Kinda Dukish (かいんだ・でゅ~きっしゅ)

「デューク・エリントンの世界」別館。エリントンに関することしか書いてません。

『ビリー・ストレイホーンに捧ぐ(...and his mother called him Bill)』の 中山康樹評

(『淫聴記』から移転)

 故・中山康樹氏による『ビリー・ストレイホーンに捧ぐ』評を引いておく。

硬派ジャズの名盤50(祥伝社新書245)
 

 『ビリー・ストレイホーンに捧ぐ』はエリントンの作品の中でも屈指の名作。

本館でも 書いたが、この作品をエリントンのベストに挙げる人も多い。

And His Mother Called Him Bill

And His Mother Called Him Bill

 

 また、うれしいことに、最近作品の完全版というか、

ボーナス・トラック盤が再発された。

 

正しくは再々発というべきか、以前から発表されていたが、手軽に入手しやすくなった。

管理人の基本的な姿勢は「ボーナストラック盤など不要!」で、その点は中山康樹と同じ。

この作品も、オリジナルの13曲で美しい世界が完結している。

ただ、この作品のボートラ盤は「Midriff」「smada」「Ocht O'Clock Rock」に加えて、まさかの「Lotus Blossom」のwithハリー・カーネイ、アーロン・ベル・バージョンも収録されている…!

…管理人は、通常盤とボートラ盤、2枚買いました。

 

さて、この中山康樹評、このアルバム自体の評価、というよりも、入門者のための「エリントンの聴き方」といったほうが近い。

中山康樹は、『読んでから聴け! ジャズ100名盤』(中山康樹&ジャズ・ストリート)で、「エリントンを聴くには、まず『マネー・ジャングル』から」と述べており、それに続く解説というスタンスで書かれている。

 

2010年現在のエリントン受容史の解説として妥当な位置づけといえる。
ただ、本文中の「クラブ世代のジャングル・ミュージック云々」というのは、
菊地成孔によるエリントン賛美を指しているのかもしれない。
『かんちがい音楽評論』が本書の後に出たことを考えると感慨深い
(『かんちがい~』はそんなに毒舌ではない。いたって常識的な本。
 菊地成孔の反応も極めて常識的。周囲が過敏に反応しすぎだよ)。

 

かんちがい音楽評論[JAZZ編]

かんちがい音楽評論[JAZZ編]

 

 

 

さて、解説本文をみてみよう。 

 

難攻不落のエリントン入門盤 

 長くデューク・エリントンは「偉いけれど聴いたことがない」というランキング(があったとしたら)の上位あるいは首位に輝き、不名誉な名誉を冠せられてきた。それが『マネー・ジャングル』等、エリントンがピアニストとしての魅力を全開したアルバムが広く紹介されることによって崩れ、さらにクラブ世代がエリントンのジャングル・ミュージックを再発見したことによって、現在ではかつてと比べものにならないくらいエリントンが聴かれるようになった(ただし出発点が低すぎたがゆえに、上昇率は目視できるほどではない)。

 デューク・エリントンという巨大な山脈には、前述の『マネー・ジャングル』から第一歩を踏み出すことが安全策ではあるだろう。同作は、別項で挙げた『ダグラス・オン・ブルーノート』のアラン・ダグラスがプロデューサーをつとめ、チャールズ・ミンガス、(ベース)、マックス・ローチ(ドラムス)を相手にくり広げたセッション。その形相は鬼気迫るものがあり、エリントンのイメージを覆すに十分な衝撃力を秘めている。おそらく多くのジャズ・ファンは、エリントンに対する興味の多寡にかかわらず、この『マネー・ジャングル』を聴いていることと思う。

 しかしながらエリントンの場合、次の一歩を踏み出すことがなかなかにむずかしい。つまり『マネー・ジャングル』やそれに準ずるビアノ・トリオ盤なる次のステップがつかみがたく、したがって『マネー・ジャングル』とその他2、3枚程度のピアノ・トリオ盤でとどまっている場合もまた多いようにみえる。

 つまるところデューク・エリントンとは、ビアノ・トリオあるいはビアノ・ソロがフィーチャーされたアルバムと、本来のオーケストラによる作品群とが交差することなく、あるいはその機会が極度に少なく、その意味でいえば「偉いけれど聴いたことがない」というランキングから完全に抜け出すことは、半永久的に不可能なのかもしれない。 

 そうした状況に小さな波を起こすことを目的に、本書では『ビリー・ストレイホーンに棒ぐ』を挙げることとした。異論反論はあろうかと思うが、ピアニストとしてのエリントンと、「私の楽器はオーケトラ」と言い切るリーダーとしてのエリントンという両面が、このアルバムでは一体となり、独特の色彩をもった音楽を生み出している。

最後はエリントンのピアノ・ソロ

 アルバム・タイトルの「ビリー・ストレイホーン」とは、「A列車で行こう」「サテン・ドール」「チェルシー・ブリッジ」等、エリントン・オーケストラの代表作を多数書いた作編曲家。デューク・エリントンの陰の人物ともいわれた(エリントン自身は「私の両腕」と称していたとされる)。このアルバムは、そのストレイホーンの他界(1967年5月31日)から数か月後に亡き友を偲んで吹き込まれた.邦題は素っ気ないが、原題には故人に対するエリントンの素直な心情が表れているように思う。

 全12曲(初出時)はすべてストレイホーンのオリジナルで構成されている。編曲もストレイホーンの譜面が使われ、なかにはレコーディングされていなかった曲も含まれる。1曲目の「スナイパー」はエリントン・オーケストラの人気アル卜・サックス奏者ジョニー・ホッジスのために49年に書かれた曲。冒頭、エリントンが叩くピアノの音の大きさにびっくりさせられる。前述したように、このアルバムはエリントン白身のピアノも存分に楽しめるよう配慮されているが、それにしても大きく聴こえる。そしてそのエリントンのピアノを包み、ときには対立するようにオーケストラのアンサンブルが鳴り響き、魔法のカーペットのようなサウンドを敷きつめていく。

 このアルバムは、小編成のエリントン・グループと大編成のエリントン・オーケストラが一体になったような印象を抱かせる。あるいはそのように編曲された曲を集めたようにも聴こえる。「A列車で行こう」や「サテン・ドール」等のヒット曲が外された理由もそこにあるのかもしれない。たとえば「U.M.M.G」(曲名はアッパー・マンハッタン・メディカル・グループの略)は、『マネー・ジャングル』の世界がオーケストラヘとグラデーションのように急速に変化していき、独特の陰影を感じさせる。それこそが、「ビリー・ストレイホーンの色彩」ということなのだろうか。

 12曲目は、足音やスタジオを片づける雑音のなかでエリントンが一人ピアノに向かって綴るソロ。ボーナス・トラックでは、ハリー・力ーネイ(バリトン・サックス)、アーロン・ベル(ベース)とのトリオによる演奏となっている、このアルバムの物語性としては、ここは前者のソロ・ピアノで「なければならない」と思う。  (本書82-85頁)

 

『...and ~』評として、すごくオーソドックス。
ただ、受容史、録音状況説明、印象批評で終わっているのが残念。
私の考えでは、このアルバムから後、エリントンの前衛的晩年が始まるのだが、それについても言及してほしかった。