中山康樹は、わたしが初めて興奮したジャズ評論だ。
タイトルからすると、「カインド・オブ・ブルー」周辺の話だろうか。
そんな軽い気持ちで手に取りました。
今から25年ほど前、『マイルスを聴け!』を読んだときの衝撃は忘れられない。著者の名前を確認すると、マイルスの自伝の訳者でもある。その頃、初心者オススメ盤や、名盤の紹介ばかりのジャズの著作に飽き飽きしていたわたしは、録音の記録をたどり、いわば文献学的に丁寧に音楽を聴く、という手法はとても興味深かった。
そして、それに基づく中山氏の言葉は、とても説得力があったのである。音楽について、楽器を弾けない人や理論に明るくない人間の書くものについて、わたしは半ば小馬鹿にしていたのだが、そんな狭小な価値観を吹き飛ばす勢いがこの本にはあった。
中山康樹については、まだまだ書きたいことがたくさんあるのだが、それはまたの機会に譲っておく。とりあえず本書について進めよう。
まずは序文から。
「青の時代」と本書について
本書では、試みとして、マイルス・デイヴィスの全活動歴ではなく、いわゆる「モダン・ジャズ」と称される時代のみを対象とし、加えてマイルス以外の登場人物もまた必要最小限に絞り込み、その魅力と神髄に最短距離で近づくことを第一義に考えた。
本書のコンセプトである「青の時代」とは、その旺盛な創作活動と常に変化し続けたピカソと並び称されることに起因する呼称ではあるが、マイルスはすでに50年代に『ブルー・ピリオド』と名づけられたアルバム(10インチ盤)が存在し、かねてから「マイルスと言えばブルー」というイメージは広く定着してはいた。したがって筆者は、かつてのアルバム・タイトルをリサイクルしたに過ぎない。
詳細は第4章にゆずるが、さらに加えてマイルス・デイヴィスの音楽、特にトランペットの音色が与える印象を色彩に喩えた場合、一般的に「ブルー」があげられることが多い。もちろん『カインド・オブ・ブルー』の”ブルー”と密接に結びついていることは否定できない。
題名がピカソの「青の時代」への目くばせ(便乗?)なのはいいとしよう。ただ、わたしが思うに、ピカソの「青の時代」には、作品の色彩だけでなく、その時代の友人の死などの私的な出来事、そして作品から漂う隠しきれない悲哀の意味も込められている(あとは若者特有の青臭さも)。マイルスのこの時代にこの名前を使うのは、少しイージーでは、とも感じてしまう。
だが、「青の時代」という言葉を使いたくなるのはよくわかる。わたしも、30年代のエリントンは「青の時代」と定義しています。
まあ、中山康樹氏は『カインド・オブ・ブルー』までのマイルスについてまとめておきたかったのでしょう。『カインド・オブ・ブルーの真実』のような本を書きたかったというか。その試みは十分成功していて、これが親書で数百円で読める、のだからありがたいことです。
以下は、備忘録として、エリントンとロイ・ハーグローヴに関して気になったところを引いておく。
パーカーはマイルスのトランペットの音を嫌っており、それがミュートをつけるきっかけになった(ただし、それはセントルイスの伝統でもあった)という、クラークテリーによる証言
ストレイホーンとメアリー・ルー・ウィリアムスは、同じピッツバーグの出身
ロイ・ハーグローヴの名言として紹介される "Let the music speak for itself" は、もともとはマイルスの "Music speaks for itself" であること
『マイルス・アヘッド』を発表したあと、ギル・エヴァンスはエリントンから電話で称賛されたこと
ビル・エヴァンス脱退の真の理由(経緯)
「So What」のベースのリフの元ネタはオスカー・ペティフォードとされていることについて
などなど。
実に中山康樹らしい一冊です。
モダン・ジャズ期のマイルス、といっても、セカンド・クインテットの話は一切出てこない。
