Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

Such Sweet Thunder 解題。「甘い稲妻」の正体とは?

エリントンの「シェイクスピア組曲」として知られる、『サッチ・スウィート・サンダー』。この「青いイナズマ」ならぬ「甘い稲妻」、いったい何を意味しているのだろう? 今回はこのタイトルについて考えてみる。

Such Sweet Thunder

Such Sweet Thunder

 

 

この組曲は、1956年のストラトフォード・フェスティバルのために依頼されて書かれた作品であり、LPは翌年の57年にリリースされた。『女王組曲』と並んでエリントンの「組曲志向」が顕著に現れた作品でファンも多い。

 

「such sweet thunder」という曲名が顕著に響くのは、4小節のブリッジ部分。全楽器のトゥッティが、あたかも突然の雷鳴のように響く。管理人は、「稲妻」ってこれのことかな、と考えていた。だが、それだけなのか? 引用は必ず原典を調べること。大学時代に学んだ数少ない教訓の一つです。

 

さて、これだけIT環境が整った世界であれば、シェイクスピアの引用なんて一瞬でわかってしまう。

So musical a discord, such sweet thunder.

 (Shakespeare, A MIDSUMMER NIGHT’S DREAM   Act 4, Scene 1)

 

なるほど、『夏の夜の夢』の第4幕 第1場の言葉である、と。で、この「甘い稲妻」は音楽的な不一致、不協和音的な何かを指してるのかな、ということが予想される。

で、エリントンの音楽が独特のハーモニーを備えていることから、そのことをほのめかしてるのかな、とも推定される。「such sweet thunder」についての説明はたいていここまでだ。だが、本当にそれだけなのか? musical discord がエリントンの音楽の特徴を示しているとしても、それと曲の1部のTuttiを「稲妻」とする比喩を並列させている意味は? これは単なるつじつま合わせの引用なのか?

 

Shakespeareはパブリック・ドメイン。原典にも簡単にアクセスできる。せっかくだから前後をみてみよう。

 

Theseus.

  Go, one of you, find out the forester;
  For now our observation is perform'd;
  And since we have the vaward of the day,
  My love shall hear the music of my hounds. 
  Uncouple in the western valley; let them go:
  Dispatch, I say, and find the forester.     [Exit an Attendant]
  We will, fair queen, up to the mountain's top,
  And mark the musical confusion 
  Of hounds and echo in conjunction.
Hippolyta.

  I was with Hercules and Cadmus once,
  When in a wood of Crete they bay'd the bear
  With hounds of Sparta: never did I hear
  Such gallant chiding: for, besides the groves, 
  The skies, the fountains, every region near
  Seem'd all one mutual cry: I never heard
  So musical a discord, such sweet thunder.
Theseus.

  My hounds are bred out of the Spartan kind,
  So flew'd, so sanded, and their heads are hung
  With ears that sweep away the morning dew;
  Crook-knee'd, and dew-lapp'd like Thessalian bulls;
  Slow in pursuit, but match'd in mouth like bells,
  Each under each. A cry more tuneable
  Was never holla'd to, nor cheer'd with horn, 
  In Crete, in Sparta, nor in Thessaly:
  Judge when you hear....

 格調高き韻文であること、さらに400年近く昔の英語であることから、若干意味が取りにくいかもしれない(シェイクスピアの生没年について、「シェイクスピアは「人殺し」の年に生まれて(1564年)、「いろいろ」あって死んだ(1616年)」という語呂合わせを学んだのは柳瀬尚紀だったか、柴田元幸だったか…?)。

 

そこで、日本を代表する2大シェイクスピア研究者、小田島雄志福田恆存の訳を見てみよう。

 

まずは平易で読みやすい小田島訳。

 

シーシュース 

 だれでもいい、猟犬係を捜して連れてこい。
 これで五月祭の行事は無事に終わった、
 だがまだ今日一日はこれからという時刻だ、
 いとしいヒポリタに猟犬どもの音楽を聞かせたい。
 あの西の谷に犬を解き放すのだ、いいな。
 さあ、いそいで猟犬係を捜してこい。 (一人の従者退場)
 美しいヒポリタ、われわれはあの山頂に登り、
 猟犬どもがいっせいに吠えたてるやかましい声と、
 それに和するこだまとが作りなす音楽を聞くとしよう。


ヒポリタ 

 私も昔ヘラクレスとカドマスに連れられて、
 クレタ島の森でスパルタの猟犬を解き放ち、
 熊狩りをしたことがあります。そのときほどの
 勇ましい吠え声は聞いたことがありません。なにしろ

 森だけでなく、空も泉も、ありとあらゆるものが
 一つの叫び声を発したかのようでした。あれほどの
 美しい不協和音、心地よい雷鳴ははじめてでした。


シーシュース

 私の猟犬もみんなスパルタ種だ、だから
 顎は垂れさがり、毛並みは褐色であり、頭には
 朝露を払わんばかりの大きな耳がついており、
 膝は曲がり、胸にはテッサリア牛のような垂れ肉がある。
 追い足は遅いが、吠え声は大小さまざまな鐘のように
 よく調和している。これほど高低の声のそろった
 猟犬の一群は、クレタ、スパルタ、テッサリア
 いずれの狩人も角笛をもって伴奏したことはあるまい。
 聞けばわかるだろう。

 

 次に、泣く子も黙る福田訳。

 

夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)

夏の夜の夢・あらし (新潮文庫)

 

 

 シーシアス 誰か行って森役人を呼んで来い。これで五月祭の式も終った。が、日はまだこれからだ、ヒポリタに猟犬どもの音楽を聴かせてやりたい。かれらを西の谷問に放せ。急いでくれぬか、森役人を呼びに行くのだ。(侍者、礼をして去る)さあ、ヒポリタ、こちらは山の頂に登り、犬どもの吠え声がこだまと和して奏する楽の音を聴こうではないか。


ヒポリタ 私も、昔、ハーキュリーズやカドマスに連れられて、グリート島の森にスパルタの猟犬を放ち、熊狩りをしたことがあります。その勇ましい吠え声といったら、あとにもさきにも聞いたことがありませぬ。森だけではなく、空も泉も、あたりを包む自然のすべてが一つになって、内なる想いを歌いあげるかのよう、そんな気がしましたもの。本当に始めてでした、不調和な音がそのまま歌になり、雷鳴が快く耳を慰めるなどとは。


シーシアス 私の猟犬もスパルタ種だ。脣が垂れさがり、毛色も褐色、左右の耳は朝露を払うようなしなやかさ――膝はがっしり曲り、胸の内はセッサリー牛のように豊かに垂れている。追い足は遅いが、その吠え声は、さまざまな鐘の音の互いに響き合うに似て、おのずから調子があっている。かほど角笛にのって効果を発揮できる犬の声は、クリード、スパルタ、セッサリー、どこであろうと聞けはしまい。その耳で確かめるがよい……

  

なお、福田訳は、原文の行ごとの改行はされていないので、そのままの形式で引いた。

しかし、さすがは名訳だ。好みは分かれるかもしれないが、両雄の翻訳ともライムが聞こえてくるではないか。

ただ、福田訳はかなり訳者の解釈が反映されているような気がするし、文体も芝居がかかっているというか、読んでて少し疲れてくるような気もする。これは福田恆存自身が劇作家であることからくるのかもしれない。

 

あらためて内容を確認すると、「甘い稲妻」とは、「森にこだまする猟犬たちの吠え声が自然の音と相乗して生み出す独特な響き」を指していることがわかる。

 

ここまで調べてみれば、この「such sweet thunder」が意味するものが自然と浮かび上がってくる。

 『Such Sweet Thunder』は、カナダのオンタリオ州ストラトフォードで毎年行われる「シェイクスピア・フェスティバル」のために書かれた組曲である。フェスティバルに使われる劇場は郊外にあり、美しい自然に囲まれた場所にあるらしい。

そして「猟犬」とは、エリントンオケのメンバー、エリントニアンたちのことだろう。ジャズ・ミュージシャン、またはジャズファンのことを「cats」と慣習があるが、自分たちを「猫」でなく「犬」であるとするのは、「フツーのジャズじゃないんだぞ」とのアピールとも取れる。

そうすると、「such sweet thunder」とは、まさに「ストラトフォード・フェスティバルに響き渡るエリントン・ミュージック」そのもののことではないか!  深いなあ。

 

さて、この『such sweet thunder』、エリントンの55年体制が完成し、56年のニューポートで電撃的なリバイバルを引き起こした時期の作品である。この時期、エリントンは多忙を極めていたため、この作品の多くの部分がストレイホーンの筆によるものと考えられる(その証拠に、作曲者のクレジットはすべて「Ellington, Strayhorn」となっている)。

実際、このプロジェクトに参加するにあたり、ストレイホーンはかなりシェイクスピアに「ハマった」らしい。ツアーの移動中のバスでもずっとシェイクスピアを読み続けていたため、「Shakespeare」というニックネームを付けられたほど。組曲に「Such Sweet Thunder」という名前をつけたのもストレイホーンに間違いないだろう。

そのせいか、数ある組曲の中でも、特にストレイホーン臭濃厚な、気品漂う作品に仕上がっている。ストレイホーンがかなり自分の趣味に走った作品と言ってよいだろう。

 

もう少しタイトルにこだわると、組曲のタイトルには別の案もあったらしい。

Shakespeareの生地、Stratford-upon-Avon(ストラトフォード=アポン=エイヴォン)の「Avon」の逆さつづりの「Nova」、『ハムレット』から「Madness in Great Ones」(これは曲名になった)など。

また、曲の方の「Such Sweet Thunder」にもタイトルの別の案があり、それはライナーノーツにも残っている「Cleo」というもの。初め、ストレイホーンは『アントニークレオパトラ』をイメージしてこの曲を書いたのではないか。しかし完成した曲が原作に合わないと判断したのか、それとも組曲を象徴し、冒頭を飾るのにふさわしい曲と判断したのか、現在の形に落ち着いた。これは大正解だ。しかし、それなら「Cleo」のクレジットも消しておいてほしかったのだが・・・。

 

参考までに組曲の各曲とシェイクスピア作品の対応関係を挙げておく。

 

#1  Such Sweet Thunder  ー 『夏の夜の夢』 
#2  Sonnet for Caesar    ー 『ジュリアス・シーザー
#3  Sonnet to Hank Cinq  ー 『ヘンリー5世
#4  Lady Mac       ー 『マクベス』 
#5  Sonnet in Search of a Moor ー『オセロ』 
#6  The Telecasters     ー 『マクベス』 
#7  Up and Down, Up and Down (I Will Lead Them Up and Down)  ー『夏の夜の夢』  
#8  Sonnet for Sister Kate ー『じゃじゃ馬ならし
#9  The Star-Crossed Lovers ー『ロミオとジュリエット
#10 Madness in Great Ones  ー『ハムレット
#11 Half the Fun (Also known as "Lately") ー『アントニークレオパトラ
#12 Circle of Fourths 

 

#12の「4度進行」では、突然のポールの循環のソロに面食らう。これは、循環進行が「必ずアタマに戻る」 ことの象徴であり、シェイクスピア世界をこの組曲に閉じ込めたことを表している、らしい。

 

『サッチ・スイート・サンダー』について書いたのに、『スタークロスト・ラバーズ』に触れることができなかった! というか、この記事ではほとんど音楽の話ができなかった。

ほかにも、この組曲の上演など、まだまだこの組曲については語るべきことがあるのだが、それはまたの機会に。 後年のエリントンには「アテネのタイモン」なんて曲もあります。

 

Timon of Athens March

Timon of Athens March

 

 

それにしても、引用の一節、「the musical confusion of hounds and echo in conjunction」は秀逸だ。これこそエリントン・ミュージックを表しているのではないか。 

 

おしまいに、モーリス・ベジャールによる振り付けの付いた『Such Sweet Thunder』を。

バレエとエリントンの関係の話なら、ベジャールに加え、ローラン・プティの話もしておきたいところだ。プティは牧阿佐美バレヱ団のために「デューク・エリントン・バレエ」を振り付けた。ベジャールとプティのエリントン・ミュージックの解釈はそれぞれ異なり、対比して考察するのは実に興味深いテーマだが、それはまたの機会に。*1

  

 

Such Sweet Thunder

Such Sweet Thunder

 

 【リンク元

*1:日下四郎氏の言葉を借りるなら、プティのカラーが「軽妙洒脱」なら、ベジャールの方は「重厚哲学型」と言えるのかもしれない。(https://goo.gl/noFsKv)

また、ベジャールが親交があったのはNBS東京バレエ団。日本のバレエ団とエリントンとの関係についてももう少し深められるかもしれない。実はエリントンとバレエの関係は浅からぬものがあったりするのだ。