Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

小西康陽 Digs エリントン。(3)

いい加減飽きてきた。 3回続いた小西康陽とエリントンの関係もとりあえずこれで終わり。

 

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

ぼくは散歩と雑学が好きだった。 小西康陽のコラム1993-2008

 

 

無人島に1枚だけレコードを持っていくとしたら?」

 

よくある質問だ。

そして、こういう質問をする人間はたいてい無神経な奴だ。

そのジャンルにあまり興味のない人間だから、そんな無神経な質問ができるのだろう。

「これまで聴いてきた中で1番好きなCDは何ですか?」とか。

そんなの、決められるわけないじゃないか。

日によって変わるし、「好き」とか「CD」の定義によっても変わる。

つまり、これは簡単に答えられない種類の質問であり、そのジャンルを真剣に愛していればいるほど、考えるのが苦しくなる質問なのだ。

ところが、質問した方はそんな質問したことさえ忘れてる。数時間、数日間考えたあと、「あの質問、考えてみたんだけど…」なんて切り出してみると、「? そんな質問したっけ?」なんて言いやがる。質問した人間は、自分の質問に責任を持て! と言いたい。

 

無人島に持っていく」って、自分から進んでいくの?

それは、何か原稿を書いたり、技術を習得するための修行期間として?

それともバカンスとして? 会いたくない人から逃げるため?

あるいは、遭難して余儀なく無人島生活をするとか?

無人島生活の期間はどのくらい? 自分で決定できるの?

「レコード」限定? CDはダメなの? リスニング環境はどうなんだろう?

こういう前提条件が皆無。もしかしてこういう前提条件を吟味するのも「込み」だとしたら、ずいぶんゆるい質問。無神経な上に失礼だ。いやだなあ、こんな質問、絶対されたくない。

 

 

さて、この腹立たしい質問に対する小西氏の回答は、質問者の無神経さをやんわりとたしなめて、そもそも質問自体が成り立たないことを説明しながら、うまいことはぐらかしている。

で、最後にぽろっと示す1枚、これがなるほどなあ、という1枚なのだ。

 

私の無人島レコード。

 

 正直に言うと無人島には行きたくありませんね。たぶん絶対に行かないと思います。

 

 だってそこにはレコード屋さんもなけりや、クラブだってないんでしょう? 綺麗な女性とも出逢えないんでしょう? 遥かアメリカやジャマイカやブラジルからレコードが漂流してきてレア盤がたくさん浜辺に打ち上げられている島、なんていうのなら行ってもいいですが。でも駄目ですね。ブラジル盤のジャケットなんて水に濡れたらもうフニャフニャになっちゃうでしょう。東欧のジャズとかもウォーターダメージに弱そうだな。だいたいそんなレア盤の辿りつく島があったら、きっとディーラーたちが先に行っているでしょうから。

 

 たった一枚、というのなら、いつもクラブで使ってるようなレコードは困りますね。ああ、この曲の次にアレが釆たらみんな踊るのに、なんて考え始めたら、もうすっかり都会が恋しくなってしまいます。

 

 自分の作ったレコードも同じです。自分のレコードといっても、ぼくの場合は自ら歌ったり演奏したりしているわけではないので、比較的照れずに聴いてると思いますし、何枚か、何曲かはいまだに繰り返して聴いていますが、どんなに磨きをかけて作ったつもりのレコードでも、出来上がって三週間も経つと欠点が見えてきます。この歌詞はこうすれば良かったのに。もっといいブレイクビーツを見つけちゃったよ。こっちのタイトルに変えていればベスト・セラーだったかも。そんなワケはないのですが。とにかく煩悩とホームシックの種です。ああ、はやくスタジオに入りたい、なんて考え始めたとしたら、どんなに苦しいことか。

 

 いっそ音楽の入っていないレコードが良いのかも。とはいえかつて浅井慎平氏が作った『サーフブレイク・フロム・ジャマイカ』とか持っていくほどオレはひねくれた人間じゃないです。

 

 コレは抜ける、思わずコスリまくりの使えるネ夕盤。つまりたまらないセクシーな美女がジャケットを飾っているレコードもありますが、それこそ一枚にしぼるなんて、オレには出来んよ。

 

 一枚で完結していて、何度聴いても飽きることのないレコード。職業柄、シンプルな構造の音楽だと、一回聴いて、あー、なるほど、なんてわかったつもりになってしまうし。でも聴いていて疲れちゃうようなのはイヤですから。あまりに美しすぎてメランコリックになってしまうのも避けたいです。

 

 何回聴いても音の成り立ちがよく掴めなくて、穏やかで、それでいて音楽的なスリルもあって。つまり何度やっても面白いパズルのような、酒を飲むたびにそらんじてしまう短い詩のようなレコード。ということで『マイルス・アヘッド』を選ぶことにしました。でも青空の下で、このヨットに美女のジャケットを見たらツライと思いますが。

 

(118頁、レコード・コレクターズ増刊「無人島レコード」ミュージックマガジン社(2000. 4))

  

Miles Ahead

Miles Ahead

 

 

なるほどなあ。さすがレコード人。これには唸ったね。

ジャズファンなら誰でも知ってる1枚だけど、これをベストに薦める人は意外に少ない。その理由はイージーリスニング過ぎるからだろう。BGM的に聴けちゃう。だが、もちろんこの作品は全てのアレンジがギルの筆によるものであり、いざ真剣に耳を傾けると、聴き入ってしまう作品なのだ。だから、「何回聴いても音の成り立ちがよく掴めなくて、穏やかで、それでいて音楽的なスリルもあって。」というのはうまい表現。

他に何もない場所で、聴けるのは選んだ1枚だけ、というのなら、たしかに『Miles Ahead』はピッタリかもしれない。流し聞きOK、精聴OKな1枚だ。質問の上品な交わし方です。

 

また、エリントン的観点から考えると、デイヴ・ブルーベックの「The Duke」をカバーしているわけで、その点でも面白い。これについては、本館で少し書いた。ブルーベックもEllington Lover であること、そしてマイルスの死の直前のモントルーで、この『Miles Ahead』の再演をしたことなど。マイルスはエリントン曲をほとんど演奏しなかったが、この「The Duke」は一時期好んで演奏していた。なにしろ、警官にボコボコにされた日も演奏していたくらいだ。

 

 

さらにエリントン関係でいうと、この同じ本の「日記」2007年3月12日では、こんな覚書もある。

Billy Byers / impressions of duke ellington

平林さんが「excellent」のときにプレイしていて、あまりの素晴らしさに驚いてしまった「A列車で行こう」収録。

この日の夜にさっそくプレイししようと送っていただいたのだが結局パーティではken woodman の「A Train」をかけた。

 

そのレコードって、 多分 これ なんだけど、CD化されてないみたい。

 

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内容はこれと同じなのだろうか。

 

Une technique révolutionnaire: Un panorama en stéréophonie (Stereo Version)

Une technique révolutionnaire: Un panorama en stéréophonie (Stereo Version)

 

 

Take the a Train

Take the a Train

 

だとしたら、「あまりの素晴らしさに驚いてしまった」というのは少しおおげさでは…。

 

Ken Woodman の方は、多分これだと思うけど詳細は全然わからない。

とりあえず、ジャケットはサイコー、だ。 

 

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そういえば『First Time !』のときも「A列車」の話をしてた。

 

とすると、こんなイベントでも「A列車」かけたのかな。

 


2013, 9/13 のイベント。

小西康陽氏もDJで参加してたみたい。このイベントでエリントンをかけない、なんてことはありえないだろう。これ、行きたかったなあ。

 

以上で小西氏のエリントンの話は終わり。 長かった…。