長かったグラサーのこの本の概観、
ようやく終わりを迎えることができました。
引用ばかりでしたが、続くことなんと14回。長かったなあ。
この本は、本当に面白い本でした。
読了してザヴィヌルという音楽家の全貌が明らかになりまして、改めて、音楽家の伝記の意義を実感することができました。ザヴィヌルに関して言うなら、それはさしずめWRの一発屋ではなく、ヨーロッパ出身の才能あふれる叩き上げジャズ・ピアニストの姿であり、ゴリゴリの職人気質であるがゆえに、残念ながら不遇な晩年を送ったオヤジです。
好きな音楽、ミュージシャンができたなら、その人の伝記を読んでみるのをオススメします。それまで聴いていたそのミュージシャンの音楽が、驚くほど重層的に、立体的に聴けるようになりますから。これはジャズに限りませんし、音楽家にも限りません。
繰り返しになりますが、この本、復刊しないのかなあ。
本当にいい本なんです。
文化的には、良書にアクセスしにくいというのは、あまりいいことではありませんしね。
上で引いてる amazon では、値上がりして2~3倍の値段になってます。
ああそうか、翻訳が稀少本扱いになって高騰してるのか。そういうの、よくあります。アマゾンの本家サイト、amazon.comでみてみると、比較的原本は安い値段がついている、なんてことはよくあることなんです。同じことはCDにも言えて、ジャズを含む洋楽アーティスト、amazon.com なら激安、とかありますよね(でも、マーケットプレイスの販売車によってはエアメールや輸入/輸出販売不可だったりしますが)。
そう思って洋書を検索してみると、なんと原本の洋書は、もっと高くなってました。
閑話休題。
さて、DEとJZの話もとりあえず今回で一区切り。
エリントンとザヴィヌルの話の(とりあえずの)最終回を、このシリーズを書くきっかけとなったこの1枚で締めくくれるのは象徴的です。
ザヴィヌルは、グラサーのインタヴューで、ジャズの人名辞典に載るようになったが、イギリスでは自分の新作をリリースさえしてくれない現状について悲観的になっていました。
「あなたの作品を尊敬していないんですね」とそれとなく言うと、ジョーは反論する。「尊敬なんかとは関係ないんだ。バカバカしいビジネス・ポリシーさ。録音も済ませ、それなりに人気のあるアーティストがいる。多くの人がそのアルバムを買いたいと思っている。なのに手に入れることができないんだ。尊敬じゃない。愚かなだけだ。だからマイルスも愛想を尽かしたんだ(マイルスは80年代半ばにコロンビアを去り、ワーナー・ブラザーズに移籍)。尊敬のことなんてクソとも思ってないよ。君が私を尊敬しようとしまいと、それがどうしたっていうんだ。彼らは企業だ。彼らが私を尊敬するかなんて、誰も気にしていない。だがアルバムを作ったんだから、少なくともそれが出来たってことだけは世間に知らしめてくれよ。その後は、ちゃんと店でみんながそのアルバムを見つけることができるようにしてほしいね。私はシンジケートですばらしいアルバムを何枚か作ったんだ。それが発売されるときには、私の親友たちも聴くのを楽しみにしていた。本当のファンたちだ。そういった人たちが、大きなレコード・ショップに行っても、レコードはどこにもない。コロンビアはなにもしなかったってことだよ。興味もなかったんだ。アメリカでの音楽の扱われ方といったら……。アメリカは落ち目だよ。私はアメリカが好きだし、これからもずっとアメリカに住むつもりだが、凡庸な国になってしまった。教育システムもさんざんだしね。人気のあるものは、彼らが人気を集めたいと思っているものだけだ」
しかし、コロンビア・レコードがジョーに対して関心をもたなかったというわけではないようだ。つまり、ウェザー・リポート解散後、まだジョーの株が比較的高かった時期、数枚のアルバムの制作費として、ジョーは高額のアドヴァンスを受け取っている。そしてその後数年の間に、ジョーのコマーシャル面での重要性が低下するにつれ、レコード会社はこれ以上彼に金をかけること(たとえばアルバム・プロモーションなどという形で)を嫌ったのだ。
『マイ・ピープル』では、現在のシンジケートのメンバーがさまざまなパートで起用されている。それぞれの曲の必要条件に合わせて、ジョーが大々的なメンバー・チェンジを行なった唯一のアルバムだ。タイトルは、60年代のデューク・エリントンのミュージカルにちなんでいて、デュークがこのミュージカルに関してラジオでインタヴューを受けた際、「マイ・ピープル。マイ・ピープルとは誰のことだ。マイ・ピープルとは私たち人類のことだ!」と自問自答した言葉から閃いたものだ。オープニング曲には、このインタヴューの声が入っている。
ジョーは地域性や人類の連帯意識というものに常に関心をもっており、このアルバムはその思いを成就したものだ。
「Lost Tribes」「Imigrants」「Peasant」といったタイトルからも、そうした関心がみてとれるだろう。このアルバムのリリースのために、ジョーはさまざまな地域のミュージシャンを起用している。タイトル曲でスペイン語の歌を披露しているのは、見事な低音の持ち主、ヴェネズエラ人シンガーのタニア・サンチェスだ。この曲は大成功と言えるだろう。サリフ・ケイタが登場する曲もある。
彼が作曲した「ワラヤ」の新ヴァージョンでは、サリフから最初に受けた衝撃に敬意を表し、ジョーが歌を披露している。サリフの才能に感動したおかげで、「アーメン」を手がけることになったからだ。
「だからこの曲をやろうと思ったんだ。私が歌うにしても、ほとんど同じアレンジを使ったよ。なぜ私が歌ったかを教えてやろう。まず第一に、私は自分が歌えることを知っている。だが第二に、口だけの人は多い。「サリフ、君はすばらしい。君と仕事ができて楽しかったよ」と言葉にするだけなら簡単だ。これも本当のことだがね。でもそうする代わりに、私はあの曲を正しい言語で歌うように努力したんだ。正しい発音でね。私はかなり才能のあるほうだと思うが、あれは難しかった。でも、私の彼に対する尊敬の気持ちなんだ。あの曲を私なりに表現することで、彼に尊敬を示したかった。彼のアルバムに入れてもおかしくないよ。少しテンポをアップさせてるしね。いろいろなものを盛り込んである」
このアルバムのなかに、「ポテト・ブルース」という、独特だがすばらしい曲がある。ブルースの心にウィーン郊外のアルプスの山々の雰囲気を融合させることに成功している曲だ。ここでは、田舎医者が指揮するオーストリアのブロードラーンというヨーデル・セクステットが共演している。彼らはジョーの愛するジャガイモに敬意を表し、ジョーのボコーダを使った声のバックでヨーデルを入れているのだ。
アルバムのリリース直前、それほどポピュラーとは言えない、このオーストリアの民族音楽を取り入れたことに驚いたインタヴュアーがそのことをしつこく問うと、ジョーは彼を安心させるように、こう答えた。「まあ、ビックリするだろうよ。みんなが知っているヨーデルとはちがうんだ。
彼らは自然の山で生活している人たちだ。私はウィーン地方の方言でブルースを歌っている。私の地方は最も荒々しい方言を使うんだ。このグループは、私の後ろで聖歌隊のように歌っている。ピグミーのようにヨーデルしているパートも数ヵ所あるよ」
その言葉通り、ヨーデルですらファンキーになりえることが、この曲で証明されている。ヘッドフォンを通してトリロク・グルトウの巧妙なパーカッションを聴くと、そのすばらしさが一層わかるというものだ。
このアルバムは、「Introduction to A Mighty Theme」と「Many Churches」という二曲でしめくくられる。ふだんは騒がしいジョーを見ているせいでつい忘れがちだが、彼の優しくセンチメンタルな一面を垣間見ることができる。
ライヴ・パフォーマンスでは、オープニング曲にソロ・ヴァージョンの「Introduction」が使われることとなった。これから聴くことになる音楽への感謝の祈りとして、ステージで魔法のような効果を発揮したのだ。キーボードが静まると、エリントンのあの自問自答の声が流れ、聴衆がそれに耳を傾けていると、ジョーが思慮深げに「そのとおりだ……」とつぶやく。心に重く響く瞬間だ。
組み立てに四年を要したたわけだが、「マイ・ピープル」は傑作とするにはあまりにもムラがありすぎる。しかし、『Stories of The Danube』と同年にリリースされ、売り上げという点において、ジョーはセールス面での復活を遂げた。もちろん、翌年の「ワールド・ツアー」のお膳立てとしての役割も果たしている。
当時のシンジケートのベーシスト、マシュー・ギャリソンは、このアルバムの恩恵について語る。「『My People』はもともとコロンビアのために作ったものだと思う。エスカペード(ジョーの現在のレーベル)のヨアヒム・ベッカーから、過去にジョーが作ったレコードの売れ行きのことを聞かされた。こんなこと誰も信じないよ。ショーック!だね。ジョーがコロンビアを離れたのは当然だよ。ベッカーはこの四、五年のドイツでの売れ行きを話してくれたんだ。ドイツ・マーケットのことしか聞いてないが、ジョーはオーストリア人だからドイツでは多少影響力があるはずだ。それなのに、シンジケートの『Black Water』は、1136枚しか売れなかったそうだ。ソニー・コロンビアとジョー・ザヴイヌルで。だよ。彼らはそれだけしか売らなかったんだ。『My People』と『Stories of The Danube』では、レコード・セールスは三万以上に急上昇している。コロンビアは、自分たちがしたことを反省すべきだね。彼らにはわからないんだろう。自分たちが手にしているものがどんなものか、知らないんだ。エスカペードの成功をみると、ソニーはまずい決断をしたと思うよ」
『My People』 については、特に言うことありません。
この一連の記事を書くきっかけになった、tas1014さんのコメントがすべてです。エリントンの「自問自答」は、その政治的なスタンスと密接に関係する事柄であり、いずれ別の切り口で書く機会もあるでしょう。
さて、ザヴィヌルです。
イギリスでの受容、そしてセールスの問題。
それから、確か地震による機材の破損(特にデータ関係)。
そういう諸々のことを考えると、ザヴィヌルの晩年は必ずしも輝かしいものではなかったのかなあ、と邪推します。
ザヴィヌルとエリントンの類似性を主張する方々、特に林建紀さんは、エリントンのブラントン・ウェブスター・バンドと、ザヴィヌルのウェザー・リポートの類似性を挙げられるようです。
つまり、エリントンにとってのジミー・ブラントンとベン・ウェブスターが、ザヴィヌルにとってのジャコとショーターであり、アドリブよりも書き譜面、そして何よりハーモニーを重視したところ、そして晩年はワールドミュージックに接近したことから、両者には何か本質的な何か(またはジャズ史における革新性)を読み取ることができるのではないか、ということでしょう。
なるほど、と膝を打ち、「さっそく聴き比べてみよう!」という気持ちに駆られるものの、冷静に考え直してみると、これはもう少し客観的な考証・考察が必要なテーマであるように思われるような…。
エリントンの場合、ブラントン・ウェブスター・バンドの後、56年の at Newport の華々しい復活劇があり、60年代の異種格闘技戦からの第4次ブレイクがあったわけですが、ザヴィヌルにはそれがなかった。
これは、時代とリンクできなかったというよりも、ザヴィヌルが頑固オヤジであるがゆえに、自らこのブレイクをはねのけた感があります。
ザヴィヌルの晩年、特に ウェザーリポート後の時代は、「ワールドミュージック」が先進国の音楽マーケットで注目され、浅く広く、各地の音楽のその特徴が搾取された時代でした。なので、当時うまく立ち回れば、大げさでなく巨万の富を築けたはずです。
しかしザヴィヌルはそんなイージーな方向に流れなかった。そして、ワールドミュージックと不可分な第三世界との「連帯」、政治的な方向にも向かわなかった。
ザヴィヌルが帰依するのは、音楽の神のみだったのでしょう。
音楽のグレードが上がる一方で、マーケット、一般的な成功からは縁が遠くなることとなりました。 その姿は、頑固オヤジのあるべき姿として納得できるものではありますが、反面、ファンからすると歯がゆく感じてしまうところでもあります。
いやあ、こうしてみると、改めてザヴィヌルの生硬さと、エリントンの狡猾さが際立ちますね。あくまでやりたいことを信じて、その道を貫き通したザヴィヌルと、逆境(大戦後のビッグバンド不景気、モダンジャズの興隆、熟練メンバーの離脱)にあっても時代に迎合しつつ、コソッとやりたいことをこなして本意を遂げるエリントン。
バンドリ―ダーとしての資質の違いなど、学ぶところ大でした。
当初の予定では、グラサーのこの本に加えて、山下邦彦氏の本もまとめたいのですが、ごめんなさい、いまは飽和状態で無理です。山下邦彦氏の本は刺激的なエピソード、コメントもたくさんあるのですが、ちょっと「異端」の匂いもするので、少し整理が必要なんです。消化する時間をください。
とりあえず、以上でグラサーの本のまとめは終わりです。
ふう。
次回からはエリントンメインに戻る予定です。