Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

サッチモ/エリントン・セッションの文献学的整理と、チル・アウトとしての「Azalea」の素晴らしさ。

サッチモとエリントンのセッションについては、やはり野口久光氏のコメントを前に紹介しました。今回はその続きです。

 

 

サッチモ=エリントンに再会
 ルイ・アームストロングデューク・エリントン(Roulette)

 

The Great Reunion [12 inch Analog]

The Great Reunion [12 inch Analog]

 

 

 ジャズ史上に輝く巨星、しかも元老格の楽歴をもちながらともに現役陣に列するルイ・アームストロングと御大デューク・エリントンの顔合わせはさきにルーレット・レーベルに実現したが、これはその続篇にあたるもの。このすばらしい会合が単なる顔見世的興味以上のものであることは前回のLPでも証明されているところだが、今回もふたりの長寿と今日のすぐれたレコーディング、企画者ボブ・シールに改めて感謝したい気持ちである。ふたりを中心とするこの小楽団はアームストロングのレギュラー・グループのピアニストがデュークに代わり、クラリネットがバーニー・ビガードとなったものだが、焦点はルイとデュークの組合わせの妙に、そしてビガード、トラミーのサポートにあるといえよう。曲目七曲のうち六曲はデュークの有名曲、残る一曲もデュークの新曲、そしてルイのユニークなヴォーカルとデュークの気品と風格あるピアノが何ともいえぬ底光りをみせるのである。「ソリテュード (Solitude)」「スウィングしなけりゃ意味ないね(It Don't Mean A Thing)」「ドント・ゲット・アラウンド・マッチ・エニモア(Don't Get Aroud Much Any More)」「希望の灯(I'm Beginning To See The Light)」「ジャスト・スクイーズ・ミー」「アイ・ガット・イット・バッド」と新曲の「アゼリア」、そのどれもがすばらしい出来だ。もちろんここには先鋭的なモダン・ジャズのスリルや刺激は求められないが、ジャズそのものを育てた偉大な個性の輝き、円熟枯淡の芸術境がある。これはクラシックの名匠の演奏にも求められない美しいジャズのみのもつ音楽の世界なのである。
                 (64・2)
注61年4月3,4日②「ルイ・アームストロングデューク・エリントン」 ※現在は続編を合わせてCD一枚でこのタイトルで出ている

 

引用文にあるように、いまはCDで当時の2枚が1枚に編集されているのでわかりにくいかもしれません。このセッション、当時は別々の2枚で発表されたんですよね。

 

トゥギャザー・フォー・ザ・ファースト・タイム<SHM-CD>

トゥギャザー・フォー・ザ・ファースト・タイム

 
グレート・リユニオン<SHM-CD>

グレート・リユニオン

 

 

で、それが 1枚になってこのタイトルになりました。

 

Great Summit

Great Summit

 

 

この1枚、ビッグ・ネームだからか、文化史的に価値があると思ったのか、中山康樹氏が大嫌いな「再発ボートラ商法」全開です。

 

Great Summit: The Master Takes

Great Summit: The Master Takes

 
The Great Summit: The Complete Sessions

The Great Summit: The Complete Sessions

 
Great Summit [12 inch Analog]

Great Summit [12 inch Analog]

 
GREAT SUMMIT [LP] (180 GRAM, TRANSPARENT BLUE COLORED VINYL, LIMITED, IMPORT) [Analog]

GREAT SUMMIT [LP] (180 GRAM, TRANSPARENT BLUE COLORED VINYL, LIMITED, IMPORT) [Analog]

 

 

百歩譲って、「マスター・テイクス」盤と、「コンプリート・セッション」 まではよしとしましょう。前者はマスタリングの別バージョンで音質の違いを楽しめるし、後者はアウトテイクも収録されているので研究者に有用(でも、発売が半年のインターバルというのが気になります。これ、最初からマニアに買わせようとする、いやらしい販売戦略なんじゃないですか?)。

で、まあ近年のLP人気にあやかって、2012年のアナログ盤も許せないこともない、でしょう。白状すると、わたしもLPで1枚もってます。でも、さすがに最後のレコード「透明青盤」はないでしょう。これはやりすぎだ。カンフル剤のつもりで、マニア層と若年LP購入層を狙ったのでしょうが、あまり売れなかったと思いますよ。

 

いずれにせよ、「Great Summit」という再発タイトルから、この2人に文化史的な意味付けを行おうとしているのは明らか。もともとの「Great Reunion」は、エリントンの「Happy Reunion」を踏まえての命名なのでしょう。さらにいうとこのセッションの1枚めの「Together For The First TIme」からは、すぐにベイシー・バンドとの『First Time!』が連想されます。この時期、エリントンのプロデューサー陣は、50年代後半のエリントン・リバイバルを持続させるために、エリントンの古いイメージを懐古路線・温故知新路線でなく、「老いて益々盛ん」路線で売り出そうとしていたのでしょう。

そういったプロデューサー陣の思惑と、エリントン自身のねらい。これは研究に値するテーマですが、少なくとも、60年代前半においては、両者は同じ方向を向いていたと言えるのではないでしょうか。

肝心の音楽について何も書いていないことに気づきました。このセッション、一言でいってしまうと「サッチモのエリントン・カバー作品(作曲者参加)」です。歌うわ、トランペットは吹きまくるわのサッチモ大フィーチャー。サッチモは大満足だったでしょう。一方のエリントンは控えめ。少なくともクレジットの半分、という意味ではルイ・アームストロングに負けてます。ただ、おそらくエリントンはそれに納得していて、自覚的にこのセッションで求められているポジションをこなしているようにも聞こえるのです。繰り返しますが、この時期、商業的な意味でエリントンはプロデュース陣と同じ方向を向いていたのでしょう。

しかし、それでも奇跡としかいいようがないケミストリーが生まれてしまうのが音楽、特にジャズの恐ろしいところです。ここにも神が訪れました。このセッション盤の1番最後に置かれた「Azalea」。

 

Azalea

Azalea

 

 

…これこそ人間国宝同士の会話。アフターアワーズ、チル・アウトな1曲として完璧。飲食店経営者のみなさん、客を追い出したいとき、本当の最後の最後にこの曲をかけるのはどうですか。わたしだったら、最後のエリントンの右手のバッキングが終わったところで帰る準備をし始めますけどね。いや、でも逆に初めて聞いたら立てなくなっちゃうかも。やっぱり無難にトム・ウエイツにしておきましょうか。

 

こういう1曲を録音し、最後の最後におさめること。それがプロデューサーの仕事です。この1曲が収録されているおかげで、2人の会合は単なるセッションでなく、「偉大なる頂点会合」として記憶されることになりました。

このセッション、音楽的なことについてはもう少し書きたいことがありますが、それはまた別の話、ということで。

 

野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)