Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

「2種類の音楽」(エリントン)の引用について、少しだけ補足を。

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先日、あまりにも有名なエリントンのあの言葉についての記事を書きました。

 

 

この記事についていただいたコメントの中に「もっと詳しく!」という要望があったので、今日はそれに答えようと思います。確かに、それももっともな意見だなあ、と。

わたしはやっと信頼に値する原文のソースを発見して満足してしまいましたが、昨日の記事では、結局1文を示しただけ。出典も本を示しただけで、引用箇所も明示してないのでアクセスも難しいかも…。いや、わたしは昨日の情報で十分だと思ったのですが、言われてみるともう少し親切でも良かったのかなあ、と思いなおし、そして新たな発見もあったので追記します。

 

 

まず、出典はこの本。

本文500ページ、101記事に及部子の本は、エリントンへのインタビューと、エリントンに関する雑誌記事など(エリントン自身の筆によるものも含む)で構成されています。 

 

The Duke Ellington Reader

The Duke Ellington Reader

 

 

世の中には2種類の音楽しかない。いい音楽と、そうでない音楽とだ。

(There are simply two kinds of music, good music and others.) 

 

これ、62年の『Music Journal』誌に寄せられた、エリントンによる文章、"Where Is Jazz Going?" の中の言葉です。奇しくもこの文章が書かれた年と同じ、本書の62番目の記事。324-326ページと短い文章ですが、すべて引くのは冗長ですし、このセンテンスはこの記事の終わりに書かれていますので、終わりの一部を引いておきます。

 

  So, as I say, jazz today, as always in the past, is a matter of thoughtful creation, not mere unaided instinct; and although it is impossible for me or anyone else to paint any accurate picture of things to come, I am sure that it will develop into something very big and beautiful.

  As you may know, I have always been against any attempt to categorize or pigeonhole music, so I won't attempt to say whether the music of the future will be jazz or not jazz, whether it will merge or not merge with classical music.

  There are simply two kinds of music, good music and the other kind. Classical writers may venture into classical territory, but the only yardstick by which the result should be judged is simply that of how it sounds. If it sounds good it's successful; if it doesn't it has failed. As long as the writing and playing is honest, whether it's done according to Hoyle or not, if a musician has an idea, let him write it down.

  And let's not worry about whether the result is a jazz or that type of performance. Let's just say that what we're all trying to create, in one way or another, is music. (下線部引用者)

 

有名な「There are simply two kinds ~」の言葉もいいのですが、個人的にはその直後の「the only yardstick by which the result should be judged is simply that of how it sounds.」も好きです。エリントンの音楽観が現れている表現で、多くの音楽家が共感するところだと思います。

それにしても、なかなかカタイ文章ですね。ジャズ・ミュージシャンが書いた文章とは思えない。書きこぼしがないように、自分の述べたいことを正確に伝えようとする意志を強く感じます。この「The only yardstick ~」なんて、英文和訳の問題に出てきそうじゃないですか。あ、いまはこういう問題、流行ってないのかもしれませんが。

英語のスタイルを云々するほどの英語力はありませんが、やっぱりこの英語の1人称の訳語は「私」がぴったりです。1人称が「ぼく」「僕」であるエリントンの言葉はおさまりが悪い。「オレ」や「俺」なんてもってのほか。慇懃でエレガントな英国紳士像を理想としていたことがうかがえるのです。エリントンにおける英語のスタイルの問題というのも、考えてみると興味深いテーマかも知れません。

 あと、「according to Hoyle」なんて慣用句、ここで初めて知りました。トランプを使ったあるゲームのルールを定めた、実在の人物であるHoyle氏に由来するこの言葉、「規則通りに、公正に」という意味のイディオムなんですね。なるほど。

そんな言葉があるのなら、その影響力を考えて、「according to Ellington」とか「according to Duke」なんて慣用句があってもおかしくないのにな、なんて思ってしまいました。意味は……「気高く」とか、「奇妙な、しかしかぎりなく美しく調和して」といったところでしょうか。

 以上、先日の記事の補足でした。

 

Good Jazz by Duke Ellington (Green Book)

Good Jazz by Duke Ellington (Green Book)