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Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

ジャズ・ミュージシャンが語る『The Popular Ellington』。

ジャズ・ミュージシャンがジャズの名盤についてコメントする、というこのシリーズ、そのアイデアが素晴らしい。はっきりいって、この企画が実現した時点で、内容がどうであれ成功したも同然だ。

 

ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100

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そして、さすが「ジャズの父」であるエリントンについても、さまざまな言及がされている。今日は『The Popular Duke Ellington』を聴いた4人のミュージシャンのコメントを引いておこう。

 

ザ・ポピュラー・デューク・エリントン

ザ・ポピュラー・デューク・エリントン

 

  

 

ウディ・ハーマン(Woody Herman, cl, 1913-1987)

 

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 ウディ・ハーマンは87年に74歳で亡くなったので、これは72歳のときのコメント。

 

 デュークのもっとも有名なヒット・アルバムだね。ビッグ・バンドで演奏したことがあるひとなら、誰もが一度はこのレコードを聴いているんじゃないかな? ここにはジャズ・オーケストラが必要とするすべてが網羅されている。アレンジ、ソロとアンサンブル、ソノリティ(サウンドの強弱)、テーマとソロ・パートの関連、展開のさせかた――。数えあげていけばきりがない。

 デュークとわたしとでは、同じジャズ・オーケストラでも目指す音楽が違っていた。彼はスインギーなサウンドの中でクリエイティヴィティを発揮させることに心血を注いでいたが、わたしはもっとモダンなサウンドに興味を持っていたからね。音楽的にバッティングしなかったんでライヴァル関係にはならなかったが、いい意味で意識はしていた。

 バンド・リーダーにはふたつのタイプがある。ひとつはリーダーに徹している経営者型。もうひとつは自身も演奏するプレイング・マネージャー型。わたしたちは後者だ。こちらはさらにふたつのタイプにわけられる。自分のプレイを引き立てるためにバンドを率いているひとと、バンド・サウンドをメインに据えているひと。わたしたちはこれまた後者だ。ただし、デュークはその中で自分のプレイもきちんとフィーチャーするタイプだった。そこがわたしとはちょっと違う。

 このアルバムは長いこと聴いていないが、記憶に間違いなければ、デュークのピアノ・ソロがあちこちで大きくフィーチャーされていたんじゃないかな? 彼はピアニストとしても革新的なスタイルの持ち主だったから、それも合わせて楽しめる作品だったと思う。だから多くのひとに聴いてもらいたい。('85年)

 

 

・フランク・フォスター(Frank Foster, ts, 1928 - 2011)

 

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 エリントンは何度も同じ曲をレコーディングしている。素晴らしいところは、ほぼ同じアレンジであるにもかかわらず、内容が常に発展していることだ。それと同時に、昔の演奏でもあとの吹き込みでも、どちらも時代を感じさせない。どの年代に録音された演奏も古さが認められないのは不思議だね。

 このアルバムがいい例じゃないかな。何度かレコーディングされてきたお馴染みの曲がとてもフレッシュに響いている。メンバーもあまり替わることがないのに、このモダンなサウンドはいったいどうしたら生まれるんだろう? それがとても不思議だ。

 エリントンの演奏で好きなのは、このアルバムにも収録されている〈ムード・インディゴ〉や〈黒と茶の幻想〉なんかだ。ピアニストとしての見事さが表現されているし、アレンジもそのほかのソロイストも立派だ。とくに後者では、二〇年代後半に録音されたオリジナル・ヴァージョンに比べて、格段にアンサンブルがソフィスティケートされている。ラッセル・プロコープのクラリネットをサポートするエリントンのプレイもすごい。あとは〈ソリチュード〉のローレンス・ブラウンが吹くトロンボーン・ソロも見事だ。

 エリントンは、このようにメンバーの持ち味を最大限に引き出す編曲をいつも心がけていた。そのことをわたしも見習っているんだが、これが実に難しい。(89年)

 

 

71歳の時のコメント。

コメントとは何の関係もないけど、この作品、タイトル、ジャケットが完璧だ。

 

The Loud Minority

The Loud Minority

 

 

U.F.O.が言及したくなる気持ち、よくわかります。

 

ジャジング

ジャジング

 

 

閑話休題

 

カーラ・ブレイ(carla bley, p, 1936-)

 

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デューク・エリントンは時代を超越して前衛的だった。とくに彼のピアノ・スタイルがっていう意味だけれど。なんて強力な左手なのかしら。

 普通のリーダーとかピアニストだったら、第一にやるのがメロディを強調することなのね。でもデュークは違う。最初からインプロヴィゼーションなのよ。それを通して徐々にメロディの形を作り出していく。非常にユニークな手法だと思う。

 でもデュークの曲って有名なものが多いから、メロディを弾かなくてもその外形だけでどの曲かすぐにわかってしまう。それだけ、それぞれの曲が個性を持っているってことでしょうね。たとえば、有名人だったら変装したってすぐにばれるでしょ。それと同じことなのよ。

 もうひとついいたいことがあるわ。デュークが偉大なのはもちろんだけれど、彼の片腕だったビリー・ストレイホーンの才能にもひとびとはもっと注目すべきだと思うの。彼は常にデュークのうしろに控えていて、音楽面でさまざまなことを手伝っていた。自分自身も曲を書いているし、たとえばこの〈A列車で行こう〉はビリーの曲ですものね。

 デュークの音楽を完璧な形に仕上げていたのがビリーだと思うの。クレジットされていない曲でも、彼が手を加えた曲は随分あったはずよ。ふたりは一心同体だったんでしょうね。だからあれだけ多くの曲が発表できたのよ。デュークひとりの力ではそこまでできなかったと思う。そのことを考えるにつけても、ビリーはもっと評価されなければいけないわ。

 それでこのアルバムをわたしが高く買っているのは、まさにタイトルどおりの内容になっているからなの。お馴染みの曲をデュークのオーケストラが極上のプレイとアレンジで演奏してみせる。彼は、メンバー個々の力量とか個性を知り抜いて曲を書いたりアレンジをしたりしていたでしょ。その最高の形がこのアルバムでは聴けるんじゃないかしら。(90年)

 

 

セシル・テイラーCecil Taylor, p, 1923-)

 

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 こういう複雑なオーケストレーションを整然とやってみせるところがエリントンの素晴らしさだ。ワンダフルとしかいえない。この幻想的なアンサンブル(〈ムード・インディゴ〉)が代表するように、彼のオーケストラ・サウンドは時代を超越している。

 ピアノのプレイも同じだ。パーカッシヴなタッチがリズムを生み出しているが、これは心臓の鼓動を思わせる。躍動感のあるピアノのタッチは、心臓の鼓動みたいなものでね。ジェームス・P・ジョンソンもアート・テイタムセロニアス・モンクバド・パウエルもエリントンも、心臓の鼓動をそのタッチで聴かせてくれるピアニストだったじゃないか。(90年)

 

 

以下は小川隆夫氏のコメント。

(冒頭)

 デューク・エリントンは自身のレパートリーを何度も録音し直していることで知られている。この作品はステレオ時代になってからは初の再演集で、それだけにお馴染みの曲目がずらりと顔を揃えるものになった。エリントン独特の色彩感と充実したソロの数々。それらがもっとも新しいスタイルで演奏されていることも高い評価に繋がっている。それと、過去にないほど彼のピアノ・ソロが大きくフィーチャーされている点も特筆しておきたい。

 (まとめ)

 スイング時代からエリントン・オーケストラとしのぎを削ってきたバンド・リーダーのひとりがウディ・ハーマンである。その彼がこのアルバムを大推薦していた。もっとも、ぼくはこのアルバムについて批判的なことをいうひとは知らないが。フランク・フォスターは自身もビッグ・バンドを率いているし、一時はカウント・ベイシー亡きあとに彼のオーケストラでリーダーも務めていた。そんなフォスターだけに、バンド・リーダーとしての自分をオーヴァーラップさせながらの話は具体性に富む内容だった。カーラ・プレイには、まずエリントンがピアノ・トリオで吹き込んだ『マネー・ジャングル』(UA)、それから本作と、ふたつの作品を聴いてもらった。そのため、両方のコメントが混ざっている。それでも、エリントンの魅力を語る点で問題はないと判断したため紹介することにした。セシル・テイラーの言葉も彼ならではだ。ピアノのタッチを心臓の鼓動にたとえて、過去の名ピアニストの名前をあげていったときは、こちらの心臓も高鳴った。

 

 …紹介しておきながらこんなことを書くのは少し気が引けるが、全体的に消化不良、というか食い足りなさを感じてしまう。実現した時点でこの企画は成功したも同然なのだが、欲を言えば、もっと突っ込んだ質問をしてほしかった…。

 

 ウディ・ハーマンは自分のバンドをスタイルをセカンド・ハード、サード・ハード、サンダリング・ハードと変えており、エリントンとは正反対のようにみえる。ただ、リーダーとしてのコメントを聞けたのは面白い。

 

 フランク・フォスターには、やっぱりベイシーとのからみを。ベイシーバンドの人々やベイシーはエリントンオケをどう思っていたのか。特に『First Time!』のときの話を訊いてみたい! もっと突っ込んで、ポール・ゴンザルヴェスの話とか。「噂通り、酔っ払ってベロベロだったよ。でも、「Corner Pocket」のソロはよかったなあ。よくわからないうちにタイトルは「Until I met You」に変えられちゃったけど」とか、おいしい話が出てきそうじゃないですか。

 

 あとの2人には、襟を正してもっと抽象的な話を聞いてみたい。

 

 カーラ・ブレイにはオーケストラとソリストの関係について、そしてバンドにおける「自由」や、自分のスタンダードをずっと演奏しながら前衛であり続けた姿勢について訊いてみたいし、セシル・テイラーならやっぱりピアノのタッチかな。「日本では、エリントン、モンク、それからあなたへの流れを「垂直系」と呼んだりもするんですよ。ヨースケ・ヤマシタなんていう突然変異も生まれまして。あ、ジュンコ・オオニシもこの流れにいると思いますよ」「ほう、だが、その流れならもっと前まで遡れるんじゃないかな。エリントンが源流、ってことはないだろう。ストライドにもいくつか流派があってだな…」と、京都賞を受賞したテイラーならではの含蓄ある話が聞けたのではないだろうか。

 

ただ、これはあくまで「欲を言えば…」の話である。この企画が素晴らしいことに間違いはない(このシリーズ、大西順子がモンクの『plays Ellington』についてコメントしているものもあり、これは非常に素晴らしい!)。自分の知識・能力では大したこと言えないな、と思うのなら、インタビューに徹するのも賢い選択。

 

それに、インタビューも奥が深いのである。 漫然と話を聞いているだけでは、どうでもいい話しかしゃべってくれないのだ。

 

インタビュー術! (講談社現代新書)

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あと、「デュークのピアノ・ソロがあちこちで大きくフィーチャーされていたんじゃないかな?」というウディ・ハーマンの言葉は、「Aトレ」のワルツで始まるアレンジの印象が強かったから出たコメントだと思うけど、この作品、そんなにエリントンのピアノは強調されてないと思います。それと、確かに名盤だとは思うけど、いきなりこの作品からエリントンを聴き始めるのはやっぱりオススメしません。