャム・ブルース (1942年)
18. スイングしなけりゃ意味がない (1945年)
19. 昔は良かったね (1945年)
20. サドンリー・イット・ジャンプト (1946年)

 

【Disc 2】

《Ⅲ 色彩感あるサウンド》

1. ムード・インディゴ (1945年)
2. ソリチュード (1934年)
3. ソリチュード (1945年)
4. チェルシーの橋 (1941年)
5. コンチェルト・フォー・クーティ (1940年)
6. ホワット・アム・アイ・ヒア・フォー (1942年)
7. プレリュード・トゥ・ア・キス (1942年)
8. イン・ア・センチメンタル・ムード (1945年)
9. ソフィスティケイテッド・レディ (1945年)

 

《Ⅳ 専属歌手によるボーカル・ナンバー》

10. チョコレート・シェイク (1941年 withアイヴィ・アンダーソン)

11. ガット・イット・バッド (1941年 withアイヴィ・アンダーソン)
12. ジャンプ・フォー・ジョイ (1941年 withアイヴィ・アンダーソン)
13. ビギニング・トゥ・シー・ザ・ライト (1944年 withジョーヤ・シェリル)
14. キッシング・バッグ (1945年 withジョーヤ・シェリル)
15. 歌を忘れよう (1945年 withジョーヤ・シェリル)
16. ザ・ワンダー・オブ・ユー (1945年 withジョーヤ・シェリル)
17. ジャスト・スクイーズ・ミー (1946年 withレイ・ナンス)
18. トランスブルーセンシー (1946年 withケイ・デイヴィス)
19. ラヴァー・マン (1946年 withマリオン・コックス)
20. セントルイス・ブルース (1946年 withマリオン・コックス)

 

Ⅰ~Ⅲは有名曲も多く、その意味で「ベスト盤」にふさわしいが、逆にⅣの選曲はなかなかマニアック。選曲方針にあるように、「専属歌手」に限定しているため、エリントンオケと共演しただけの、いわゆるジャズ・ボーカルの有名どころの名前はない。すべて「全盛期」40年代からの選曲というところにも主張を感じる。ここには瀬川氏の趣味が色濃く反映されているのではないか。あ、「専属歌手」の中に混じって、レイ・ナンスが1曲入ってるのもうれしい。ここは笑うところだぞ!

 

選曲の年代としては、27年の録音と73年の録音が編まれているのは面白い。40年代の録音が多いが、それが「エリントンの全盛期は40年代である」瀬川氏の解釈だ。これは一般的なエリントンの評価でもあり、深くうなずけるところだ。エリントンの音楽について、各人が好きなことを話し、解釈するのはもちろん自由だが、それは40年代のエリントンを聴いた後でのこと。そもそもの前提として、40年代のサウンドがある――そんな声が聞こえてきそうである。

 

管理人としては、異種格闘技戦を繰り広げた続けた60年代の音源も加えてほしかったところだが、そうすると全体がぼやけてしまうかもしれない。また、メディアの容量の都合上、組曲がすっぽり抜けてしまっているのは残念。だが、この2点を除けば、この40曲は正統派なベスト盤として素晴らしいものだ。

 

あと、このベスト盤は音質が素晴らしい!
古い時代の音源だから、と敬遠してた人はまったくそんな心配はいらない。
でも、ところどころレコードノイズ(針飛び音?)が聞こえるけど、丁寧にリマスターされているようで、音質面でののストレスはない、はず。

 

 

さて、では瀬川氏による40曲の解説を見ていきたいのだが――。

長くなったので続きは次回。このシリーズ、しばらく続くかもしれない。