Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

誰もが模倣できない個の世界 ー武満徹 talks about エリントン。

エリントンの偉大さを讃える際に、その証人として必ずと言っていいいほど引き合いにされる人物が3人いる。

 

1人めはマイルス・デイヴィス

マイルスは、そのあまりにも有名な言葉、「すべての音楽家は、すくなくとも1年のうち1日は楽器を横にエリントンにひざまずき、感謝の念を示すべきだ」を残し、エリントンが死んだときには「He Loved Him Madly」を録音して追悼した。「長く、遠くまで届く」芸術作品の多くは死後時間が経てば経つほど評価が高まるものだが、エレクトリック時代のマイルスもその例にもれない。そして、この曲が収録されている『Get Up With It』はその典型である1枚。

 

2人めはボリス・ヴィアン

自身もジャズ・トランペッターであり、ダンス音楽としてのジャズを愛するヴィアンは、フランスの初期のエリントンを紹介し、ひいてはヨーロッパでのエリントン受容に大きな貢献を果たした。その著作、『日々の泡』の序文、「ただ、2つのものだけがあればいい。1つは恋愛。とにかくかわいい娘との恋愛。もう1つは音楽。それもニュー・オリンズデューク・エリントンの音楽だ。他のものはなくなってしまえばいい、醜いんだから。」という言葉は、上述のマイルスの言葉と並んで引用されまくっている。

 

もはやこの言葉はひとり歩きをはじめており、とうとうミシェル・ゴンドリが『日々の泡』を映画化してしまったのは記憶に新しいところ。ゴンドリも Ellington Lover なのだ。

 

そして3人め。

この3人めが今回紹介したい人物で、日本の作曲家、武満徹

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アメリカ留学の話を打診されたとき、師事する相手としてエリントンを指名した、というエピソードは、クラシック界からのエリントン評価、という文脈で語られることが多い。もっとも、これは日本ならではの紹介のしかたで、ヨーロッパなら武満徹アンドレ・プレヴィンに、イギリスならサイモン・ラトルに関する話になるところだろう。

 

武満徹はもちろん世界的に評価されている現代音楽の作曲家だが、独学で音楽を学んだり、クラシック以外のジャズ/ポピュラー音楽を取り入れたりと、クラシック音楽にこだわらない柔軟さがあった。また、「少年時代最初に感動した音楽がシャンソンのジョセフィン・ベイカーだった」*1という音楽体験は、エリントン作曲の「Chocolate Kiddies」とベイカーのヨーロッパ公演が同じ1925年に行われていることを考えると、「クラシック~アーリー・ジャズ」とのつながりにおいて不思議な縁があるようにも思えるし、作曲のメソッドとしてジョージ・ラッセルのリディアン・クロマティック・コンセプトを研究したことからはハーモニーへの独特なこだわりが感じられる。このように並べてみると、武満のエリントンへの理解/信仰もうなずけるところがあるのだ。

 

以下に、短い文章だが武満自身がエリントンについて言及しているものを引いておく。 

 

 

武満徹エッセイ選―言葉の海へ (ちくま学芸文庫)

武満徹エッセイ選―言葉の海へ (ちくま学芸文庫)

 

 

誰もが模倣できない個の世界 ーデューク・エリントン

 

 個人的なことだが、私が生まれた一九三〇年に、デューク・エリントンの《Mood Indigo》が生まれている。

 エリントンは、今世紀の最も偉大な音楽家のひとりに数えられていい存在だが、ジャズという音楽への偏見が現在もかなりそれを妨げている。だが、彼の音楽家としての天才を証すのは容易であり、注意深い耳の所有者であれば、その音楽が他の誰からも際立ってオリジナルなものであることが理解できる。その旋律線(メロディーライン)とそれを彫琢して行く和声進行(コード・サクセッション)。そして、その全体が彼の独自(ユニーク)な楽器法(オーケストレーション)によって彩色される。そこには他の誰もが模倣(まね)できないような輝かしい個の世界が創造されている。ともすると近代管弦楽法が、単に物理的な量によって規定され、自由さを喪いがちであるとき、エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間であり、私たちがそこから学ばなければならないものは大きい。

 

(セレクト・ライブ・アンダー・ザ・スカイ・ジャズ・フェスティバル '89年7月29、30日 読売ランド オープン・シアター EAST)

 

※ 引用者注。( )内は、原文ではルビが振られている。

 

 これは「選集」であり、底本は『遠い呼び声の彼方へ』。

 

武満徹著作集〈3〉遠い呼び声の彼方へ・時間の園丁・夢の引用

武満徹著作集〈3〉遠い呼び声の彼方へ・時間の園丁・夢の引用

 

 

いちいち熟語に振られているルビがうるさいが、全体的なサウンドが「彩色」と表現されているのが興味深い。また、エリントンサウンドが、単なる和声の問題でなく、個々の楽器・プレイヤーの音の積み重ねによる「和音」であることにも軽く言及している。

ただ、字数の制限はあったのだろうが、「近代管弦楽法を規定する物理的な量」という表現や、「エリントンのオーケストラの響きは、多数の異なる質が共存し織りなして行く有機的(オルガニック)な時間空間」である表現についてもっと説明がほしかった。

これ、レトリックの問題で「量」と「質」を対比させているのだろうけど、これだけだと抽象的でよくわからんなあ。

武満徹のエッセイをパラパラ読んでたら、久しぶりに聴きたくなってきたので、小澤征爾のアレを聴いて、コレもパラパラ斜め読みしよう。

 

武満徹:ノヴェンバー・ステップス ほか

武満徹:ノヴェンバー・ステップス ほか

 

 

音楽  新潮文庫

音楽 新潮文庫

 

 

 

*1:ただし、これは武満徹の記憶間違いで、正しくはリュシエンヌ・ボワイエ。これは以下で引くエッセイ集で武満徹自身が訂正している。「…これからお話することは、ひとりの作曲家としてのきわめて個人的な体験に即したものであることを、予めお断りいたします。
 御承知のように、戦時中の日本では同盟国の限られたものを除いて、外国の音楽は御法度でした。アメリカ軍の上陸に備えて、日本軍は山奥に基地を建設していました。私は十四歳で、同じ年齢の子供だちと一緒に、その工事現場で働いていました。私たちは東京から離れたその兵営で暮していました。とてもつらい日々でした。兵隊たちは私たちにつらく当りましたが、全ての兵が乱暴だったわけではありません。

 ある日のこと、一人の見習士官が私たちを宿舎のすこし奥まった場所に連れて行きました。そこには蓄音器が一台と数枚のレコードがありました。針がないので、かれは竹を削りました。そして一枚のレコードをかけました。それはフランスのシャンソンで、リュシエンヌ・ボワイエが歌う(今までジョセフィン・ベーカーと書いてきたのは私の記憶違いでした)「パルレ・モア・ダムール」でした。何というショツクだったでしょう!
 私は初めて美しい西洋音楽を聴き、そのような音楽が存在するということを知ったのです。」(『武満徹 エッセイ選 言葉の海へ』138-139頁)