Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

『At Newport '56』の中山康樹評。

故・中山康樹氏による『At Newport '56』評を引いておく。録音・編集事情が考慮されており、充実の内容。

コンプリート・アット・ニューポート1956+10

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ジャズ“ライヴ名盤”入門! (宝島社新書 (226))

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 音楽について書きたいとは思っているが、しばしばレコード会社のスタッフになり変わって商品説明を余儀なくされることがある。それもこれもCDという長時間収録が可能になったメディアと「なんでも詰め込んでやろう」と考える人間の欲望によるものだが、このデューク・エリントンのライヴ・アルバムのような新装版ともなると、さらに念入りな説明を要する。まず『At Newport』というアルバムは、A面が「Newport Jazz Festival Suite Part 1~3(フェスティヴァル組曲)」、B面が「Jeep's Blues」「Diminuendo in Blue and Crescendo in Blue」の3曲収録だった。録音は「1956年7月7日、ニューポート・ジヤズ・フェスティヴァルにおいて」とされていたが、フェスティヴァル直後にスタジオでレコーディングした演奏も含まれていることがわかっている。すなわちエリントンは、7月7日から8日の深夜にかけて出演、それらの演奏はすべてライヴ・レコーディングされたものの、しかしエリントンは一部の演奏に満足することができず(原因は録音状態にもあった)、翌9日、スタジオでレコーディングに臨む。そしてそれらのなかからベストの演奏を収録したのが、先に挙げた「At Newport」となる。したがって「ライヴ・アルバム」という看板の半分はウソということになるが、クオリティ優先で構成されたからこそ、『At Newport』 は傑作になりえた。

 

 ここから先の展開はお察しのとおり、よって商品説明は不要かもしれないが、その後このアルバムは何曲か追加収録されつつ再発をくり返し、ここにようやく「Complete At Newport」として最終的にまとめられたという次第。つまり、7月7・8・9日にレコーディングされたすべての演奏が収録されて「コンプリート」となる。その結果、エリントンが満足しなかった「フェスティヴァル組曲」のライヴ・ヴァージョンがあれば、冒頭を「星条旗よ永遠なれ」が飾るなど、ライヴ感も倍増した。ある意味では、ニューポートのライヴに「脚注」としてスタジオのレコーディングが付されたとも考えられる。とはいえ、ここからが肝要となる。一般的に新装盤が発売されたとたん従来盤を冷たくあしらう傾向がみられるが、音楽は物量で判断されるべきものでなく、コンプリート盤が出たからといって(収録曲数が極端に少ないとはいえ)オリジナル盤の価値が低下するわけではない。名盤として生き残っていくのは今後もオリジナルの『At Newport』であり、この場合は同じレコーディングから異なる2種類の傑作が生まれたと捉えるべきだろう。くり返せば、コンプリート盤が登場したからといってオリジナル・フォーマットによる『At Newport』が消えるわけではなく、また消してもならない。

 

 ニューポートのステージは、エリントン・オーケストラが演奏する「星条旗よ永遠なれ」で幕を開ける。そしてメンバー紹介などがあるが、SEとして効果を発揮、ライヴの雰囲気を盛り上げる。初登場となる「二人でお茶を」は、その後の「Diminuendo in Blue and Crescendo in Blue」で訪れるポール・ゴンザルヴェスの伝説の27コーラスを知っている耳には嵐の前の静けさに映る。そして「フェスティヴァル組曲」に入るが、たしかにスタジオ録音の演奏はエリントンが狙った世界を描いてはいるだろう。だが、このテンポが速いヴァージョンもいかにもライヴらしく捨てがたい。背後で聞こえるエリントンのかけ声も臨場感たっぷり。「パート1」では、ジミー・ハミルトン、ウィリー・クック、ポール・ゴンザルヴェス、ブリットーウッドマン、ハリー・カーネイといったスターが登場、最後をキャット・アンダーソンの成層圏トランペットがしめくくるという、当時はそれが当たり前の光景だった、しかしいまでは夢のような場面が楽しくも万感の思いを抱かせる。「パート2」ではスローなテンポに乗ってエリントンが「ポロン、ポロン」とピアノを弾き、その音でオーケストラを指揮する。最後の「パート3」はアップ・テンポで疾走、トランペットの名手クラーク・テリーも勇躍参加、なんとも軽やかにして爽快なソロを披露する。そして 「Diminuendo in Blue and Crescendo in Blue」 、ポールーゴンザルヴェス、伝説の27コーラスがやってくる。これは聴いてもらうしかない。このアルバムのハイライトであり、「ライヴとは?」の問いに対する回答がここにある(余談。コンプリート盤であってもハイライトがオリジナル盤と同じであることが多く、ゆえにコンプリート盤がオリジナル盤を超えることはありえない)。「I Got It Bad」でジョニー・ホッジスが登場、温泉の湯気のようなアルト・サックスで空気を一変させる。ライヴの最後は「Mood Indigo」を少し。アンサンブルに乗ってエリントンが「Love you madly」とアナウンス、その声まで「ライヴ」を実感させる。

中山康樹『ジャズ“ライヴ名盤”入門!』74-77頁)

 

「芸」としての評論が揶揄の対象となる中山康樹だが、このような文献学的な分析は見事だ。さすが『マイルスを聴け!』 の作者なだけはある。「オリジナル盤の後に付されたボーナス・トラックは『脚注』である」など、深く頷くところも多い。

特に、エリントンがライブ本番の演奏に満足できず、深夜に別テイクを録りなおした、というところなどは実に面白い。エリントン自身、この日の演奏が自分のキャリアにとって重要なものとなることがわかっていたのではないか。「ホッジスの乱」でオーケストラを離れたホッジスも復帰し、ドラムにはサム・ウッドヤードを迎えて「55年体制」を確立したエリントン。壮年期の真っ只中にあり、頭のなかにある音楽を実現させたくてうずうずしていたに違いない。

なお、管理人の考えでは、エリントンの音楽を前期・後期と分けた場合の分水嶺55年体制の確立であり、これ以後エリントンは既存の様々なジャンル(自身が創り上げたものも含む)を利用した多産の時代に入る(新たなものをゼロから創り上げるという意味での創造性はやはり前期なのだ)。55年体制以後のエリントンは、自分が創り上げた「とされる」ジャズという音楽もひとつのジャンルとして利用し始める。当時隆盛を極めつつあった「ハードバップ」(マイルスのマラソンセッション録音もこの年)への目配せとして「Tea for Two」のソロをウィリー・クックに割り振っているのもそのあらわれ。中山康樹氏の文にもあるように、まさにアクセント的に使っていると考えられるのだ。

エリントンは、自身のサウンドそのものだけでなく、1枚の作品としての見せ方・聴かせ方にも異常なこだわりを持っていた。そのことを再認識させてくれる評である。

 

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