Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

バンド・リーダーとは。(DE-JZ その13)

今回の内容は、バンド・リーダー必見。

特に、運営に悩めるリーダーに読んでほしい内容です。

 

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といっても、ザヴィヌルは典型的な「トップダウン型」。フロイト派が喜んで分析対象とするようなファルス支持者です。

いろいろ批判もあると思いますが、成果という面から考えると、これはこれで、ひとつの完成している類型だと思うんです。実際、ザヴィヌルがリーダーとして発表している音楽はすばらしいものですし。

悩めるリーダーにとって、この記事が考える材料の一つになりますように。

 

ザヴィヌル―ウェザー・リポートを創った男
 

 

 

 アイアート・モレイラは、ウェザー・リポートでジョーのバンド・リーダーとしての行動を最初に目の当たりにしたひとりでもあり、心理学的というよりは社会学的な側面から説得力のある説明をする。「人が集まる場所では、積極的な人たちが物事をまとめようとする。ジョーはオーストリア出身だ。彼は物事をまとめたいタイプなのさ。それに、リーダーには難しい人が多い。たとえばマイルスやミンガスもそうだった。リーダーつてのはそういうものさ。彼らはすべてを完璧にしたいんだ。でも人生は完璧じゃない」
 プロデューサーのジョエル・ドーンも、ジョーの最近の頑固さについて聞かれると、モレイラの現実的な考えに賛同する。「まあ、ジョーは当時も頑固だったよ。だが性格なんてどうでもいいんだ。太古の昔から、才能ある人たちというのは普通の社会のなかにはほとんどいないものなんだ。偉大な才能ってのは、普通じゃない人たちから生まれるものだ。ジョーが気難しかったとしても、私にはまったく関係のないことだ。友人になるために彼と契約したわけじゃないからね。彼からいい音楽を得るために契約したんだ」
 ジェラルド・ヴィーズリーもこの点には同調する。ジョーは自分の求める水準の高い音楽を得るために、他人にも大きな期待を寄せていたのであり、それがいい意味にも悪い意味にも作用していたと言う。「ジョーと一緒にやってきた他のバンドのメンバーたち、ウェザー・リポートやシンジケートなんかのメンバーから聞いたんだが、ジョーは、メンバーが自分に立ち向かってくるのをとても評価していたそうだ。彼にはそういった面があったみたいだね。ジョーはとても強い人間だ。それを男っぽさの誇示だというのは正しくないだろう。それ以上のものだったからね。第二次世界大戦で自分の村が爆撃されたことにより、勇気と本物の強さが備わったんだ。ジョーには、私たちが理解できないような精神的な強さみたいなものがある。そういう人は、強さというものを評価するんだ。だが基礎になるものがなきゃならない。まず第一に性格だ。ジョーは、自分の性格と品位に絶対の目信をもっているし、男としても絶対的な自信のある人間を尊敬しているんだと思う。ジョーには、怒ってもすぐにそれを乗り越えられるという驚くべき才能があるんだ。何人かのメンバーの間で激しい喧嘩があったときのことだ。みんなは後になってもイライラしていて、別々の楽屋を使ったり、クラブ内でも別行動をとっていた。そんなとき、ジョーがこう言ったんだ。『やっとバンドらしくなってきたな(笑)』ってね
 「だがジョーの一生懸命さを私は見てきた。彼は昔からのヨーロッパ的な勤勉主義を忠実に貫き通してきたんだ。最初にバンドに入った頃は驚いたよ。リハーサルが本当に長いんだ。たぶん六、七時問はやっていたんじやないかな。休憩を抜きにしてね。ジョーはすでにリハーサルの一、二時間前からスタジオに来て準伽を始める。リハーサルの後は、私たちがいなくなってからひと泳ぎして、それからまた何時間かスタジオで作業をするというのがジョーの日課だった。常に自分の能力を高めようとしているのさ。世界でも最高の部類に入るミュージシャンが、もっとうまくなろうと努力しているんだ。そういった人たちの周りにいると、思わず自分でも腰が低くなってしまうよ。『わかった。こことあそこはもっとうまくやらなきゃ。ジョーですらうまくなろうとしてるんだ』ってね」
 ジョーは、まちがいなくメンバーたちの一番いいところを引き出しているようだ。1996年に行なわれたインタヴューのなかで、ジョーはメンバーを率いることに関して、こう述べている。「そのとおりさ。メンバーに満足していれば、私は靴を代えるようにミュージシャンを代えたりはしない。私も同じメンバーを使いたいよ。みんなが学べるようにね。だが私たちがやっているのは新しい『言葉』なんだ。ジャズ・ミュージシャンたちのほとんどは、私の言葉を理解していない。私には彼らの言葉が理解できるが、彼らには私の言葉はわからないんだ。すべてはコンセプトさ。だから私はアルト・トゥンクボヤシヤンを使ってるんだ。彼はいろいろな面で天才ミュージシャンだ。だが彼が普段やっていることを好きにやらせてしまうと、ギリシャのレストランにいるようなサウンドになってしまう。そういうことをバンド・リーダーというのはコントロールしなければならないんだ。自分のコンセプトが肝心なんだ。私はメンバーに自分自身を表現してもらいたい。だがそれを私は厳しくコントロールしなければならない。でなきゃ、くだらないものが出来上がってしまう」
 「デューク・エリントンのバンドが35年もつづいたのは(原文ママ)、彼らがやっていたのが最高の音楽で、それなりの金が支払われていたからだ。私の場合もそれと同じだよ。ウェザー・リポートのことを考えればわかるだろ。私たちは理想を追求していた。契約上はたくさんの金を稼いでいたが、金を稼いだときは、それを新しい楽器に注ぎ込んだ。それに、移動にはトラックを二台使っていたし、照明、レーザー装置、サウンド・システムなんかももっていたからね。ツアーでは八人や九人のクルーを雇っていた。バスも二台あった。一台はクルー用で、もう一台がバンド用だ。ミュージシャンにもいい金を払っていた。いまはもっと払っているよ。私は演奏に対して金を払っているんじゃない。ツアーに出ることの苦痛に対して金を払っているんだ。音楽は神からの贈り物だ。そのように扱わなければならない。彼らも、自分たちが出す音で金をもらっているとは思っていないはすだ。音楽は自由でなければならない
 デューク・エリントン・オーケストラとの類似点は、まだ存在する。つまり、メンバーのほとんどが、エリントンのもとを離れてからは、たいした音楽をつくることはできなかった。シンジケートやウェザー・リポートの元メンバーにも同じことが言える。対照的なのはマイルス・デイヴィスだ。彼のバンドを卒業していったメンバーは、驚くほど高い確率で偉大なミュージシャンになっている。
 マーク・アイシャムは、ジョーのサイドマンとの足どりを振り返る。「ウェザー・リポートは、マイルスがやってきた偉業の半分だけをやったんだ。すなわち、雇ったミュージシャンを通して、音楽を生まれ変わらせてきたということだ。だがそのサイドマンたちには、それぞれ独自ですばらしい音楽を作った人はほとんどいない。基本的な理由はふたつ考えられる。ひとつは、ウェザー・リポートでサイドマンを起用していたパートは、ベースとドラムスだということだ。マイルスの場合は、サックスとキーボード、たまにギターもあった。これは大きなちがいだ。統計的にベーシストやドラマーというのは、音楽の歴史を塗り替えるということがほとんどない。これはたんに統計的な分析だ。もちろん、こういったパートで重要なミュージシャンがいなかったとか、価値が評価されないと言っているんじゃない。実際、評価された人たちをウェザー・リポートでも使っていた。ジャコが最高の例だろう。ピーター・アースキンのキャリアもすばらしい。彼はすばらしく尊敬されているドラマーだ。いまでもECMレコード専属のトリオで活動している。彼はその後、本当に定評のあるすばらしいキャリアを築き上げていった。でもまあ、これが理由のひとつだ。つまり、革新的なタイプのファンを惹きつけるクリエイティヴな役は、ウェザー・リポートではすでにショーとウェインが担当していたわけだ」
 「もうひとつは、人々の音楽の好みが変わってしまったことだ。ウェザー・リポートが解散した頃にはすでに、『ビバップ音楽の復活万歳』という時期に突入していた。その流れを変えるには、どうすればいいというんだ? 正直に言うと、ジャズというジャンル全体にはびこる大きな問題だと思うよ。新しい音楽というのは許されないんだ。だからピーター・アースキンアルフォンソ・ジョンソンが新しいものを書こうしても、『新しいことに対する無関心』という壁にぶちあたってしまう。それが不可能だってことじゃない。それを乗り越えることができないって意味でもない。過去にも、人々はそういうことをなんとかやってきたものだ。でもより厳しい状況だってことは確かだよ。こういうふたつの理由があるのさ」
 バンド・リーダーを判断する基準はいくらでもある。だが結局、我々一般人の関心はひとつ、「その人間が作る音楽がどれほどすばらしいか」なのだ。ジョーの場合はもちろん、強調部分を変えさえすればいい。彼が作る音楽の『なんと』すばらしいことか!

 

「音楽は神からの贈り物だ。そのように扱わなければならない。彼らも、自分たちが出す音で金をもらっているとは思っていないはすだ。音楽は自由でなければならない」

このくだり、ちょっと感動しちゃいますね。

このあたり、オーストリア出身であるザヴィヌルの出自、思想がうかがえるところだと思います。アメリカ出身のジャズ・ミュージシャンで同じような想いを抱いているといえば……あまり思い浮かびませんよね。マイルスも、そんなことは考えたなかったんじゃないかなあ。

 

さて、想像通り、ザヴィヌルは気難しい人だったようです。

残されたインタビュー記事や、関係者の証言のすべてがそれを裏付けます。「ザヴィヌル? 厳しかったよ~!」って、みんな言ってます。グラサーのこの本は、この厳しさが性格によるものだけではなく、確信して提示していたことがわかります。確固とした「リーダー」像があったというか。

それによると、ジャコの追放というか、ジャコと距離をとったのは、「愛するがゆえの放蕩息子への接し方」だったのでしょうね。

山下邦彦氏の著作で読みました。

 

ウェザーリポートの真実/山下邦彦 編

ウェザーリポートの真実/山下邦彦 編

  • 作者:山下 邦彦
  • 発売日: 2006/07/24
  • メディア: 単行本
 

 

当時の山下氏のインタビューでは、ザヴィヌル自身、ジャコの死に関する一連の出来事を整理できていない感じなんです。そのやり取りを読むと、ああ、ザヴィヌルもジャコの死は大きな出来事だったんだな、と感動してしまいました。

 

バンド・リーダーは、ザヴィヌルを一つの参考資料としてください。

成果物を第一目標とした場合は、あなたがザヴィヌルのようにプレイヤーとして優秀で、目指す音楽のヴィジョンがはっきりしているなら(マーケティングでも有望なら)、ザヴィヌルのようにふるまえばいいのでしょう。でも、これらの諸条件が異なるのなら、べつにザヴィヌルやマイルスを真似しなくていいと思いますよ。

 

えー、肝心なエリントンとの関係です。

赤字の部分は短いけれどもなかなかクリティカル。

ショーターは共同経営者であり、ジャコは本当の天才なのでこの2人は除くとして、WRがヒトを育てなかった、というのはよく言われることで、それはエリントンにもあてはまることです。ジャズ史から考えるとこれは生産的なことではなく、もしかしたら、日本で一般的にエリントンとザヴィヌルの評価が低いのもこれが原因なのかも、なんて思います。

でも、バンド・リーダーとして考えた場合、ジャズ史云々なんて意味ないですよね、あくまで、バンドにとってはいい音が出てるかどうかが問題なのであって。

その意味で、ザヴィヌルはマイルスほど商売上手ではなかった。

ただ、運がいいことにザヴィヌルは何も考えずに自分がいいと思う音楽を創れば評価されてきました、WRまでは。何も考えなくても、ザヴィヌルがいいと思う音楽と時代が連動していたんですね。

ところが、シンジケート以後は「ザヴィヌルがいいと思う音楽」とマーケットが連動しなくなりました。マーケットと連動しなくなると営業面での成績はふるわなくなり、さそうなるとバンドの運営がそもそも立ちいかなくなるわけで……。

ザヴィヌルにしてみれば、音楽のクオリティはどんどん上がってるのに、それに評価がついてこない事態について苛立たしく感じていたことでしょう。 

次回、シリーズ「エリントンとザヴィヌル」最終回です。