Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

ザヴィヌル、シンセサイザー讃賞。(DE-JZ その12)

ザヴィヌルとエリントン、佳境に入ってまいりました。

今回は「シンセサイザー讃歌」とでもいうべき内容です。

そういえば、管理人が敬愛するエリントン研究者、加藤総夫氏が、「エリントンが現在生きていたなら、「コンピュータ・ミュージックの打ち込み魔」になっていただろう」と書いていたことを思い出しました。

 

f:id:Auggie:20200302015300j:plain

 

 

ザヴィヌル―ウェザー・リポートを創った男
 

 

「私はこれまで多くの楽器を演奏してきた。シンセサイザーが発明されるまで待てなかったんだ。わかるかい? 私はシンセサイザーを研究した。エレクトロニクスってのはあまり好きじゃない。人間がマシンに囚われてしまっている。みんな電子的な音になってしまっているんだ。私は、マシンのなかにある音ではなく、本当に自分が求める音をマシンから引き出すことができるんだ。だが時間と労力がかかるものなんだ。それが私のやり方だけれどね。私にとってはゲームさ。スポーツみたいなものだ。私はスポーツも好きだし、音楽も好きだ。私にしてみれば、楽器はそれほど重要じゃない。それを使って、自分がどういうことをするかだ。楽器は道具でしかない。自分が使いやすいように、その道具を調整していくんだ。取っ手が大きくて使いにくく、釘を打ち損じてしまいそうなハンマーがあるとする。自分が使いやすいようにその取っ手を直せばいい。そうすれば釘を打ち損じることもないし、それでテーブルをつくれば、美しい仕上がりになるはずさ。それと同じだよ。どんな楽器にも言えることだ。トランペッターをひとり連れてきたとしても、そいつが最悪の音楽を演奏することもある。シンセサイザー・プレイヤーの多くは、まだこの楽器を弾けない連中ばかりだ。すぱらしいピアニストたちでも、シンセサイザーを演奏することができない人間は多い。なぜなら、彼らはこの楽器をピアノとして弾こうとしているからだ。だが、これはピアノじゃない。そう見えるかもしれないが、外見が似ているだけだ。彼らはこのサウンドをどう扱ったらいいのかを理解していない。どんなサウンドも、それぞれの演奏法を用いなければならないんだ。それが自然なサウンドになるようにね」

 「だからシンセサイザーの歴史は私なしでは語れないのさ。私が人よりいい演奏をするからじゃなく、最初からシンセサイザーで自然な音楽を作ってきたのは私だけだからだ。電子楽器を使っているから人気があるんだと言って激しく非難する連中もいた。愚かなことさ。すばらしいという定義のなかで、楽器を重要視するなんてまったくバカげている。楽器はそれだけではなにも演奏できないんだ」
 「シンセサイザーは、いろいろな楽器を兼ね備えたアコースティック楽器だ。私は独自のアコースティックをつくり出したんだ。「エレアコースティック・ミュージック」とでも呼んでくれ。シンセは楽器としての評価はあまり高くない。だがそれはまったくまちがっている。真似をする連中は意味のないことをしているにすぎない。どんな音楽でもそれは同じだ。バッハは天才だった。だが、ちがう音楽家がバッハと同じスタイルでメロディーを書こうとしても、それはまったく無意味なことだ。チャーリー・パーカーの真似をしている連中は何千といる。ジョン・コルトレーンの真似をしている連中もだ。まあ、それなりにいいだろうが、基本的に無意味なことだ」
 この楽器により、ジョーの可能性は大きく広がった。まず、編成の大きさがあきらかに変わった。「シンセサイザーの本当の意義は、たとえばシンフォニー・オーケストラで使われているような、多くの楽器に取って代わることができるってことだ。ウェザー・リポートのような小規模なグループでは、そんなことは以前なら絶対に不可能だった。ピアノもすばらしい楽器になり得るが、一晩中ピアニストの演奏を聴いていることはできない。あのオスカー・ピーターソンでもね。私の場合、一定の時間を過ぎると、あの純粋なサウンドも本当につまらないものに思えてしまう」


 シンセサイザーの可能性により、ジョーが自分の才能を過大に評価することもあったようだ。「Night Passage」には、初期のデューク・エリントンを代表する、あの「Rockin'in Rhythm」が収録されている。ジョーが、すばらしいエリントンのサックス・セクションのサウンドを自分のシンセサイザーで再現できると主張した結果だ。だが、せっかくすばらしい曲を選択してカヴァーしたにも関わらず、けっして成功とはいえない仕上がりだった。思い上がりすぎていたのだろう。

Night Passage by Weather Report

Night Passage by Weather Report

 

 

グラサーのこの本の素晴らしいところは、単なるザヴィヌル信者の信仰告白になっていないところです。歴史的な事実を積み上げ、なるべく客観的に評価する。そして、言うべきことは、たとえそれが言いにくいことであってもはっきり言わなければいけない。それが優れた伝記の条件です。

うん、この「ロッキン・イン・リズム」は、決して成功とは言えませんよね。誰もが思っていたことですが、はっきり言えなかったことです。 

思えば、このいまひとつなカバーについての記事にtas1014さんからコメントをいただき、このザヴィヌル関係のシリーズが始まったのでした。うん、このカバーはちょっと軽率だったかもしれませんね。個人的には、日本におけるエリントン不人気の理由の一つかも、と思ってるくらいです。「…なになに、『エリントンのヒット曲のカバーは原曲に匹敵!』だって? なーんだ、エリントンってあんまり聴いたことないけど、大したことないんだ」みたいな認識が広まっちゃったんじゃないでしょうか?

あ、でもやっぱりシンセサイザーを使いこなした、という意味では、スティーヴィー・ワンダーと並ぶ功績を残したと思います。

 

 だがプラスの面で言えば、「グループ編成の幅が広がった」ことにより、彼らはオーケストレーションも探ることができるようになった。パット・メセニーはこう語る。「当時のほかのグループと比較すると、ウェザー・リポートオーケストレーションという点では、ギル・エヴァンスのコンセプトに共通するものがあったと思う。ジョーはおそらく、ギル・エヴァンスと比較されることにはうんざりだろうけど。他の点では、まったくちがうが、彼のシンセサイザーでのオーケストレーションは、まさに最先端だ。さまざまなトーンを使って、効果的にサウンドを入れる能力だけでもすごいよ。ライル・メイズと僕がやりだしたのと同じものだ。ジョーのほうが僕たちよりも数年早かった。基準点というものは存在しない。一から作り上げていくんだ。僕の一番好きなシンセサイザーは、「Unknown Soldier」のジョーの短いシンセ・ブレイクだ。あのシンセの使い方は本当に奥が深い。最高さ! たった四秒しかないのに、おそらくあの曲は全体としてみても、かなり進歩した曲だ。20世紀に書かれたどんな曲と比べても遜色がないよ。ジョーはどんなことにも、ああいう進歩した考えをしているし、さまざまなキーボードを使って、それをリアルタイムで表現することもできるんだ。それだけでも、歴史的にみればかなり大きな進歩さ」
 さらに、シンセサイザーのおかげで、ジョーの想像力は自由に飛び回ることができるようになった。ジョーは言う。「頭のなかで聞こえるどんなサウンドも、シンセサイザーで再現することができる。これが最高にありがたいよ。サウンドが聴こえてくると、そのサウンドから作業を始める。技巧面からではなく、どれほど早くとか遅くということでもなく、そのサウンドからどんな音楽を作り出せるかということだ。まるで夢の世界だよ」
 ジョーは、シンセサイザーのテクスチャーに創造力を盛り込んだ。そのおかげで可能になったアーティストとしての自己表現には相当に満足しているはすだ。ジョーが昔ながらの派手なインプロヴィゼーションを使ったジャズにまったく興味を示さないのも、彼の曲における即興の原理を考えれば、よく理解できる。

さて、次回はバンド・リーダーの資質、バンドの運営についてのザヴィヌルがエリントンに即して語ったところをみてみましょう。

バンド・リーダーは必見の内容ですよ。