Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

ウェザー・リポート始動。(DE-JZ その11)

エリントンとザヴィヌルの関係、続きです。

アコースティック時代からエレクトリック、ウェザー・リポート時代へ。

おもしろいことに、WR時代の方がエリントンとの「近さ」を感じることができるんです。 

 

 

 出典はこの本。

ザヴィヌル―ウェザー・リポートを創った男

ザヴィヌル―ウェザー・リポートを創った男

 

 

 さまざまなものを追求したことで多くの問題が生じていたが、彼らの人気が衰える気配はなかった。人気投票ではつねに上位を占め、大きな会場をファンが埋め尽くし、そういったファンたちも満たされた気分で家路についた。ライヴは今や華々しいものとなり、照明の指示はあらかじめすべて書き出され、演奏する曲も最初から決められていた(客を盛り上げるため、演奏が始まるまではラヴェルの「ボレロ」が会場内に流された)。
 1979年後半になると、おもしろい演出がライヴで使われるようになった。ライトが点灯すると同時にジャコがドラムスを叩き始めるというものだ(ジョーとともに「8:30」という短い前奏曲を演奏しながら)。その後すばやくアースキンと交代し、トリオ・ヴァージョンの「Black Market」に突入する。そしてサックスがスタートするパートになると、ショーターがステージに登場した。ライヴの見所は、ジャコの好き放題のソロで有名な「Slang」だろう。
 コンサートはたんに華やかなだけではなかった。音楽的にもいくつか触れておく必要がある。ジョーのソロ・スポットでは、デューク・エリントンの「I Got It Bad (And That Ain't Good)」のすばらしいアコースティック・ピアノ・ヴァージョンや、「ポーギーとベス」のメドレーが聞かれた。ショーターは、自分のソロで俳優ボブ・ホープの主題歌として最も有名な「Thanks For The Memory」を見事によみがえらせている。彼のソロとしては多少超現実的な選択ではあるが、まるで立体派の画家が粗末な家庭廃棄物を再構成するような巧みさだ。さらに、フアースト・アルバムから「Waterfall」といった初期のヒット曲や「Pursuit of The Woman With The Feathered Hat」も披露している。「Black Market」では、ショーターとアースキンの息も詰まるようなデュオが、最後まで全速力で演奏される。この演奏を聞けば、ショーターが「Mr. Gone」では自分の得意技を披露せず、グループとしての表現を優先したなどという考えは吹き飛んでしまう。

 

うんうん、この辺りは予想通り。 

興味深いのは次のところ。

ピーター・アースキン、創造力を発揮した演奏をザヴィヌルとショーターに叱られます。

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 だがアースキンにとっては、「Black Market」は試練の曲だった。「「Black Market」のテナーとドラムスのデュオ・パートをミックスしていたときだ。ジョーと私でプレイバックを聴いていたんだが、彼が「ウーン、いい音だ」と唸った。嬉しかったよ。だがウェインがある音を演奏したところで私がいち早くそれを捉え、真似た箇所があった。ジョーは「これはやるべきじゃなかった」と言った。私がドラマーとはこうするべきだと考えてきたこと、つまり、「聴いて反応する」こととはまったく正反対の発言だ。その後のリハーサルで同じことをすると、今度はウェインが振り向いて「それはやるな」と言うんだ。私はマイルスのリズム・セクションがやると聞いていたことをやろうとしていたんだ。リズムを捉え、うまく転調するということだ。だが彼らの考え方では、ソロイストのカウンター・リズムというのは、それまでの演奏に逆らうものだからこそ、うまくいくということらしい。だからそのカウンター・リズムに飛び乗ったりすると、リズムに逆らう力を殺してしまうことになる。緊張感を解放する効果が台なしになってしまうんだ
 彼らが演奏していた音楽のことを考えると、パーカッショニストの不在はまったく問題ではなかったようだ。ジョーもショーターもジャコも、そのおかげで自分の技を披露するパートが増えたと言っている(たとえばショーターは、鋭敏なソプラノではなく、テナー・サックスを演奏するスベースが増えた)。彼らは、自分たちの力を最大限に発揮しようと思い、次のアルバムはライヴにするべきだと考えたのだろう。そしてそれが現実となった。

 

これは興味深いエピソードです。

注目すべき点は2点。

ひとつ目は、アドリブ演奏、インタープレイに絶対的な優位性を認めていないこと、自発的に発生した演奏よりも予め用意した譜面を重視していたこと。

ふたつ目は、当たり前のことですが、ドラムや打楽器パートを、メロディのカウンターと同等のものと考えていた、ということです。

前者はエリントンと通ずるところがありそうです。

しかし、後者はエリントンには無い視点かもしれません。無い、というのは言い過ぎだとしても、リズムに関しては、ザヴィヌルの方がより深い考察を展開していたと思います。 

 

引いた部分の最後、「この次のライヴ・アルバム」は、言わずと知れたこれですね。

8:30(期間生産限定盤)

8:30(期間生産限定盤)

 

 

さて、ザヴィヌル/WRの快進撃はまだまだ続きます。

次回はザヴィヌルの強力な武器、シンセサイザーについてです。

これからも興味深いエピソード満載ですよ。