ハービーの自伝を読んだなら、これも読まないわけにはいかない。
出版社が潮出版社であることから、この自伝はSGI関係解禁の内容であることが予想されます。というか、ハービーもショーターも、本人はSGI信者であることは全く隠しておらず、日本のマスコミが触れないようにしてるだけ、なのでしょう、きっと。
この本はショーターの自伝ではなく、ミシェル・マーサーの密接な取材に基づく評伝。なので、その点を少し意識しておく必要はあるけど、他者の視点からの記述になるため、その分事実関係などの客観的な判断の信ぴょう性が増すことになるのは良い点だった。…まわりくどい書き方をしたが、これは、ショーターが相当の「不思議ちゃん」いわゆる「天然」っぽいキャラクターとうかがえるからだ。
要は「恐ろしく才能のある不思議ちゃん」なので、本人はそんな意識はなくとも、発言や言動が他人を煙にまくようなものばかりだったらしい。なんでも、「as weired as Wayne」なんて言葉も使われていたくらい。こりゃ、周りの人は大変だろうなあ。
それにしても、プライベートの人生は悲しい出来事の連続で同情してしまう。。父を自動車事故で亡くし、障害を持った娘のイスカも14歳で亡くし、妻アナ・マリアを飛行機事故で亡くす…と、人生で数々の不幸な出来事に遭遇。ハービーに誘われてSGIに入会することによって魂の平安が得られたのなら、それはとても喜ばしいことだと思う。
以下、作曲のクレジットをめぐって。
マイルスがサイドマンの書いた曲に対して自らの著作権を要求したことはよく知られている。両者の関係は、エリントンと作曲家のビリー・ストレイホーンのそれと同じようなものだ。確かに、マイルスはサイドマンたちが持参した曲の多くにスタジオでかなり大胆に手を入れている。しかし、曲の編集と作り直しは明確に違う。そこで、マイルスの行ったアレンジが共作者クレジットを得るに足るものかどうかについて意見の相違が生じたのである。たとえば、アルバム『カインド・オブ・ブルー』のトーンに、ピアニストのビル・エヴァンスの書いた曲のヴォイスが大きく影響しているのは間違いない。彼とマイルスの関係は、カミーユ・クローデルとロダンのそれに喩えることもできるだろう。マイルスはまた、「イン・ア・サイレント・ウェイ」の著作権についてジョー・ザヴィヌルともいざこざを起こしており、これは弁護士の力を借りねばならないほどの騒動になった。
もっとも、「サンクチュアリ」の権利に関するウェインとマイルスの争いはそれほどひどいものにはならず、友好的な形で解決を見ている。
創造性にみちた時代はウェザー・リポート時代で、ザヴィヌルと大量の曲を書き残した。この14年、15枚のアルバムにわたる創作活動は、エリントン・ストレイホーン、ロジャース/ハート(Richard Rodgers, Lorenz Hart)、レノン/マッカートニーのそれに匹敵するものだろう、とも。
最後に、これはハービーも自伝で同じようなことを書いていたが、ショーター自身は、今(出版当時)が一番創造性を発揮して音楽をやれている、と感じているようだ。一般的には、マイルス・バンドやウェザー・リポートの華やかな頃がショーターの音楽活動のピーク、と思われがちだが(わたしもそう考えてしまう)、本人は全然そんなことは考えてない。あれはあれで素晴らしかったが、もう過ぎ去ったことだよ、という姿勢。
これこそマイルスの教えなのかもしれない。
この2冊の本を読み終わった後、最近のハービーとショーターの音楽については、むしろわたしの方が理解できていなかったのかもしれない。そんな風に思えてきた。
とりあえず、ハービーは『ポシビリティーズ』と『ガーシュウィン・ワールド』から、ショーターは『ハイ・ライフ』から聴きなおしてみることにします。
あ、エリントンについては特に触れられてませんでした。上記のエリントン/ストレイホーンのくだりと、WR時代に「Rockin'in Rhythm」をレパートリーにしてたことくらい。そんなの、常識の範囲内の話です。エリントン研究とは、あまり関係のない1冊でした。
ロッキン・リズムをやってるのはこれ。
ライブ演奏です。