Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

『野口久光ベスト・ジャズ (1) 1953-1969』をたどる。

エリントンは日本でどう紹介されてきたのか。

管理人の世代だと、まず連想するのがまず瀬川昌久氏であり、ついで加藤総夫氏だが、その瀬川昌久氏の師匠にあたるのが野口久光氏だ。

野口氏の世代はエリントンの新譜を同時代人として聴いた世代であり、そのレビューは、当時、エリントンはどのように聴かれ/紹介されていたのかの重要なドキュメントである。

 

野口久光(1904 - 1994) 

f:id:Auggie:20170501130114j:plain 〈写真は1953年〉

 

野口氏はジャズに関する論考こそ残していないが、『レコード藝術』に残した膨大なディスク・レビューがある。『レコード藝術』は『レコード芸術』と名を変えて今も続刊。

レコード芸術 2017年 05 月号 [雑誌]

レコード芸術 2017年 05 月号 [雑誌]

 

 

野口氏を振り返ろうとする管理人に、なんてタイムリーな特集だろう。

これも横目に見ながら、 野口氏のジャズディスクの紹介だけをまとめたこんな著作を辿っていくことにする。

野口久光ベストジャズ(1)

野口久光ベストジャズ(1)

 

 

Amazonの商品紹介では うまく表紙の画像が表示されないので、別に貼っておく。

1巻の表紙は野口氏自身の筆によるエリントン。

 

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野口氏の経歴・功績、また、ディスクの紹介に当たっての具体的なスタンスについては、瀬川昌久氏の「まえがき」が詳しいので引いておこう。

 

まえがき-刊行にあたって
 本書は、ジャズ音楽の泰斗、野口久光氏が、雑誌『レコード芸術』に1952年3月号から92年5月号までの40年にわたって、毎月書きつづけてきたジャズの新譜月評の中から抜粋し、3巻にわけて再編集したものである。
 野口氏は『レコード芸術』の新譜月評欄の中で、ジャズを中心に、ポピュラーや映画音楽に至るまで、幅広く克明に紹介し、かつ適切なコメントを加えられた。『レコード芸術』は、本来クラシック音楽を主な対象とし、その名の通り、音楽芸術的観点からの評論を掲載している高級誌であるが、幸いなことに、ジャズ、ポピュラーについても、この種の雑誌としては異例なほどのページ数を割いて、野口氏に全く自由にレコード評を任せたのであった。その結果、同誌創刊の1952年3月から実に40年(通巻500号)の長きにわたって、同じ筆者による評論が継続するという、貴重な記録を打ち立て、その問数え切れぬほどの読者に、ジャズに対する興味を喚起し、また音楽論壇全般に影響を与えたのである。
 周知の方も多いと思うが、野口久光氏は、戦前戦後を通じてジャズ評論の第一人者として活躍されたが、美術家として、また映画人として、更には演劇舞踊を含む舞台芸術全般についての権威者として、斯界に大きく貢献された。1933年東京芸術大学の前身である東京美術学校を卒業され、長らくヨーロッパ映画の宣伝に従事して、数多くの映画ポスターを描き、天才的な名絵筆を発揮された。音楽については、クラシック始めあらゆる分野に造詣が深く、無声映画時代からの映画音楽に通じ、ポピュラー、特にジャズに対する研究においては、野川香文、村岡貞氏らと並んで、戦前のパイオニア的存在であった。レコード収集にも熱心で、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)に始まって、多数のジャズ輸入盤の大コレクターでもあった。

 戦後はいち早く、ジャズ研究界の中心的存在となって、レコードの解説や評論を始め内外のジャズメンによるコンサートの企画にも独自の才を以て参画された。昨1994年6月13日、84才をもって他界されるまで、生涯現役第一線を貫かれた間に、雑誌などに執筆された原稿は膨大な量に上るのであるが、何といっても、この『レコード芸術』の月評は、その期間の長さと内容の豊富さ、充実度において、群を抜いて優れた評論である。今ここに、その上巻を発刊する運びに至ったことは、編者として喜びに堪えない。
 音楽之友社から、始め私に本書編集の参加依頼があった時に、私の乏しいジャズ知識をもってしては任にあらず、と考えたのであるが、野口久光氏こそ、私にジャズの面白さ、すばらしさを教示された大先生であり、またミュージカル、演劇や舞踊についても個人的に多大の教導をいただいたことを思い、その御恩に少しでも報いることが出来れば、とお引き受けした次第であった。想い出すと、私が初めて野口さん(本来は野口先生と呼ぶべきかもしれないが、親しみの念を以てこう申し上げるのをお許しいただきたい)の筆致に接したのは、戦前、ビクターレコードのティータイム・アルバムとして出た、べ二ー・グッドマンの三枚組の解説書と、アルバムの絵であった。私は初めてスウィング・ジャズという言葉を知り、何という格好良い音楽かと思って夢中になった。その頃『スダア』という大判の映画雑誌に、野口さんは毎号新譜レコード評を連載しておられ、その文体が、また何とも格好良くて、暗記するくらいにむさぽり読んだものである。そして戦後、ジャズ愛好仲間と一緒に、野口さんと親しく口を利くようになってから、五十年にわたって、常に私のジャズの師匠であった。いわばジャズの創生期から今日までのジャズの歩みと、リアルタイムで行を共にした唯一の日本人であったといえよう。
 従って、この月評は、野口さん御自身のいわばジャズを通しての軌跡を綴ったものである。1953年といえば、レコードのSP時代が終わって、漸く30センチLPが普及し始めた頃に当たる。わが国で爆発的人気を呼んだペニー・グッドマンのカーネギー・ホールのコンサートLPの評から本書が始まっているのも、前にふれた戦前の筆者のグッドマン・アルバムの美しい画筆と何か因縁があるように思われてならない。以降、毎号の掲載アルバムの数は本書収録分の二倍以上に上り、これをいかに選んでいくかが、大変な難事業であった。
編集方針としては次の点に留意した。


(一)アルバムの選別に当たっては、従来の市販類似書にある、著名かつ人気アーティストのみに偏ることを避け、筆者の該博広範な知識を代表するよう、バラエティをもたせる。
(二)評文が、時代背景や音楽的価値についての筆者の思想を含むものを選ぶ。
(三)ジャズの古典的名演から最も新しいアヴァンギャルドまで、ジャズの歴史を通観できるように努める。
(四)筆者が常に尊敬して、深い親交を結んだデューク・エリントンカウント・ベイシー、べ二ー・カーターらとの心温まる交流に配慮する。
(五)筆者が常に日本のジャズメンを愛し、あらゆる意欲的なミュージシャンや歌手を絶えず激励支持してきた足跡を出来るだけ多く紹介する。


  ※なお、原文掲載時の誤りについてはできる限り訂正に努めたが、行き届かなかった点はお許しいただきたい。

 何分、既掲載分の半分以上を割愛せねばならなかった関係上、筆者の意に反した選択をした点もあろうと、故人にお詫びをせねばならないが、本書を、単なるレコード評の集積としてではなく、野口久光という稀代の芸術家が、ジャズの歴史並びにジャズ・レコード業界の歩みとどう関わったか、という自伝的なエッセイとして、広く読んでいただければ、筆者も喜んで下さるに違いない。終りに、本書の完成にあたっては、生前故人と縁の深かった方々の数多くの御協力があったことを併せて、故人の霊に報告しておきたい。

1995年3月   瀬川昌久

 

…ということである。

 具体的なディスク評に進む前に、53年当時の海外レコードの邦盤化の状況と、ジャンル分類の基準についても触れているのでこれも引いておこう。

  

軽音楽レコード評  野口久光

 昨年あたり、わがくにではアメリカの軽音楽レコードといえば、ほとんどコロムビアの独壇場のようになっていたが、待望のキャピトル盤の登場に次いでデッカ、マーキュリー、MGMの日本プレスがいよいよ出ることになり、ビクターもどうやらRCAビクターの方と再契約が成立して久々に新盤がゴッソリ着いたというから、今年はアメリカの主なレコード会社のレコードが大体出揃って、相当派手な争覇戦が展開することになりそうである。戦前おなじみのコロムビア、ビクター、デッカ(当時はポリドール盤として出ていた)に加えて戦争中以後の新興会社たるキャピトル、マーキュリー、MGMの六社の新盤が出揃うとなると、レコード・ファンもうれしいよりは目移りがして困ることになりそうだが、それだけに選択も慎重になろうというもので、出す方の側の選曲もこれまた慎重にならざるを得まい。
 目下のところ筆者のところには各社のテスト盤も揃っておらず、三月新譜といってもわかっているのはコロムビア、キャピトルだけで、あとは二月新譜しかきいていない有様なので、今月に限り、二月、三月の両方を含めてピック・アップすることにする。
 なお、軽音楽と普通言っているものも相当広範囲にわたっているので、同じジャズの中でもきくべきジャズを「ジャズ」とし、踊り本位のものは「ダンス」、わがくにの流行歌に当たる新作歌曲を「ポピュラー」という風に分けてみた。
もちろん「ポピュラー」のうちの大部分は踊ることも出来るし、「ダンス」のうちのあるものはきくべきものもあり、「ジャズ」の大部分がまた踊りに使えることは言うまでもない。
 また、このほか、ラテン・アメリカ物(タンゴ、ルンバ、サンバの類い)やハワイアン、ウェスタンや、シャンソンも別々にするが、セミ・クラシックあるいはシンフォニック・ジャズなどと呼ばれているコステラネッツ、ウェストンあたりのものは、ちょっとおかしいかもしれないが「セミ・クラシック」とでも名づけておくことにする。もう一つ小編成のジャズのものは大体「コンボ」と称し、ディキシーランド・スタイルのものはあちらなみに「ディキシーランド」としておこう。(52・3)

 

まえおきは以上。

次回から具体的なディスク評に入ることとする。